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朝の光(聖書の言葉)

レビ記 解説  2020.4.2




レビ記 解説  2020.4.2



レビ記の律法は

シナイ山に幕屋を設立したときから,

シナイ山を出発するまでの間に

神がモーセに啓示されたものです。


イスラエルの民が守るべき

いけにえの制度,様々の律法,

宗教的な祭りなどについて

記るされています。






全焼のいけにえ


(レビ1:4)

「その人は,
全焼のいけにえの頭の上に手を置く。
それが彼を贖うため,
彼の代わりに
受け入れられるためである。」


「全焼のいけにえの頭の上に手を置く」

ことは,

人がいけにえと一つになることを

現わしています。


イエス・キリストは

わたしたちをきよめる為に

十字架にかかって下さいました。


わたしたちは信仰によって,

神を永遠に礼拝するものとなります。




罪のためのいけにえ


(レビ記4:3)

「もし油そそがれた祭司が,
罪を犯して,
民に罪過をもたらすなら,
その人は,
自分の犯した罪のために,
傷のない若い雄牛を,
罪のためのいけにえとして
主にささげなければならない。」


祭司がこの儀式を行うことにより,

神は罪を犯した者のその罪は

赦されると定められました。






祭司の任職


(レビ8:30)

「それから,
モーセはそそぎの油と,
祭壇の上の血を取り,
それをアロンとその装束,
彼とともにいるその子らと
その装束の上に振りかけて,
アロンとその装束,
彼とともにいるその子らと
その装束を聖別した。」


祭司のアロンは,

動物の血によって,

聖められました。


ヘブル人への手紙は,

キリストを「大祭司」と呼び,

祭儀的視点から,

キリストによる新しい契約の

卓越性を論じています。

(ヘブ9:11‐12,15)

(参照同2:17‐18,4:14‐16).


このキリストこそ,

神が人間をご自身に

近付けるために立てられた,

新しい契約における

「唯一,まことの大祭司」です。






祭司の職務


(レビ9:7)

「それから,
モーセはアロンに言った。
『祭壇に近づきなさい。
あなたの罪のためのいけにえと
全焼のいけにえをささげ,
あなた自身のため,
またこの民のために贖いをしなさい。
また民のささげ物をささげ,
主が命じられたとおりに,
彼らのために贖いをしなさい。』」


イエス・キリストが

まことの祭司であり,

旧約聖書の祭司は,

イエス・キリストの型となっています。


イエス・キリストは,また

王であり,預言者です。






聖なる者となりなさい


(レビ11:45)

「わたしはあなたがたの神となるため,
あなたがたをエジプトの国から
導き上った主である。
わたしは聖なる者であるから,
あなたがたは
聖なる者とならなければならない」。






贖いの日


(レビ16:3-5)

「アロンは次のようにして
聖所に入らなければならない。
罪のためのいけにえとして若い雄牛,
また全焼のいけにえとして雄羊を携え,
聖なる亜麻布の長服を着,
亜麻布のももひきをはき,
亜麻布の飾り帯を締め,
亜麻布のかぶり物を
かぶらなければならない。
これらが聖なる装束であって,
彼はからだに水を浴び,
それらを着ける。
彼はまた,イスラエル人の会衆から,
罪のためのいけにえとして雄やぎ二頭,
全焼のいけにえとして
雄羊一頭を取らなければならない。」



1年に一度,雄やぎを2頭ささげ

(アザゼルの山羊),

大祭司が至聖所に入り,

「贖いの蓋」に血を振りかけます。






贖いの蓋


(レビ16:14,15)

「彼は雄牛の血を取り,
指で『贖いのふた』の東側に振りかけ,
また指で七たびその血を
『贖いのふた』の前に
振りかけなければならない。
アロンは民のための罪のための
いけにえのやぎをほふり,
その血を垂れ幕の内側に持って入り,
あの雄牛の血にしたように
この血にもして,
それを『贖いのふた』の上と
『贖いのふた』の前に振りかける。」



贖いのふたは,

これは幕屋の至聖所に置かれた

「あかしの箱」のための

純金のふたです。


「贖いのふた」は,

「覆う」または「隠す」を意味し,

あかしの箱の中に

ある十のことば(十戒)の石の板を

覆い隠す役目を持っていました。


「贖いのふた」は

イスラエルの民にとって,

神の臨在を最も身近に表すものでした。


そこは,大祭司が年に1度,

自分の罪とイスラエルの民の罪のために

いけにえの血を振りかけ,

「贖い」をする所であり

(レビ16:11‐17),

幕屋の礼拝において,

神が人と会われる

中心の場でありました。


そしてこのことは,

イエス・キリストの贖いの型であり,

イエスが十字架上で

御自身の民の

罪のためのいけにえとして,

そのいのちを神にささげられたとき,

その贖いは完成します。



(ローマ3:25,26)口語訳 

「神はこのキリストを立てて,
その血による,
信仰をもって受くべき
あがないの供え物とされた。
それは神の義を示すためであった。
すなわち,今までに犯された罪を,
神は忍耐をもって
見のがしておられたが,
(3:25)
それは,今の時に,
神の義を示すためであった。
こうして,
神みずからが義となり,
さらに,
イエスを信じる者を
義とされるのである。
(3:26)」


(ヘブル9:1-12)




アザゼルの山羊


(レビ16:19-21)

「その残りの血を,
その祭壇の上に指で七たび振りかける。
彼はそれをきよめ,
イスラエル人の汚れから
それを聖別する。
彼は聖所と会見の天幕と
祭壇との贖いをし終え,
先の生きているやぎをささげる。
アロンは生きている
やぎの頭に両手を置き,
イスラエル人のすべての咎と,
すべてのそむきを,
どんな罪であっても,
これを全部それの上に告白し,
これらをそのやぎの頭の上に置き,
係りの者の手でこれを荒野に放つ。」


垂れ幕の中に入れるのは,

贖いの日に,大祭司が犠牲の血を流し,

その血を振りかけなければ

なりませんでした。


動物に罪を負わせる象徴的な行為は,

イエス・キリストの贖いの業を

示しています。


(へブル9:28)

「キリストも,
多くの人の罪を負うために一度,
ご自身をささげられましたが,
二度目は,罪を負うためではなく,
彼を待ち望んでいる人々の
救いのために来られるのです。」





いのちの贖いをするのは血


(レビ17:11)

「なぜなら,
肉のいのちは血の中にあるからである。
わたしはあなたがたのいのちを
祭壇の上で贖うために,
これをあなたがたに与えた。
いのちとして
贖いをするのは血である。」


(へブル9:22)

「それで,律法によれば,
すべてのものは血によって
きよめられる,
と言ってよいでしょう。
また,血を注ぎ出すことがなければ,
罪の赦しはないのです。」





あなたの隣人を

あなた自身のように愛しなさい。


(レビ19:18)

「復讐してはならない。
あなたの国の人々を恨んではならない。
あなたの隣人を
あなた自身のように愛しなさい。
わたしは主である。」





聖なるものとなる


(レビ20:26)

「あなたがたは
わたしにとって聖なるものとなる。
主であるわたしは聖であり,
あなたがたをわたしのものにしようと,
国々の民からえり分けたからである。」


「聖」とは,神と共にある民,

交わりとして特別な関係が

あるということです。





ヨベルの年


(レビ25:10)

「その五十年目を聖別して,
国中のすべての住民に
自由をふれ示さなければならない。
この年はあなたがたには
ヨベルの年であって,
あなたがたは,
おのおのその所有の地に帰り,
おのおのその家族に
帰らなければならない。」


7年目ごとに,

安息の年が与えられます。

同胞のユダヤ人の負債を

帳消しにしなければなりません。


ヨベルの年は50年ごとに当たります。


イエスは,ご自身が来られたことは,

ヨベルの年として,

神のために宣言しました。

(ルカ4:19)




いけにえは,

キリストによって成就します。

キリストが大祭司であり,

神と人との唯一の仲保者です。




2020-04-02



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