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朝の光(聖書の言葉)

ピリピ書 2022.11.22 まとめ


ピリピ書 2022.11.22 

まとめ




実の愛


(ピリピ1:9)


「私は祈っています。

あなたがたの愛が

真の知識とあらゆる識別力によって,

いよいよ豊かになり,

あなたがたが,

真にすぐれたものを見分けることが

できるようになりますように。」



パウロは,ピリピの信徒のために

愛が豊かになるようにと

祈ります。



イエスの言う「互い愛し合う」とは,

何かを答えています。


パウロは,

苦悩の中から聖霊に啓示され,

祈りに答えています。


私たちの目標です。



☆彡



真実の愛


(ピリピ1:9-11)


「私は祈っています。

あなたがたの愛が

真の知識とあらゆる識別力によって,

いよいよ豊かになり,

あなたがたが,

真にすぐれたものを見分けることが

できるようになりますように。

またあなたがたが,

キリストの日には

純真で非難されるところがなく,

イエス・キリストによって与えられる

義の実に満たされている者となり,

神の御栄えと誉れが

現わされますように。」


「キリストの日」とは

キリストが再び来られる日です。


多くの人が愛を語ります。

ビートルズもそうです。


愛を大切にする人どうしでも,

うまくいかないこともあります。


愛はあってもうまくいかないのは,

パウロは,

愛が真の知識によって

いないからだといいます。


愛には,真の知識が必要です。

それは,

真実のものでなければなりません。


わたしたちの愛の最終的な目標は,

神の栄光と誉れを讃えることです。






イエスは次のように言いました。


(ヨハネ15:17)

「あなたがたが互いに愛し合うこと,

これが,

わたしのあなたがたに与える

戒めです。」




生きることはキリスト


(ピリピ1:21)口語訳


「わたしにとっては,

生きることはキリストであり,

死ぬことは益である。」



キリストと共にいることの

幸いをのべています。


パウロの幸いは,

イエス・キリストが

いつもともにいることから来ています。




キリストと共にいる


(ピリピ1:23)


「わたしは,

これら二つのものの間に

板ばさみになっている。

わたしの願いを言えば,

この世を去って

キリストと共にいることであり,

実は,その方がはるかに望ましい。」


パウロはこの世を去る(死ぬ)と

キリストと共にいると信じていました。




「人間と同じようになられました」


(ピリピ2:6−12)


「キリストは

神の御姿である方なのに,

神のあり方を

捨てられないとは考えず,

ご自分を無にして,

仕える者の姿をとり,

人間と同じようになられました。

人としての性質をもって現れ,

自分を卑しくし,

死にまで従い,

実に十字架の死にまでも

従われました。

それゆえ神は,

この方を高く上げて,

すべての名にまさる名を

お与えになりました。

それは,イエスの御名によって,

天にあるもの,地にあるもの,

地の下にあるもののすべてが,

ひざをかがめ,すべての口が,

『イエス・キリストは主である』

と告白して,

父なる神が

ほめたたえられるためです。

そういうわけですから,

愛する人たち,

いつも従順であったように,

私がいるときだけでなく,

私のいない今はなおさら,

恐れおののいて

自分の救いの達成に

努めなさい。」


イエス・キリストの姿です。


神が受肉(人となる)した意味を

明らかにしています。


低くされたイエス・キリストは,

高く上げられます。


わたしたちが神に従順であることが

救いとなります。




願い


(ピリピ2:13)


「あなたがたのうちに

働きかけて,

その願いを起させ,

かつ実現に至らせるのは

神であって,

それは神のよしとされる

ところだからである。」


神はわたしたちに働きかけられ,

神のよしとすることを

成し遂げさせてくださいます。




喜び 


(ピリピ2:17)


「たとい私が,

 あなたがたの信仰の供え物と

礼拝とともに,

注ぎの供え物となっても,

私は喜びます。

あなたがたすべてとともに喜びます。」



 「喜び」は,

神から信じる者に与えられる

霊的な贈り物です。

パウロはこの喜びがありました。

 
この手紙を書いた時,

 パウロはローマの牢に

入れられていました。


 そして,

いつ処刑されるか

わからない状況でした。

しかし,パウロは喜んでいました。


 「注ぎの供え物」とは,

旧約聖書における供え物の比喩にして,

 パウロの殉教を指しています。


 「注ぎの供え物」については,

旧約聖書の民数記に

次のように書いてあります。



(民数記15:10)

「また注ぎのささげ物として

 ぶどう酒二分の一ヒンを

ささげなければならない。

これは主へのなだめのかおりの,

火によるささげ物である。」





 イエスも十字架の死の前に

次のように語ります。

 イエス・キリストには,

喜びがあったのです。

 
(ヨハネ15:10)

「わたしが

これらのことを

あなたがたに話したのは,

わたしの喜びが

あなたがたのうちにあり,

 あなたがたの喜びが

満たされるためです。」



 ☆彡



共に喜ぶ


(ピリピ2:12-18)


「そういうわけですから,

愛する人たち,

いつも従順であったように,

私がいるときだけでなく,

私のいない今はなおさら,

 恐れおののいて

自分の救いを達成してください。

神は,みこころのままに,

あなたがたのうちに

働いて志を立てさせ,

事を行なわせてくださるのです。

すべてのことを,つぶやかず,

疑わずに行ないなさい。

それは,あなたがたが,

非難されるところのない

純真な者となり,

また,

曲がった邪悪な世代の中にあって

傷のない神の子どもとなり,

いのちのことばをしっかり握って,

彼らの間で世の光として輝くためです。

そうすれば,私は,

自分の努力したことがむだではなく,

苦労したこともむだでなかったことを,

キリストの日に誇ることができます。

たとい私が,

 あなたがたの信仰の供え物と

礼拝とともに,

注ぎの供え物となっても,

私は喜びます。

あなたがたすべてとともに喜びます。

あなたがたも

同じように喜んでください。

私といっしょに喜んでください。」


 
☆彡



(ガラテヤ5:22,23)


「御霊の実は,

愛,喜び,平和,

寛容,慈愛,善意,

忠実, 柔和,自制であって,

これらを否定する律法はない。」



聖書の話は,

喜びで貫かれています。





「復活に達したい」


(ピリピ3:10,11)


「私は,

キリストとその復活の力を知り,

またキリストの苦しみに

あずかることも知って,

キリストの死と同じ状態になり,

どうにかして,

死者の中からの復活に

達したいのです。」



パウロは,

キリストと一つになるという

信仰がありました。


それは,

キリストの十字架と復活が,

自分の中に

起きるということです。





キリスト・イエスによって捕えられる


(ピリピ3:12)


「わたしが

すでにそれを得たとか,

すでに完全な者になっている

とか言うのではなく,

ただ捕えようとして

追い求めているのである。

そうするのは,

キリスト・イエスによって

捕えられているからである」



わたしたちが,

キリストと一つとなるというのは,

神によってなされることだといいます。


また,

キリストと一つとなることを

わたしたちが追い求めることです。




目標


(ピリピ3:13,14)


「兄弟たちよ。

私は,自分はすでに捕えたなどと

考えてはいません。

ただ,この一事に励んでいます。

すなわち,うしろのものを忘れ,

ひたむきに前のものに向かって進み,

キリスト・イエスにおいて

 上に召してくださる

神の栄冠を得るために,

 目標を目ざして

一心に走っているのです。」


 「上への召し」とは,

主の再臨のときのことです。



このとき,

イエス・キリストを信じる者は

 「神の栄冠」を得ることが出来るのです。





思い煩ってはならない


(ピリピ4:6)


「何事も思い煩ってはならない。

ただ,

事ごとに,感謝をもって

祈と願いとをささげ,

あなたがたの求めるところを

神に申し上げるがよい。」






称賛に値するものを心にとめなさい


(ピリピ4:8)


「最後に,兄弟たちよ。

すべて真実なこと,

すべて尊ぶべきこと,

すべて正しいこと,

すべて純真なこと,

すべて愛すべきこと,

すべてほまれあること,

また徳といわれるもの,

称賛に値するものがあれば,

それらのものを心にとめなさい。」


神が与えてくださる,

賞賛すべきものは,

心にとめておきなさいと

いいます。





神の秘けつ


(ピリピ4:12,13) 口語訳


「わたしは貧に処する道を知っており,

富におる道も知っている。

わたしは,

飽くことにも飢えることにも,

富むことにも乏しいことにも,

ありとあらゆる境遇に処する

秘けつを心得ている。

わたしを強くして下さるかたによって,

何事でもすることができる。」


神はすべてを可能にしてくださいます。


神が秘けつを知っているので,

わたしたちは神に頼ればよいのです。


わたしたちには,

いつも神が必要なのです。




2022-11-20









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