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朝の光(聖書の言葉)

ローマ1 1-3章 解説 2019-12-16

ローマ人への手紙 解説

(口語訳)


ローマ書をイエス・キリストの

生涯と言葉の書かれている

ヨハネの福音書と合わせて学びます。




ローマ1章


 
(ローマ1:3,4)

「御子に関するものである。
「御子は,
肉によればダビデの子孫から生れ,」
(1:3) 

イエス・キリストは神の受肉でした。


「聖なる霊によれば,
死人からの復活により,
御力をもって神の御子と定められた。
これがわたしたちの
主イエス・キリストである。」
(1:4)


イエスは復活によって,
神の御子であることを示しました。





聖霊によって,

イエス・キリストはよみがえった

神だと得分かります。


パウロは,

イエス・キリストが

聖霊のバプテスマを受け,

十字架にかかり,

復活した方だと証言しました。




互いに励まし合う


(ローマ1:11,12)口語訳

「わたしは,
あなたがたに会うことを
熱望している。
あなたがたに霊の賜物を
幾分でも分け与えて,
力づけたいからである。
それは,あなたがたの中にいて,
あなたがたとわたしとの
お互の信仰によって,
共に励まし合うために
ほかならない。」


パウロが手紙を書いたのは,

共に励まし合うためでした。


信仰には,励ますことと,

励まされることが必要のようです。


パウロの時代は,

イエスを信じる者は,

水のバプテスマと同時に,

異言の伴う

聖霊のバプテスマを受けていました。


パウロは「霊の賜物」が与えられ,

それによって教会で奉仕をしました。




福音とは


(ローマ1:15-17)口語訳

「わたしとしての切なる願いは,
ローマにいるあなたがたにも,
福音を宣べ伝えることなのである。
わたしは福音を恥としない。
それは,ユダヤ人をはじめ,
ギリシヤ人にも,
すべて信じる者に,
救を得させる神の力である。
神の義は,
その福音の中に啓示され,
信仰に始まり信仰に至らせる。
これは,
『信仰による義人は生きる』
と書いてあるとおりである。」


「福音」とは,「良い知らせ」です。


イエス・キリストの

十字架の死によって,

信じる者の罪が赦され,

永遠の命が与えられることです。


「福音」は,

イエス・キリストが神のみ子であり,

人として生まれ,

死人から復活したという知らせです。


「信じる」とは,

イエス・キリストを信じることであり,

福音の真理に同意し,

救い主を信頼することです。


「信仰」によって,

神の前にたち,自分が貧しくなり,

自分に死に,

イエス・キリストに

生きるようになります。


「救い」とは,罪の力,

死の恐怖,永遠の滅びからの

救いです。


イエス・キリストを信じることによって

救われます。


「義人は信仰によって生きる」は,

旧約聖書のハバクク書からの引用です。


(ハバクク2:4)

「見よ,
その魂の正しくない者は衰える。
しかし
義人はその信仰によって生きる。」


 ○


イエス・キリストの誕生と復活


(ローマ1:3,4)

「御子に関するものである。
御子は,
肉によればダビデの子孫から生れ,
聖なる霊によれば,
死人からの復活により,
御力をもって神の御子と定められた。
これがわたしたちの
主イエス・キリストである。」


イエス・キリストの復活は,

聖霊の働きです。



(ヨハネ1:1-5)

「初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは,
これによってできた。
できたもののうち,
一つとして
これによらないものはなかった。
この言に命があった。
そしてこの命は人の光であった。
光はやみの中に輝いている。
そして,やみはこれに勝たなかった。」




神による世界の創造


(ローマ1:19,20)

「神について知られることは,
彼らに明らかです。
それは神が明らかにされたのです。
神の,目に見えない本性,
すなわち神の永遠の力と神性は,
世界の創造された時からこのかた,
被造物によって知られ,
はっきりと認められるのであって,
彼らに弁解の余地はないのです。」


神について宣べています。


神については,

神によって創造された自然によって

知ることが出来るので,

神を知ることが出来ないという弁解は

出来ないといいます。




天地の創造は,

旧約聖書にしるされています。


(創世記1:26,27 口語訳)

「神はまた言われた,
『われわれのかたちに,
われわれにかたどって人を造り,
これに海の魚と,空の鳥と,家畜と,
地のすべての獣と,
地のすべての這うものとを治めさせよう』。
神は自分のかたちに人を創造された。
すなわち,神のかたちに創造し,
男と女とに創造された。」



(創世記1:31 口語訳)

「神が造ったすべての物を
見られたところ,
それは,はなはだ良かった。
夕となり,また朝となった。
第六日である。」


神が造ったものは

「はなはだ良かった」のです。


初めの人が罪を犯したため,

今私たちに罪があり,

神がわからなくなっているのです。





ローマ2章 


永遠のいのち


(ローマ2:6-8)

「神は,おのおのに,
そのわざにしたがって報いられる。
すなわち,
一方では,耐え忍んで善を行って,
光栄とほまれと
朽ちぬものとを求める人に,
永遠のいのちが与えられ,
他方では,党派心をいだき,
真理に従わないで不義に従う人に,
怒りと激しい憤りとが加えられる。」



(ヨハネ3:16)

「神はそのひとり子を賜わったほどに,
この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が
ひとりも滅びないで,
永遠の命を得るためである。」




律法と福音


(ローマ2:12,13口語訳)

「そのわけは,
律法なしに罪を犯した者は,
また律法なしに滅び,
律法のもとで罪を犯した者は,
律法によってさばかれる。
なぜなら,律法を聞く者が,
神の前に義なるものではなく,
律法を行う者が,
義とされるからである。」


律法を成し遂げることは,

わたしたちにはできません。


律法によって義は得られないのです。

ここでの「律法」とは,

十戒をはじめとする旧約聖書の

神から与えられた戒めです。



(ローマ1:17b フランシスコ会訳)

「『正しい人は
信仰によって生きるのである』
(ハバクク2:4)
と記されているとおりです。」






「霊による心の割礼」


(ローマ2:28,29)

「というのは,
外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく,
また,外見上の肉における
割礼が割礼でもない。
かえって,
隠れたユダヤ人がユダヤ人であり,
また,文字によらず霊による
心の割礼こそ割礼であって,
そのほまれは人からではなく,
神から来るのである。」



「割礼」とは,

神のたみとされた印です。


「霊による心の割礼」は,

聖霊によってなされます。






ローマ3章 


信仰による義


(ローマ3:21-24)口語訳

「しかし今や,
神の義が,律法とは別に,
しかも律法と預言者とによって
あかしされて,現された。
それは,イエス・キリストを信じる
信仰による神の義であって,
すべて信じる人に
与えられるものである。
そこにはなんらの差別もない。
すなわち,すべての人は
罪を犯したため,
神の栄光を
受けられなくなっており,
彼らは,価なしに,
神の恵みにより,
キリスト・イエスによる
あがないによって
義とされるのである。」


イエス・キリストを信じるだけで,

わたしたちの全ての罪は赦されます。


イエス・キリストが

十字架の上で肉を裂き,

血を流してくださったのは,

わたしたちを救うためでした。


イエス・キリストを信じるなら,

「もうあなたの内には

一つも悪いところが見つからない。

あなたは正しい人間である」

と神から認めていただけます。


このことを知るときに,

私たちは自分がいかに高価で

尊い存在であるかに

気づくことができるのです。


神の救いは,

いかに恵み深いことでしょう。


この神の愛を味わった人は,

喜びに生きることができます。


この神の愛を受け取りましょう。


わたしたちは,神に愛されています。


(ローマ3:24 フランシスコ会訳)

「キリスト・イエスの
あがないの業を通して,
神の恵みにより
無償で正しい者とされるのです。」




なだめの供え物 


(ローマ3:25,26)

「神は,キリスト・イエスを,
その血による,
また信仰による,
なだめの供え物として,
公にお示しになりました。
それは,ご自身の義を現わすためです。
というのは,
今までに犯されて来た罪を
神の忍耐をもって
見のがして来られたからです。
(3:25)
それは,
今の時にご自身の義を
現わすためであり,
こうして神ご自身が義であり,
また,イエスを信じる者を義と
お認めになるためなのです。
(3:26)」



「なだめの供え物」とは,

贖罪所の契約の箱のふたに,

小羊の血が注がれることです。


「なだめの供え物」とは,

人々のあらゆる不敬虔と不正とに対して

「神の怒り」を

なだめるためのものでした。


イエス・キリストの流され血は,

「なだめの供え物」として

信じる者の罪を赦すためでした。


「信仰による」とは,

イエス・キリストの与えてくださる

恵みを受け入れることです。






なだめの供え物


(ローマ3:25 新改訳)

「神は,キリスト・イエスを,
その血による,
また信仰による,
なだめの供え物として,
公にお示しになりました。
それは,
ご自身の義を現わすためです。
というのは,
今までに犯されて来た罪を
神の忍耐をもって
見のがして来られたからです。」


「なだめの供え物」とは,

「贖罪所のふた」とも訳せます。


「贖罪所のふた」とは,

至聖所の中に置かれた

契約の箱の蓋のことです。


旧約聖書の時代では,

大祭司が贖罪日に小羊をほふり,

血を契約の蓋に注ぎました。


このことによって,

神は民との和解を成しました。


イエス・キリストが

「贖罪所の蓋」として,

わたしたちの罪の赦しのために,

ご自身の血を流してくださいました。


旧約聖書では,

羊などの動物の血が必要でした。


この動物の血は,

イエス・キリストの血(いのち)を

示していました。


 ○


イエスの十字架での死は

罪人の救いでした。


イエスの業は完成しました。


(ヨハネ19:27-30)

それからこの弟子に言われた,
「ごらんなさい。
これはあなたの母です」。
そのとき以来,
この弟子は
イエスの母を自分の家に引きとった。
そののち,
イエスは今や万事が
終ったことを知って,
「わたしは,かわく」と言われた。
それは,
聖書が全うされるためであった。
そこに,
酢いぶどう酒がいっぱい
入れてある器がおいてあったので,
人々は,
このぶどう酒を含ませた海綿を
ヒソプの茎に結びつけて,
イエスの口もとにさし出した。
すると,
イエスはそのぶどう酒を受けて,
「すべてが終った」と言われ,
首をたれて息をひきとられた。






2019-12-16


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