ルカの福音書3 4-9章
ガリラヤ宣教
ルカ4:14-9:50
○
宣教の開始
(ルカ4:21)
「イエスは人々にこう言っ
て話し始められた。
『きょう,聖書のこのみことばが,
あなたがたが聞いたとおり
実現しました。』」
イエス・キリストは,洗礼の後,
お育ちになったナザレに行き,
会堂で教えました。
そのときの言葉です。
「主の恵みの年」が,
実現したということです。
イエス・キリストを信じる者が,
この恵みに入れるといいます。
○
ガリラヤでの働き
(ルカ4:14)
「イエスは御霊の力に満ちあふれて
ガリラヤへ帰られると,
そのうわさが
その地方全体にひろまった。」
この,イエス・キリストの宣教は
御霊(聖霊)の働きによりました。
○
めぐみの年を告げる
(ルカ4:18,19)
「主の御霊がわたしに宿っている。
貧しい人々に福音を
宣べ伝えさせるために,
わたしを聖別して
くださったからである。
主はわたしをつかわして,
囚人が解放され,
盲人の目が開かれることを告げ知らせ,
打ちひしがれている者に自由を得させ,
主のめぐみの年を
告げ知らせるのである」。
イエスの生涯は,
御霊(聖霊)の働きによるものでした。
○
ナザレの会堂で聖書の朗読
(ルカ4:15-18)
「イエスは,彼らの会堂で教え,
みなの人にあがめられた。
それから,
イエスはご自分の育ったナザレに行き,
いつものとおり安息日に会堂に入り,
朗読しようとして立たれた。
すると、
預言者イザヤの書が手渡されたので,
その書を開いて,
こう書いてある所を見つけられた。
『わたしの上に主の御霊がおられる。
主が、貧しい人々に
福音を伝えるようにと,
わたしに油をそそがれたのだから。
主はわたしを遣わされた。
捕らわれ人には赦免を,
盲人には目の開かれることを
告げるために。
しいたげられている人々を自由にし,
主の恵みの年を
告げ知らせるために。』」
ペテロを召しだす
(ルカ5:10,11)
「シモンの仲間であった
ゼベダイの子ヤコブやヨハネも
同じであった。
イエスはシモンにこう言われた。
『こわがらなくてもよい。
これから後,
あなたは人間を
とるようになるのです。』
彼らは,舟を陸に着けると,
何もかも捨てて,イエスに従った。」
イエス・キリストが
ペテロを召したとき,
ペテロはすべてを捨てて
イエス・キリストに従いました。
主に従うとは,
生活の中でイエス・キリストを
第一にすることです。
イエスは,
ご自分がだれであるかを人々に知らせ,
ご自分に従う人々を招き始められました。
○
失われた人の救い
(ルカ5:31,32)
「そこで,イエスは答えて言われた。
『医者を必要とするのは
丈夫な者ではなく,病人です。
わたしは正しい人を招くためではなく,
罪人を招いて,
悔い改めさせるために来たのです。』」
イエスは取税人のレビを
召したときの言葉です。
イエス・キリストは,
弱い人に憐れみを示されました。
女性,子どもたち,
貧しい人たちを憐れみ,
愛されました。
ルカは医者であったため,
弱い人,社会で外された人に向けて,
イエス・キリストの
言葉とわざを記述します。
平地の教え
(ルカ6:17-19)
「イエスは彼らと一緒に
山を下って平地に立たれたが,
大ぜいの弟子たちや,
ユダヤ全土,エルサレム,
ツロとシドンの海岸地方などからの
大群衆が,教を聞こうとし,
また病気をなおしてもらおうとして,
そこにきていた。
そして汚れた霊に
悩まされている者たちも,
いやされた。
また群衆はイエスにさわろうと努めた。
それは力がイエスの内から出て,
みんなの者を次々に
いやしたからである。」
マタイの福音書の
「山上の教え」に対応するものです。
小高い場所であり,
登れば山上,下れば平地で
同じ所ではないかという人もいます。
イエスは,救いの福音を話し,
病気をいやし,
汚れた霊(悪霊)をいやしました。
イエスの内から出たのは,聖霊です。
☆
イエスの3つの働きが,
福音を教え,
病気をいやし,
悪霊を追い出すことです。
イエスが十字架で成し遂げる業であり,
聖霊の力で,
わたしたちにおよぶものです。
イエスはこの救いの業を
十字架で成し遂げ,
わたしたちが信じたとき
わたしたちが受け取ります。
そして,再臨の時,
この業は完成します。
○
心の貧しい者
(ルカ6:20)
「貧しい者は幸いです。
神の国はあなたがたのものですから。」
「平地の教え」の一部です。
貧しいとは,
神の他に何も持たない人です。
その人は幸いだと,言うのです。
この貧しい人は
イエス・キリスト御自身でもあります。
やもめの息子を生き返らす
(ルカ7:13)
「主はその母親を見て
かわいそうに思い,
『泣かなくてもよい。』
と言われた。」
死の問題に解決を与え,
慰めを与える方は,
死んでよみがえられた
イエス・キリストだけです。
(ルカ7:14,15)
「そして近寄って
棺に手をかけられると,
かついでいた人たちが
立ち止まったので,
『青年よ。
あなたに言う,起きなさい。』
と言われた。
すると,その死人が起き上がって,
ものを言い始めたので,
イエスは彼を母親に返された。」
「種蒔き」のたとえ
(ルカ8:8)
「『また,別の種は良い地に落ち,
生え出て,百倍の実を結んだ。』
イエスは,これらのことを話しながら
『聞く耳のある者は聞きなさい』
と叫ばれた。」
イエスはたとえで,人々に話しました。
弟子に次のように解き明かしています。
(ルカ8:11)
「このたとえの意味はこうです。
種は神のことばです。」
(ルカ8:15)
「良い地に落ちるとは,
こういう人たちのことです。
正しい,良い心でみことばを聞くと,
それをしっかりと守り,
よく耐えて,
実を結ばせるのです。」
神の言葉を,良い心で聞き,
しっかり守るなら,
実を結ぶことが出来ると言います。
風をしずめるイエス
(ルカ8:24b)
「イエスは,起き上がって,
風と荒波とをしかりつけられた。
すると風も波も治まり,
なぎになった。」
(ルカ8:25)
「弟子たちは驚き恐れて
互いに言った。
『風も水も,
お命じになれば従うとは,
いったいこの方は
どういう方なのだろう。』」
弟子たちは,漁師であり,
風も水もよく知っていました。
その弟子たちが,
イエス・キリストの
言葉と業に驚きました。
イエス・キリストは
自然を支配するお方でした。
「5つのパンと2匹のさかな」
(ルカ9:16,17)
「するとイエスは,
五つのパンと二匹の魚を取り,
天を見上げて,
それらを祝福して裂き,
群衆に配るように
弟子たちに与えられた。
人々はみな,
食べて満腹した。
そして,
余ったパン切れを取り集めると,
十二かごあった。」
ここでの奇跡は,
5つのパンと2匹のさかなを,
主にささげることから始まりました。
イエス・キリストは
祈りをささげました。
この奇蹟によって,
イエスは救い主であることを
示しました。
山上の変貌(へんぼう)
(ルカ9:35)
「すると雲の中から,
『これは,わたしの愛する子,
わたしの選んだ者である。
彼の言うことを聞きなさい。』
と言う声がした。」
神が,イエス・キリストは,
「わたしの愛する子」
であると宣言します。
イエスが
神の子であるという神の宣言です。
この山上の変貌の出来事は,
イエスが十字架にかかり
復活することの予告でもありました。
山上の変貌
(ルカ9:31)
「栄光のうちに現れて,
イエスがエルサレムで
遂げようとしておられる
ご最期について
いっしょに話していたのである。
(ルカ9:35)
すると雲の中から,
『これは,わたしの愛する子,
わたしの選んだ者である。
彼の言うことを聞きなさい』
と言う声がした。」
イエスの最期である十字架の死は,
神の栄光であります。
神の栄光は,
イエスの十字架による
罪の処分が必要です。
(ローマ3:23-26)
「すなわち,
すべての人は罪を犯したため,
神の栄光を受けられなくなっており,
彼らは,価なしに,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる
あがないによって
義とされるのである。
神はこのキリストを立てて,
その血による,
信仰をもって受くべき
あがないの供え物とされた。
それは神の義を示すためであった。
すなわち,今までに犯された罪を,
神は忍耐をもって
見のがしておられたが,
それは,今の時に,
神の義を示すためであった。
こうして,神みずからが義となり,
さらに,イエスを信じる者を
義とされるのである。」
2019-11-11