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朝の光(聖書の言葉)

ヨハネの福音書  まことの光 (ヨハネ1:9)ほか  2023.2.9

 ヨハネの福音書     




まことの光


(ヨハネ1:9)口語訳


「すべての人を照す

まことの光があって,

世にきた。」


「まことの光」とは,

イエス・キリストです。


ヨハネの福音書による

イエスの降誕です。


このイエスを受け入れた人は

神の子となります。


(ヨハネ4:12)口語訳

「彼を受けいれた者,
すなわち,
その名を信じた人々には,
彼は神の子となる力を
与えたのである。」





神はそのひとり子を賜わった


(ヨハネ3:16)  口語訳


「神はそのひとり子を

賜わったほどに,

この世を愛して下さった。

それは御子を信じる者が

ひとりも滅びないで,

永遠の命を得るためである。」




罪の赦し


(マルコ3:28,29)


「はっきり言っておく。

人の子らが犯す罪や

どんな冒涜の言葉も,

すべて赦される。

しかし,

聖霊を冒涜する者は

永遠に赦されず,

永遠に罪の責めを負う。」



「人の子ら」(私たち)は,

イエス・キリストを

信じることによって,

罪が赦されます。


聖霊を受け入れることによって,

永遠に罪が赦されます。




湖の上を歩く奇蹟


(ヨハネ6:20)


「イエスは彼らに言われた。

『わたしだ。

恐れることはない。』」



湖の上に歩いて近ずく

イエスを見て,

弟子たちは恐れます。


イエスは

「わたしだ。恐れることはない。」

と言います。


「わたしだ」は,

ギリシャ語では

「エゴ―・エイミ」です。


イエスが神であることを

意味しています。


弟子たちは,

イエスを喜んで舟に迎えます。


舟はほどなく目的の地に着きます。


困難の中にある弟子たちに,

イエスは近づいて下さり,

助けてくださいました。



☆彡



(ヨハネ6:16-21)新改訳

「夕方になって,
弟子たちは湖畔に降りて行った。
そして,舟に乗り込み,
カペナウムのほうへ
湖を渡っていた。
すでに暗くなっていたが,
イエスはまだ彼らのところに
来ておられなかった。
湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。
こうして,
四,五キロメートルほど
こぎ出したころ,
彼らは,
イエスが湖の上を歩いて
舟に近づいて来られるのを見て,
恐れた。
しかし,
イエスは彼らに言われた。
『わたしだ。恐れることはない。』
それで彼らは,
イエスを喜んで舟に迎えた。
舟はほどなく目的の地に着いた。」




命のパン


(ヨハネ6:48)


「わたしは命のパンである。」


イエスは,

5つのパンと2匹の魚から,

5千人の人々を満腹させました。

その後のイエスの言葉です。


☆彡


(ヨハネ6:48-51)

「わたしは命のパンである。
あなたがたの先祖は
荒野でマナを食べたが,
死んでしまった。
しかし,
天から下ってきた
パンを食べる人は,
決して死ぬことはない。
わたしは天から下ってきた
生きたパンである。
それを食べる者は,
いつまでも生きるであろう。
わたしが与えるパンは,
世の命のために与える
わたしの肉である。」




わたしもあなたを罰しない


(ヨハネ8:10-11)


「そこで

イエスは身を起して女に言われた,

『女よ,みんなはどこにいるか。

あなたを罰する者は

なかったのか』。

女は言った,

『主よ,だれもいません』。

イエスは言われた,

『わたしもあなたを罰しない。

お帰りなさい。

今後はもう罪を犯さないように』。



女はイエスに「主よ」と呼び,

イエスへの信仰を表します。


イエス・キリストは,

この女の罪を赦します。


イエスは次のように言います。

「わたしもあなたを罰しない。

お帰りなさい。

今後はもう罪を犯さないように。」


罪の内容は別として,

私たちもまた

この女と同じ罪人です。


私たちもまた,

イエスを主よと呼ぶと

罪は赦されます。





「わたしは良い羊飼いである。」


(ヨハネ10:14)新共同訳


「わたしは良い羊飼いである。

わたしは自分の羊を知っており,

羊もわたしを知っている。」



イエスは愛に満ちています。

良い羊飼いです。


私たちはこの羊飼いである

イエスの声を聴き,従う者です。




ラザロのよみがえり


(ヨハネ11:25)口語訳 


「イエスは彼女に言われた,

『わたしはよみがえりであり,

命である。

わたしを信じる者は,

たとい死んでも生きる。』」



イエスが,

ラザロの姉妹のマルタに言います。


わたしたちもラザロのように

肉体は死にます。


イエスを信じる者は,

「終りの日のよみがえり」ます。


そして,

「いつまでも死なない」

永遠のいのちが

与えられています。



☆彡


(ヨハネ11:23-27)口語訳 


イエスはマルタに言われた,

「あなたの兄弟は

よみがえるであろう」。

マルタは言った,

「終りの日のよみがえりの時

よみがえることは,

存じています」。

イエスは彼女に言われた,

「わたしはよみがえりであり,

命である。

わたしを信じる者は,

たとい死んでも生きる。

また,生きていて,

わたしを信じる者は,

いつまでも死なない。

あなたはこれを信じるか」。

マルタはイエスに言った,

「主よ,信じます。

あなたが

この世にきたるべきキリスト,

神の御子であると

信じております」。





一粒の麦


(ヨハネ12:24)


「よくよく

あなたがたに言っておく。

一粒の麦が地に落ちて死ななければ,

それはただ一粒のままである。

しかし,もし死んだなら,

豊かに実を結ぶようになる。」


イエスの

ユダヤ教に改宗したギリシャ人への

言葉です。


イエスが十字架にかかる前,

短く必要な教えを語られました。



「一粒の麦」とは,

この言葉を語られた

イエス・キリスト

ご自身のことです。


イエス・キリストは

十字架にかけられ死にましたが,

復活しました。



また信じる者に,

わたしたちが死に,

キリストに生きるようにと

言っています。






弟子たちの足を洗う


(ヨハネ13:14,15)


「それで,

主であり師であるこのわたしが,

あなたがたの足を

洗ったのですから,

あなたがたもまた

互いに足を洗い合うべきです。

わたしが

あなたがたにしたとおりに,

あなたがたもするように,

わたしはあなたがたに

模範を示したのです。」


当時,

足を洗うことは

奴隷の仕事でした。


イエスが人々の罪のために

十字架で死ぬ犠牲の行為を

象徴しています。


イエスの弟子が足を洗う行為は

弟子への模範です。




互に愛し合いなさい


(ヨハネ13:34口語訳)


「わたしは,

新しいいましめを

あなたがたに与える,

互に愛し合いなさい。

わたしがあなたがたを

愛したように,

あなたがたも

互に愛し合いなさい。」


弟子への新しいいましめは,

互いに愛しなさいというものです。




イエスの弟ヤコブは

次のように言っています。


(ヤコブ4:10)口語訳 

「主のみまえにへりくだれ。

そうすれば,

主は,

あなたがたを

高くして下さるであろう。」





父の家


(ヨハネ14:2a)


「わたしの父の家には,

住まいがたくさんあります。」


イエスのいう「父の家」とは,

天国のことです。


イエス・キリストは

十字架にかかり,

復活し,天に昇ります。


その天から

聖霊をおくってくださいます。


そして,

イエス・キリストは

再び来られます。


そのとき,

わたしたちも天にのぼり

「父の家」(神の家)

である天国で,

イエス・キリストと永遠に交わり,

共にいることになります。




もう一人の助け主


(ヨハネ14:16)


「わたしは父にお願いします。

そうすれば,

父はもうひとりの助け主を

あなたがたにお与えになります。

その助け主が

いつまでもあなたがたと,

ともにおられるためにです。」


イエスを信じる者に

「もうひとりの助け主」

が与えられます。


この「助け主」とは聖霊です。


いつも

私たちと共にいて下さいます。

そして,

私たちを助けてくださいます。




再臨の約束


(ヨハネ14:28)


「『わたしは去って行くが,

またあなたがたのところに

帰って来る』と,

わたしが言ったのを,

あなたがたは聞いている。

もしわたしを愛しているなら,

わたしが父のもとに行くのを

喜んでくれるであろう。

父がわたしより

大きいかたであるからである。」


父なる神が

イエスより大きいと言います。


イエスは,地上で働かれたとき

神の働は制限されていました。


神は無限で,

わたしたち人間は有限です。


ですから,

神の一部しか分かりません。


しかし,

一部は神の言葉と

聖霊によってわかります。


神が存在すること,

信仰による救いが

聖書の言葉によってわかります。





「わたしはぶどうの木です」


(ヨハネ15:5a)


「わたしはぶどうの木で,

あなたがたは枝です。」



イエスの言葉です。


イエスを信じるなら,

イエスとつながります。


イエスを信じる者は

この言葉により

救いが分かります。




ピラトの尋問


(ヨハネ18:37)


「そこでピラトが,

『それでは,やはり王なのか』

と言うと,

イエスはお答えになった。

『わたしが王だとは,

あなたが言っていることです。

わたしは真理について

証しをするために生まれ,

そのためにこの世に来た。

真理に属する人は皆,

わたしの声を聞く。』」



イエスは,ピラトの質問に,

ご自身が王であり,

真理を明かすために

生まれたといいます。


ピラトの裁判は,

イエスがご自身を現わす

良い機会となりました。


そして,私たちが,

イエスとは何者か,

真理は何かと問われます。




イエスは神の国の王です。

また,真理そのものです。







平安があなたがたにあるように


(ヨハネ20:19)


「その日,

すなわち週の初めの日の

夕方のことであった。

弟子たちがいた所では,

ユダヤ人を恐れて

戸がしめてあったが,

イエスが来られ,

彼らの中に立って言われた。

『平安が

あなたがたにあるように。』」


復活のイエスは

弟子たちにあらわれます。

「平安があなたがたにあるように」

とは,ユダヤ人のあいさつです。


イエスは弟子たちに

「平安があるように」

と言っています。


復活のイエスは,

わたしたちに恐れではなく

平安を与えてくださいます。







2023-02-09

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