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朝の光(聖書の言葉)

12. 慈愛  (喜びあふれて)

12. 慈愛  (喜びあふれて)

創世記45:3-15    
(ヨセフ 身をあかす)

Ⅰコリント14:12-20 
(教会を造り上げる)

ルカ6:27-36     
(敵を愛しなさい)


「しかし,あなたがたは敵を愛しなさい。
人に善いことをし,
何も当てにしないで貸しなさい。
そうすれば,たくさんの報いがあり,
いと高き方の子となる。
いと高き方は,恩を知らない者にも悪人にも,
情け深いからである。
あなたがたの父が憐れみ深いように,
あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
(ルカ6:35,36)






わたしたちは現実の生活の中で,どのように神様の御心を受け取り,御心に答えていくとよいのでしょうか。

今日読みました聖書の箇所から,その答えを汲(く)み取りたいと思います。




(創世記29:14-30)

ヤコブの結婚


旧約聖書では奴隷から身を起こし,エジプトという大国を治めるようになったヨセフが書かれています。

ヨセフは父ヤコブの最愛の息子でした。

それは,妻ラケルとの間に生まれたからかもしれません。

ヤコブはラケルと結婚するために7年間もラケルの父ラバンの家で働きましたが,父ラバンにだまされて,ラケルの姉と結婚してしまいます。

その経緯は,創世記に次のように書いてあります。

「ラバンは
土地の人たちを皆集め祝宴を開き,
夜になると,
娘のレアをヤコブのもとに
連れて行ったので,
ヤコブは彼女のところに入った。」
(創世記29:22,23)


ヤコブがそのトリックを知ったのは,朝になってからでした。

その後7年間,ラバンのもとで働き,やっとヤコブはラケルと結婚できました。

しかし,長い間ラケルとの間には子ができず,召使にヤコブの子を生ませました。





(創世記37:1-11)

ヨセフの夢



しかし,ついにラケルとの間に自分の子を生むことができました。その子がヨセフです。

ヤコブがいかにヨセフを愛したかを,創世記は次のように書いています。


ヤコブはイスラエルと呼ばれるようになりますが,次のようにあります。

「イスラエルは,
ヨセフが年寄り子であったので,
どの息子よりもかわいがり,
彼には裾(すそ)の長い
晴れ着を作ってやった。」
(創世記37:3)

父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て,兄たちはヨセフを憎むようになります。

父に愛されていたヨセフは兄たちの憎しみを知らないかのように,夢で見たことを兄に話しました。それは兄たちが弟ヨセフに仕えるという夢でした。

ますます,兄たちはヨセフを憎むようになり,ヨセフを野原の穴に投げ込み,奴隷としてエジプトへ行く商人に売りました。





(創世記45:3-15)

ヨセフ,身をあかす



そのエジプトの地で,ヨセフはエジプトを治めるほどの者になります。

そして,飢饉(ききん)が起こり,兄たちはエジプトに食糧を買いに来たのです。

穀物販売の監督をしていたヨセフは自分の前に平伏した人たちが兄たちであることに気づき,自分のところに兄たちがもう一度やって来るような計略を立てます。

そして兄たちが再び来たとき,自分がヨセフであることを明かすのです。

兄たちは驚きます。復讐(ふくしゅう)されることを恐れたかもしれません。

その兄たちに向かって,ヨセフは「わたしはあなたたちがエジプトに売った弟のヨセフです」(創世記45:4)と,自分のことを明かして言います。


「しかし,今は,
ここへ売ったことを悔やんだり,
責め合ったりする必要はありません。
命を救うために,
神がわたしをあなたたちより先に
お遣わしになったのです。」
(創世記45:4)

ヨセフは兄たちの憎しみによって,奴隷として,エジプトへ連れてこられたことに,神様の御心を読み取りました。

奴隷という過酷な現実の中にも,神様の御心は実現しました。

憎しみが救いへと変えられました。


 



(ルカ6:20-26)

幸いと不幸



このような過酷な現実の中で,聖書の言葉が実現したと語られたのがイエスさまであり,聖書の言葉が実現するという祝福を次のようにおっしゃっています。


「さて,イエスは目を上げ
弟子たちを見て言われた。
『貧しい人々は,幸いである,
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は,幸いである,
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は,幸いである,
あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき,
また,人の子のために追い出され,
ののしられ,汚名を着せられるとき,
あなたがたは幸いである。
その日には,喜び踊りなさい。
天には大きな報いがある。
この人々の先祖も,
預言者たちに同じことをしたのである。』」
(ルカ6:20-23)


貧しい人々,飢えている人々,泣いている人々,憎まれ,イエスさまを信じたために追い出され,ののしられ,汚名をきせられるときにも,幸いであるのは聖書の言葉が実現するからなのです。






(ルカ6:27-36)

敵を愛しなさい



そして,この幸いの祝福が「敵を愛しなさい」(ルカ6:25)という言葉で示されています。

イエスさまは,次のようにおっしゃいます。


「あなたがたは敵を愛しなさい。
人に善いことをし,
何も当てにしないで貸しなさい。
そうすれば,
たくさんの報いがあり,
いと高き方の子となる。」
(ルカ6:25)


この聖書の箇所では,「敵」とはイエスさまの言葉を聞いている者を憎み,悪口を言い,侮辱する者たちのことを指しています。

そして,イエスさまはおっしゃいます。


「憎む者には親切にしなさい。
悪口を言う者のためには祝福を祈り,
あなたがたを侮辱する者たちのためには
祈りなさい。」
(ルカ6:27)


それは,神様の御心を示す聖書の言葉が実現するからです。

神様とはイエスさまの「父」であり,イエスさまのお言葉を聞き従う者にとっても「父」であります。

この父は「恩を知らないものにも悪人にも,情け深く,また,憐れみ深い」(ルカ6:35)方です。

この父の憐れみを受けている者が,敵を愛し,人に善いことをし,何も当てにしないで貸すことができるようになります。


それで,イエスさまは次のようにおっしゃいました。

「あなたがたの父が
憐れみ深いように,
あなたがたも
憐れみ深い者となりなさい。」
(ルカ6:36)




(Ⅰコリント14:12-20)



今日の第2の聖書朗読の箇所では,この父の御慈愛に生きる者たちの具体的な生き方が,「造り上げる」という言葉で,次のように示されています。


「霊的な賜物を
熱心に求めているのですから,
教会を造り上げるために,
それをますます
豊かに受けるように求めなさい。」
(Ⅰコリント14:12)


この「造り上げる」という言葉は口語訳聖書では,「徳を立てる」とか「徳を高める」という言葉で示されています。

イエスさまの言葉に聞き従う者たちは,父の憐れみを受けている者として,教会の徳を立て,人の徳を高めるようにと勧められています。

口語訳聖書では,次のようになっています。


「だから,あなたがたも,
霊の賜物を熱心に求めている以上は,
教会の徳を高めるために,
それを豊かにいただくように励むがよい。」
(Ⅰコリント14:12)

わたしたちも教会の徳を立て,人の徳を高めるように生きていくならば,現実の生活の中で,神様の御心が示されていることを知り,聖書の言葉が実現するという祝福に与かることができるのです。



(2007年2月11日  顕現節第6主日) 

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