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朝の光(聖書の言葉)

伝道者の書  解説 2018.4.20

伝道者の書

       
「伝道者の書」は,旧約聖書の1巻です。



本書の著者は

「エルサレムでの王,ダビデの子」

(伝道1:1)

とありますので,

イスラエルの王ソロモンです。


ソロモンはイスラエルの王です。


ダビデの子であり,

イスラエルが

もっとも繁栄した時代の王です。




空の空


(伝道1:2)

「空の空。
伝道者は言う。
空の空。
すべては空。」


「すべては空」といいます。

仏教では,「五蘊皆空」です。


(伝道1:1-3)

「エルサレムでの王,
ダビデの子,
伝道者のことば。
空の空。
伝道者は言う。
空の空。
すべては空。
日の下で,どんなに労苦しても,
それが人に何の益になろう。」


新約聖書では,

パウロが次のように言います。


(ローマ8:20,21)

「被造物が虚無に服したのは,
自分の意志によるのではなく,
服従させたかたによるのであり,
かつ,被造物自身にも,
滅びのなわめから解放されて,
神の子たちの栄光の自由に入る望みが
残されているからである。」






知者が愚者と同じように死ぬ


(伝道2:6 口語訳)

「知者も愚者も同様に
長く覚えられるものではない。
きたるべき日には
皆忘れられてしまうのである。
知者が愚者と同じように死ぬのは,
どうしたことであろう。」


知恵を得ることはよいことであるが,

死によって忘れられるという。





「知恵と知識と喜びを与える神」


(伝道2:24-26)

「人には,
食べたり飲んだりし,
自分の労苦に
満足を見いだすよりほかに,
何も良いことがない。
これもまた,
神の御手によることがわかった。
実に,神から離れて,だれが食べ,
だれが楽しむことができようか。
なぜなら,
神は,みこころにかなう人には,
知恵と知識と喜びを与え,
罪人には,
神のみこころにかなう者に渡すために,
集め,たくわえる仕事を与えられる。
これもまた,
むなしく,風を追うようなものだ。」


伝道者の悟りです。

人は神から人生を与えられています。

人生は楽しみながら過ごすべきです。


人生を神から離れて楽しむことは,

空(むな)しいものです。


(1テモテ6:17)

「この世で富んでいる人たちに
命じなさい。
高ぶらないように。
また,たよりにならない富に
望みを置かないように。
むしろ,
私たちにすべての物を豊かに与えて
楽しませてくださる神に
望みを置くように。」




神の時は美しい


(伝道3:1)

「 天が下のすべての事には季節があり,

すべてのわざには時がある。」


「時」は,謎です。


(伝道3:11)

「神のなされることは
皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に
永遠を思う思いを授けられた。
それでもなお,
人は神のなされるわざを
初めから終りまで
見きわめることはできない。」


わたしたちには「永遠」の思いが,

与えられています。


神を恐(畏)れないといけません。


「永遠」は,

わたしたちに救いを指し示します。



(ローマ8:28)

「神を愛する人々,
すなわち,
神のご計画に従って召された
人々のためには,
神がすべてのことを
働かせて益としてくださることを,
私たちは知っています。」



(ヨハネ3:16)

「神はそのひとり子を賜わったほどに,
この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が
ひとりも滅びないで,
永遠の命を得るためである。」





慰めるものがいない


(伝道4:1-3)

「わたしはまた,
日の下に行われる
すべてのしえたげを見た。
見よ,
しえたげられる者の涙を。
彼らを慰める者はない。
しえたげる者の手には権力がある。
しかし彼らを慰める者はいない。
それで,
わたしはなお生きている生存者よりも,
すでに死んだ死者を,
さいわいな者と思った。
しかし,
この両者よりもさいわいなのは,
まだ生れない者で,
日の下に行われる悪しきわざを
見ない者である。」


わたしたちを慰める者は神のみです。

イエスは次のように言っています。


(マルコ6:34)

「イエスは舟から上がって
大ぜいの群衆をごらんになり,
飼う者のない羊のような
その有様を深くあわれんで,
いろいろと教えはじめられた。」




三つ撚りの糸は簡単には切れない


(伝道4:9-12)

「ふたりはひとりよりもまさっている。
ふたりが労苦すれば,
良い報いがあるからだ。
どちらかが倒れるとき,
ひとりがその仲間を起こす。
倒れても起こす者のいない
ひとりぼっちの人はかわいそうだ。
また,ふたりがいっしょに
寝ると暖かいが,
ひとりでは,
どうして暖かくなろう。
もしひとりなら,
打ち負かされても,
ふたりなら立ち向かえる。
三つ撚りの糸は簡単には切れない。」


孤独でいるよりは,

仲間や友達といるほうが良い。

互いが助け合うことが

出来るからである。


三つ撚りの糸は仲間と

神です。


イエス・キリストは,

次のように言いました。


(ヨハネ13:34)

「あなたがたに
新しい戒めを与えましょう。
あなたがたは互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように,
そのように,
あなたがたも互いに愛し合いなさい。」


☆彡


「三つ撚りの糸」は,

三位一体の神とも考えられます。




「金銭を愛する者」


(伝道5:10)

「金銭を愛する者は
金銭に満足しない。
富を愛する者は収益に満足しない。
これもまた,むなしい。」


(1テモテ6:17)

パウロは次のように言いました。
「この世で富んでいる人たちに
命じなさい。
高ぶらないように。
また,たよりにならない富に
望みを置かないように。
むしろ,私たちにすべての物を豊かに
与えて楽しませてくださる神に
望みを置くように。」





食い,飲み,楽しむ


(伝道5:18-20)

「見よ,わたしが見たところの
善かつ美なる事は,
神から賜わった短い一生の間,
食い,飲み,
かつ日の下で労する
すべての労苦によって,
楽しみを得る事である。
これがその分だからである。
また神はすべての人に富と宝と,
それを楽しむ力を与え,
またその分を取らせ,
その労苦によって
楽しみを得させられる。
これが神の賜物である。
このような人は
自分の生きる日のことを多く思わない。
神は喜びをもって彼の心を
満たされるからである。」


神はわたしたちに,

いのちをあたえ ,

富と喜びを与えて下さっています。


(マタイ6:34)

「だから,
あすのことを思いわずらうな。
あすのことは,
あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は,
その日一日だけで十分である。」


(ピリピ4:12)

「わたしは貧に処する道を知っており,
富におる道も知っている。
わたしは,
飽くことにも飢えることにも,
富むことにも乏しいことにも,
ありとあらゆる境遇に処する
秘けつを心得ている。」




人生の空しさ


(伝道6:10-12)

「今あるものは,何であるか,
すでにその名がつけられ,
また彼がどんな人であるかも
知られている。
彼は彼よりも力のある者と
争うことはできない。
多く語れば,
それだけむなしさを増す。
それは,
人にとって何の益になるだろう。
だれが知ろうか。
影のように過ごす
むなしいつかのまの人生で,
何が人のために善であるかを。
だれが人に告げることができようか。
彼の後に,
日の下で何が起こるかを。」


わたしたちは,神を離れては,

むなしい人生であります。


(ローマ7:24)

「私は,
ほんとうにみじめな人間です。
だれがこの死の,
からだから,
私を救い出してくれるのでしょうか。」




世の悲しみ


(伝道7:1-6)

「良い名声は良い香油にまさり,
死の日は生まれる日にまさる。
祝宴の家に行くよりは,
喪中の家に行くほうがよい。
そこには,すべての人の終わりがあり,
生きている者がそれを心に
留めるようになるからだ。
悲しみは笑いにまさる。
顔の曇りによって心は良くなる。
知恵ある者の心は喪中の家に向き,
愚かな者の心は楽しみの家に向く。
知恵ある者の叱責を聞くのは,
愚かな者の歌を聞くのにまさる。
愚かな者の笑いは,
なべの下のいばらが
はじける音に似ている。
これもまた,むなしい。」


世の笑いはむなしいものです。

世の悲しみのほうが

まさっているといいます。


(2コリント7:10)

「神のみこころに添った悲しみは,
悔いのない,
救いに至る悔い改めを生じさせますが,
世の悲しみは死をもたらします。」




神のみわざは見極められない


(伝道8:16,17)

「私は一心に知恵を知り,
昼も夜も眠らずに,
地上で行なわれる人の仕事を
見ようとしたとき,
すべては
神のみわざであることがわかった。
人は日の下で行なわれる
みわざを見きわめることはできない。
人は労苦して捜し求めても,
見いだすことはない。
知恵ある者が知っていると思っても,
見きわめることはできない。」


著者すなわち伝道者,

ダビデの子のソロモンは

「昼も夜も眠らず」

一心に人の仕事を

「知恵」をもって探究しました。

(参照 伝道1:13)


その結果著者が発見したことは

「すべては神のみわざ」でした。


人間は

「(神の)みわざを

見きわめることはできない」

ということでありました。


神は無限であり,

計画は偉大です。

そして,人間の知識は有限です。


パウロは,次のように言います。


(ローマ11:33)

「ああ,
神の知恵と知識との富は,
何と底知れず深いことでしょう。
そのさばきは,
何と知り尽くしがたく,
その道は,
何と測り知りがたいことでしょう。」





知恵について 


(伝道9:17,18)

「知恵ある者の静かなことばは,
愚かな者の間の支配者の叫びよりは,
よく聞かれる。
知恵は武器にまさり,
ひとりの罪人は
多くの良いことを打ちこわす。」


ここで2つの箴言を用いて

知恵について語っています。


「知恵」は,

たとい「静かなことば」

をもって語られても,


愚かな支配者の大きな叫びよりも

価値があるといいます。


「知恵は武器にまさり」

と知恵の効用をたたえています。


「ひとりの」愚かな

「罪人」の存在によって,

「良いこと」がむなしくなる場合も

あるといいます。




「王をのろおう」


(伝道10:20)

「王をのろおうと,
ひそかに思ってはならない。
寝室でも富む者をのろってはならない。
なぜなら,
空の鳥がその声を持ち運び,
翼のあるものが
そのことを告げるからだ。」


(ルカ12:3)

「あなたがたが暗やみで言ったことが,
明るみで聞かれ,
家の中でささやいたことが,
屋上で言い広められます。」




胎にいるとき


(伝道11:5)

「あなたは,
身ごもった女の胎の中で,
どうして霊が骨にはいるかを知らない。
そのようにあなたは,
すべての事をなされる
神のわざを知らない。」


(伝道11:15,16)

「わたしが隠れた所で造られ,
地の深い所でつづり合わされたとき,
わたしの骨は
あなたに隠れることがなかった。
あなたの目は,
まだできあがらない
わたしのからだを見られた。
わたしのためにつくられたわが
よわいの日のまだ一日もなかったとき,
その日は
ことごとくあなたの書にしるされた。」


神はわたしいたちを

胎内にいるときから

守ってくださいます。


(詩篇127:3)

「見よ,
子供たちは神から賜わった嗣業であり,
胎の実は報いの賜物である。」



(詩篇139:13-16)

「あなたはわが内臓をつくり,
わが母の胎内でわたしを
組み立てられました。
わたしはあなたをほめたたえます。
あなたは恐るべく,
くすしき方だからです。
あなたのみわざはくすしく,
あなたは最もよくわたしを
知っておられます。」




青春の光りと影


(伝道11:7-10)

「光は快い。
太陽を見ることは目のために良い。
人は長年生きて,
ずっと楽しむがよい。
だが,やみの日も数多くあることを
忘れてはならない。
すべて起こることはみな,むなしい。
若い男よ。若いうちに楽しめ。
若い日にあなたの心を喜ばせよ。
あなたの心のおもむくまま,
あなたの目の望むままに歩め。
しかし,これらすべての事において,
あなたは神のさばきを
受けることを知っておけ。
だから,あなたの心から悲しみを除き,
あなたの肉体から痛みを取り去れ。
若さも,青春も,むなしいからだ。」


心に喜びを見出して,

青春を生きるべきであるといいます。


(ピリピ4:8)

「最後に,兄弟たち。
すべての真実なこと,
すべての誉れあること,
すべての正しいこと,
すべての清いこと,
すべての愛すべきこと,
すべての評判の良いこと,
そのほか徳と言われること,
称賛に値することがあるならば,
そのようなことに心を留めなさい。」




パンを水の上に投げよ


(伝道11:1)

「あなたのパンを水の上に投げよ。
ずっと後の日になって,
あなたはそれを見いだそう。」


主への働きは,

無駄になると思える者もあるが,

労苦を惜しんではいけない。


神は,

必ず報いてくださるというものです。


パウロは次のように言います。


(ガラテヤ6:7-9)

「思い違いをしてはいけません。
神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば,
その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は,
肉から滅びを刈り取り,
御霊のために蒔く者は,
御霊から永遠のいのちを
刈り取るのです。
善を行うのに飽いてはいけません。
失望せずにいれば,時期が来て,
刈り取ることになります。」


(伝道11:1-4)

「あなたのパンを水の上に投げよ。
ずっと後の日になって,
あなたはそれを見いだそう。
あなたの受ける分を
七人か八人に分けておけ。
地上でどんなわざわいが起こるか
あなたは知らないのだから。
雲が雨で満ちると,
それは地上に降り注ぐ。
木が南風や北風で倒されると,
その木は倒れた場所にそのままにある。
風を警戒している人は種を蒔かない。
雲を見ている者は刈り入れをしない。」




あなたの若い日に


(伝道12:1)

「あなたの若い日に,
あなたの創造者を覚えよ。
わざわいの日が来ないうちに,
また『何の喜びもない。』と
言う年月が近づく前に。」


「覚えよ」とは,思い浮かべよ,

心に留めよ,顧みよと言う意味です。


人格的な交わりを持つことです。


「あなたの創造者を覚えよ」とは,

創造者を心に留め,たえず思い,

神との交わりの内に

生きよとの勧めです。


このことが,

「空の空」を解決する唯一の方法です。


それは,天地を造られた神を信じ,

神とともに歩み,

神のために生きる道です。


創造者を信じることに,

遅すぎることはありません。


今,信じていることが大切です。





神を恐れよ。神の命令を守れ。 


(伝道12:13,14)

「結局のところ,
もうすべてが聞かされていることだ。
神を恐れよ。
神の命令を守れ。
これが人間にとってすべてである。
神は,善であれ悪であれ,
すべての隠れたことについて,
すべてのわざをさばかれるからだ。」


「神を恐れる」とは,神を神として,

恐れかしこむことです。


「伝道の書」の結論です。


さばきとは,この世の終わりにおいて,

神がキリストを信じる者と

信じない者とを区別し,

信じる者には永遠の祝福を,

信じない者には永遠の滅びを与えます。




新約聖書では,

イエス・キリストが

次のように言っています。


(マタイ25:31-34)

「人の子が,
その栄光を帯びて,
すべての御使いたちを伴って来るとき,
人の子はその栄光の位に着きます。
そして,すべての国々の民が,
その御前に集められます。
彼は,
羊飼いが羊と山羊とを分けるように,
彼らをより分け,
羊を自分の右に,
山羊を左に置きます。
そうして,
王は,その右にいる者たちに言います。
『さあ,
わたしの父に祝福された人たち。
世の初めから,
あなたがたのために備えられた
御国を継ぎなさい。』」




ヨハネは,イエスが来たのは,

世を救うためだと言います。


(ヨハネ3:17,18)

「神が御子を世に遣わされたのは,
世をさばくためではなく,
御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者はさばかれない。
信じない者は神のひとり子の御名を
信じなかったので,
すでにさばかれている。」





2018.4.20






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