ヨハネの福音書
解説
2022.11.10
○
ヨハネ1章
初めに言があった
(ヨハネ1:1)
「初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。」
この言はイエス・キリストです。
イエス・キリストの
降誕にあてはまります。
(ヨハネ1:12,13)
「しかし,彼を受けいれた者,
すなわち,
その名を信じた人々には,
彼は神の子となる力を
与えたのである。
それらの人は,
血すじによらず,
肉の欲によらず,
また,人の欲にもよらず,
ただ神によって生れたのである。
ここでの言は,
イエス・キリストです。
キリストを受け入れるものは,
神の子となる。」
イエス・キリストを
受け入れるなら,
神の子となります。
○
ヨハネ2章
カナでの婚礼
(ヨハネ2:11)
「イエスは
このことを最初のしるしとして
ガリラヤのカナで行ない,
ご自分の栄光を現わされた。
それで,
弟子たちはイエスを信じた。」
(ヨハネ2:4)
「イエスは母に言われた。
『あなたはわたしと
何の関係があるのでしょう。
女の方。
わたしの時は
まだ来ていません。』」
カナの婚礼で,
イエスは水をぶどう酒に変える
奇跡をなさいました。
ここでの「時」とは,
終わりの時の裁きと
救いのときですが,
ここでの「わたしの時」とは,
イエスが十字架につけられる時を
現しています。
母とは関係なく,
父なる神の御心の時です。
「しるし」は,
ギリシャ語では「セメイオン」で
奇跡の意味で使われています。
イエスが神の子であることを
示しています。
○
ヨハネ3章
新しく生まれる。
(ヨハネ3:3)
「イエスは答えて言われた,
『よくよくあなたに言っておく。
だれでも新しく生れなければ,
神の国を見ることはできない。』」
(ヨハネ3:5)
「イエスは答えられた,
『よくよくあなたに言っておく。
だれでも,
水と霊とから生れなければ,
神の国に
はいることはできない。』」
イエスが
ニコデモに話した言葉です。
「水」は聖霊をあらわしています。
○
永遠の命
(ヨハネ3:16)
「神はそのひとり子を
賜わったほどに,
この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が
ひとりも滅びないで,
永遠の命を得るためである。」
○
ヨハネ4章
永遠の命に至る水
(ヨハネ4:13,14)
「イエスは女に答えて言われた,
『この水を飲む者はだれでも,
またかわくであろう。
しかし,
わたしが与える水を飲む者は,
いつまでも,
かわくことがないばかりか,
わたしが与える水は,
その人のうちで泉となり,
永遠の命に至る水が,
わきあがるであろう』」
サマリヤの女に話した言葉です。
「水」は聖霊のことです。
○
ヨハネ5章
人々に命を与える
(ヨハネ5:21)
「父が死人を起して
命をお与えになるように,
子もまた,
そのこころにかなう人々に
命を与えるであろう。」
イエスがベトサダの病人
をいやした後の,
イエスの話です。
○
ヨハネ6章
命のパン
(ヨハネ6:35)
「イエスは彼らに言われた,
『わたしが命のパンである。
わたしに来る者は
決して飢えることがなく,
わたしを信じる者は
決してかわくことがない。』」
5千人に食べ物を与えた出来事に
つづいての言葉です。
○
生ける水の川
(ヨハネ7:37-39)
「祭の終りの大事な日に,
イエスは立って,叫んで言われた,
『だれでもかわく者は,
わたしのところにきて飲むがよい。
わたしを信じる者は,
聖書に書いてあるとおり,
その腹から生ける水が川となって
流れ出るであろう』。
これは,イエスを信じる人々が
受けようとしている
御霊をさして言われたのである。
すなわち,
イエスはまだ栄光を
受けておられなかったので,
御霊がまだ
下っていなかったのである。」
仮庵祭での
イエス・キリストの言葉です。
イエス・キリストを信じる者は,
心の底から「生ける水」が,
川のように流れるようになります。
「生ける水」とは,
聖霊のことです。
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ヨハネ8章
わたしもあなたを罰しない
(ヨハネ8:10-11)
「そこで
イエスは身を起して女に言われた,
『女よ,みんなはどこにいるか。
あなたを罰する者は
なかったのか』。
女は言った,
『主よ,だれもいません』。
イエスは言われた,
『わたしもあなたを罰しない。
お帰りなさい。
今後はもう罪を犯さないように』。
女はイエスに「主よ」と呼び,
イエスへの信仰を表します。
イエス・キリストは,
この女の罪を赦します。
○
ヨハネ9章
生まれつきの盲人をいやす
(ヨハネ9:3)
「イエスは答えられた。
『この人が罪を犯したのでもなく,
両親でもありません。
神のわざが
この人に現われるためです。』」
イエスは不幸の原因を聞かず,
神の業を現すためだと言います。
神の業を現すとは,
この後,
この盲人の目を開けたのです。
わたしたちが
イエス・キリストに会うと,
私たちの不幸は変えられます。
○
ヨハネ10章
わたしは羊の門である
(ヨハネ10:7-10)
「そこで,
イエスはまた言われた,
『よくよく
あなたがたに言っておく。
わたしは羊の門である。
わたしよりも前にきた人は,
みな盗人であり,強盗である。
羊は彼らに聞き従わなかった。
わたしは門である。
わたしをとおって
はいる者は救われ,
また出入りし,
牧草にありつくであろう。
盗人が来るのは,
盗んだり,殺したり,
滅ぼしたりするために
ほかならない。
わたしがきたのは,
羊に命を得させ,
豊かに得させるためである。』」
イエス・キリストは,羊の門です。
わたしたちは,
イエスの門を通して入るなら,
救われます。
○
ヨハネ11章
ラザロの復活
神の業があらわれる。
(ヨハネ11:4)
「イエスはそれを聞いて言われた,
『この病気は
死ぬほどのものではない。
それは神の栄光のため,
また,神の子がそれによって
栄光を受けるための
ものである』」。
わたしたちは,
神の栄光を業をあらわすことが,
人生の目的です。
(ヨハネ11:25)
「イエスは彼女に言われた,
『わたしはよみがえりであり,
命である。
わたしを信じる者は,
たとい死んでも生きる。』」
○
エルサレムに迎えられる
(ヨハネ12:14-16)
「イエスは,
ろばの子を見つけて,
それに乗られた。
それは次のように
書かれているとおりであった。
『恐れるな。シオンの娘。
見よ。あなたの王が来られる。
ろばの子に乗って。』
初め,弟子たちには
これらのことがわからなかった。
しかし,
イエスが栄光を受けられてから,
これらのことが
イエスについて
書かれたことであって,
人々がそのとおりに
イエスに対して
行なったことを,
彼らは思い出した。」
イスラエルの王が
ろばに乗ってくることをゼカリヤが
預言しています。
(ゼカリヤ9:9)
「シオンの娘よ。
大いに喜べ。
エルサレムの娘よ。
喜び叫べ。
見よ。
あなたの王が
あなたのところに来られる。
この方は正しい方で,
救いを賜り,
柔和で,ろばに乗られる。
それも,
雌ろばの子の子ろばに。」
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弟子の足を洗う。
(ヨハネ13:3-5)
「イエスは,
父がすべてのものを
自分の手にお与えになったこと,
また,自分は神から出てきて,
神にかえろうと
していることを思い,
夕食の席から立ち上がって,
上着を脱ぎ,
手ぬぐいをとって腰に巻き,
それから水をたらいに入れて,
弟子たちの足を洗い,
腰に巻いた手ぬぐいで
ふき始められた。」
(ヨハネ13:14)
「主であり,
また教師であるわたしが,
あなたがたの足を洗ったからには,
あなたがたもまた,
互に足を洗い合うべきである。」
イエス・キリストを
信じる者の生き方は,
イエス・キリストを
模範することです。
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神を信じなさい
(ヨハネ14:1)
「心を騒がせるな。
神を信じなさい。
そして,
わたしをも信じなさい。」
イエスが十字架につけられる前,
最後の晩餐のときに,
弟子に話されました。
このつぎに,次のように言います。
(ヨハネ14:6)
「イエスは言われた。
『わたしは道であり,
真理であり,命である。
わたしを通らなければ,
だれも父のもとに
行くことができない。』」
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ヨハネ15章
互に愛し合うためである
(ヨハネ15:16,17)
「あなたがたが
わたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを
選んだのである。
そして,あなたがたを立てた。
それは,
あなたがたが行って実をむすび,
その実が
いつまでも残るためであり,
また,
あなたがたがわたしの名によって
父に求めるものはなんでも,
父が与えて下さるためである。
これらのことを命じるのは,
あなたがたが
互に愛し合うためである。」
イエスの弟子たちへの,
話しです。
○
ヨハネ16章
助け主,聖霊
(ヨハネ16:7-10)
「しかし,わたしは
ほんとうのことを
あなたがたに言うが,
わたしが去って行くことは,
あなたがたの益になるのだ。
わたしが去って行かなければ,
あなたがたのところに
助け主はこないであろう。
もし行けば,
それをあなたがたにつかわそう。
それがきたら,
罪と義とさばきとについて,
世の人の目を開くであろう。
罪についてと言ったのは,
彼らがわたしを
信じないからである。
義についてと言ったのは,
わたしが父のみもとに行き,
あなたがたは,
もはやわたしを
見なくなるからである。
さばきについてと言ったのは,
この世の君が
さばかれるからである。」
「助け主」,「真理の御霊」,
「弁護者」は聖霊のことです。
○
永遠の命
(ヨハネ17:3)
「永遠の命とは,
唯一の,
まことの神でいますあなたと,
また,あなたがつかわされた
イエス・キリストとを
知ることであります。」
この「知る」とは,
単に知性的に
認識することではなく,
人格的な交わりを意味します。
「永遠の」とは,
時間が終わらないことではなく,
「神に属するもの」
「来るべき世に属するもの」
を意味します。
○
ヨハネ18章
王であるキリスト
(ヨハネ18:33)
「さて,
ピラトはまた官邸にはいり,
イエスを呼び出して言った,
『あなたは,
ユダヤ人の王であるか』」。
ピラトがイエスに尋ねました。
イエスは王ですが,
イスラエルの政治を支配する
力の王ではありませんでした。
そこで,
イエス・キリストは
つぎのように答えます。
(ヨハネ18:36)
「イエスは答えられた,
『わたしの国は
この世のものではない。
もしわたしの国が
この世のものであれば,
わたしに従っている者たちは,
わたしをユダヤ人に
渡さないように戦ったであろう。
しかし事実,
わたしの国は
この世のものではない』」。
○
ヨハネ19章
十字架につけられる
(ヨハネ19:15)
「すると彼らは叫んだ,
『殺せ,殺せ,
彼を十字架につけよ』。
ピラトは彼らに言った,
『あなたがたの王を,
わたしが十字架につけるのか』。
祭司長たちは答えた,
『わたしたちには,
カイザル以外に
王はありません』」。
イエスは
十字架につけられ
血を流します。
それは,
人々の罪の身代わりでした。
(ヨハネ13:31)
「さて,彼が出て行くと,
イエスは言われた,
『今や人の子は栄光を受けた。
神もまた彼によって
栄光をお受けになった。』」
イエスの十字架は,
まず,
神が罪の清算をすることです。
神と人の子(イエス)とが
栄光を受けます。
そして,
信じる者が罪の赦しを受けます。
○
イエスの死
(ヨハネ19:28-30)
「そののち,
イエスは今や万事が
終ったことを知って,
『わたしは,かわく』
と言われた。
それは,
聖書が全うされるためであった。
そこに,酢いぶどう酒が
いっぱい入れてある器が
おいてあったので,
人々は,このぶどう酒を含ませた
海綿をヒソプの茎に結びつけて,
イエスの口もとにさし出した。
すると,
イエスはそのぶどう酒を受けて,
『すべてが終った』と言われ,
首をたれて息をひきとられた。」
十字架につけられたイエスは,
「乾く」といいます。
イエスは人としての苦しみを
味わいました。
「すべてが終わった」は,
イエスが救いの業をすべて,
成し遂げたと言うことです。
○
復活
(ヨハネ20:19)
「その日,すなわち,
一週の初めの日の夕方,
弟子たちはユダヤ人をおそれて,
自分たちのおる所の戸を
みなしめていると,
イエスがはいってきて,
彼らの中に立ち,
『安かれ』と言われた。」
(ヨハネ20:22,23)
「そう言って,
彼らに息を
吹きかけて仰せになった,
『聖霊を受けよ。
あなたがたがゆるす罪は,
だれの罪でもゆるされ,
あなたがたがゆるさずにおく罪は,
そのまま残るであろう』」。
イエスは,息をふりかけ,
聖霊を受けなさいといいます。
○
復活のイエス,ペテロに会う
(ヨハネ21:4)
「夜が明けたころ,
イエスが岸に立っておられた。
しかし弟子たちは
それがイエスだとは
知らなかった。」
ペテロが漁をしていたとき,
復活したイエス・キリストに
会います。
○
ヨハネの福音書の目的
(ヨハネ20:30,31)口語訳
「イエスは,
この書に書かれていないしるしを,
ほかにも多く,
弟子たちの前で行われた。
しかし,
これらのことを書いたのは,
あなたがたがイエスは
神の子キリストであると
信じるためであり,
また,そう信じて,
イエスの名によって
命を得るためである。」
ヨハネの福音書の
著者のヨハネは,漁師でした。
彼は,
自分を「イエスが愛した弟子」
(ヨハネ13:23,20:2)
と書いています。
ヨハネの福音書をかいたのは,
イエスと最も親しかった,
弟子のヨハネです。
2022.11.10