ヨハネの福音書
○
まことの光
(ヨハネ1:9)口語訳
「すべての人を照す
まことの光があって,
世にきた。」
「まことの光」とは,
イエス・キリストです。
ヨハネの福音書による
イエスの降誕です。
このイエスを受け入れた人は
神の子となります。
(ヨハネ4:12)口語訳
「彼を受けいれた者,
すなわち,
その名を信じた人々には,
彼は神の子となる力を
与えたのである。」
○
神はそのひとり子を賜わった
(ヨハネ3:16) 口語訳
「神はそのひとり子を
賜わったほどに,
この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が
ひとりも滅びないで,
永遠の命を得るためである。」
○
罪の赦し
(マルコ3:28,29)
「はっきり言っておく。
人の子らが犯す罪や
どんな冒涜の言葉も,
すべて赦される。
しかし,
聖霊を冒涜する者は
永遠に赦されず,
永遠に罪の責めを負う。」
「人の子ら」(私たち)は,
イエス・キリストを
信じることによって,
罪が赦されます。
聖霊を受け入れることによって,
永遠に罪が赦されます。
○
湖の上を歩く奇蹟
(ヨハネ6:20)
「イエスは彼らに言われた。
『わたしだ。
恐れることはない。』」
湖の上に歩いて近ずく
イエスを見て,
弟子たちは恐れます。
イエスは
「わたしだ。恐れることはない。」
と言います。
「わたしだ」は,
ギリシャ語では
「エゴ―・エイミ」です。
イエスが神であることを
意味しています。
弟子たちは,
イエスを喜んで舟に迎えます。
舟はほどなく目的の地に着きます。
困難の中にある弟子たちに,
イエスは近づいて下さり,
助けてくださいました。
☆彡
(ヨハネ6:16-21)新改訳
「夕方になって,
弟子たちは湖畔に降りて行った。
そして,舟に乗り込み,
カペナウムのほうへ
湖を渡っていた。
すでに暗くなっていたが,
イエスはまだ彼らのところに
来ておられなかった。
湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。
こうして,
四,五キロメートルほど
こぎ出したころ,
彼らは,
イエスが湖の上を歩いて
舟に近づいて来られるのを見て,
恐れた。
しかし,
イエスは彼らに言われた。
『わたしだ。恐れることはない。』
それで彼らは,
イエスを喜んで舟に迎えた。
舟はほどなく目的の地に着いた。」
○
命のパン
(ヨハネ6:48)
「わたしは命のパンである。」
イエスは,
5つのパンと2匹の魚から,
5千人の人々を満腹させました。
その後のイエスの言葉です。
☆彡
(ヨハネ6:48-51)
「わたしは命のパンである。
あなたがたの先祖は
荒野でマナを食べたが,
死んでしまった。
しかし,
天から下ってきた
パンを食べる人は,
決して死ぬことはない。
わたしは天から下ってきた
生きたパンである。
それを食べる者は,
いつまでも生きるであろう。
わたしが与えるパンは,
世の命のために与える
わたしの肉である。」
○
わたしもあなたを罰しない
(ヨハネ8:10-11)
「そこで
イエスは身を起して女に言われた,
『女よ,みんなはどこにいるか。
あなたを罰する者は
なかったのか』。
女は言った,
『主よ,だれもいません』。
イエスは言われた,
『わたしもあなたを罰しない。
お帰りなさい。
今後はもう罪を犯さないように』。
女はイエスに「主よ」と呼び,
イエスへの信仰を表します。
イエス・キリストは,
この女の罪を赦します。
イエスは次のように言います。
「わたしもあなたを罰しない。
お帰りなさい。
今後はもう罪を犯さないように。」
罪の内容は別として,
私たちもまた
この女と同じ罪人です。
私たちもまた,
イエスを主よと呼ぶと
罪は赦されます。
○
「わたしは良い羊飼いである。」
(ヨハネ10:14)新共同訳
「わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており,
羊もわたしを知っている。」
イエスは愛に満ちています。
良い羊飼いです。
私たちはこの羊飼いである
イエスの声を聴き,従う者です。
○
ラザロのよみがえり
(ヨハネ11:25)口語訳
「イエスは彼女に言われた,
『わたしはよみがえりであり,
命である。
わたしを信じる者は,
たとい死んでも生きる。』」
イエスが,
ラザロの姉妹のマルタに言います。
わたしたちもラザロのように
肉体は死にます。
イエスを信じる者は,
「終りの日のよみがえり」ます。
そして,
「いつまでも死なない」
永遠のいのちが
与えられています。
☆彡
(ヨハネ11:23-27)口語訳
イエスはマルタに言われた,
「あなたの兄弟は
よみがえるであろう」。
マルタは言った,
「終りの日のよみがえりの時
よみがえることは,
存じています」。
イエスは彼女に言われた,
「わたしはよみがえりであり,
命である。
わたしを信じる者は,
たとい死んでも生きる。
また,生きていて,
わたしを信じる者は,
いつまでも死なない。
あなたはこれを信じるか」。
マルタはイエスに言った,
「主よ,信じます。
あなたが
この世にきたるべきキリスト,
神の御子であると
信じております」。
○
一粒の麦
(ヨハネ12:24)
「よくよく
あなたがたに言っておく。
一粒の麦が地に落ちて死ななければ,
それはただ一粒のままである。
しかし,もし死んだなら,
豊かに実を結ぶようになる。」
イエスの
ユダヤ教に改宗したギリシャ人への
言葉です。
イエスが十字架にかかる前,
短く必要な教えを語られました。
「一粒の麦」とは,
この言葉を語られた
イエス・キリスト
ご自身のことです。
イエス・キリストは
十字架にかけられ死にましたが,
復活しました。
また信じる者に,
わたしたちが死に,
キリストに生きるようにと
言っています。
○
弟子たちの足を洗う
(ヨハネ13:14,15)
「それで,
主であり師であるこのわたしが,
あなたがたの足を
洗ったのですから,
あなたがたもまた
互いに足を洗い合うべきです。
わたしが
あなたがたにしたとおりに,
あなたがたもするように,
わたしはあなたがたに
模範を示したのです。」
当時,
足を洗うことは
奴隷の仕事でした。
イエスが人々の罪のために
十字架で死ぬ犠牲の行為を
象徴しています。
イエスの弟子が足を洗う行為は
弟子への模範です。
○
互に愛し合いなさい
(ヨハネ13:34口語訳)
「わたしは,
新しいいましめを
あなたがたに与える,
互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを
愛したように,
あなたがたも
互に愛し合いなさい。」
弟子への新しいいましめは,
互いに愛しなさいというものです。
○
イエスの弟ヤコブは
次のように言っています。
(ヤコブ4:10)口語訳
「主のみまえにへりくだれ。
そうすれば,
主は,
あなたがたを
高くして下さるであろう。」
○
父の家
(ヨハネ14:2a)
「わたしの父の家には,
住まいがたくさんあります。」
イエスのいう「父の家」とは,
天国のことです。
イエス・キリストは
十字架にかかり,
復活し,天に昇ります。
その天から
聖霊をおくってくださいます。
そして,
イエス・キリストは
再び来られます。
そのとき,
わたしたちも天にのぼり
「父の家」(神の家)
である天国で,
イエス・キリストと永遠に交わり,
共にいることになります。
○
もう一人の助け主
(ヨハネ14:16)
「わたしは父にお願いします。
そうすれば,
父はもうひとりの助け主を
あなたがたにお与えになります。
その助け主が
いつまでもあなたがたと,
ともにおられるためにです。」
イエスを信じる者に
「もうひとりの助け主」
が与えられます。
この「助け主」とは聖霊です。
いつも
私たちと共にいて下さいます。
そして,
私たちを助けてくださいます。
○
再臨の約束
(ヨハネ14:28)
「『わたしは去って行くが,
またあなたがたのところに
帰って来る』と,
わたしが言ったのを,
あなたがたは聞いている。
もしわたしを愛しているなら,
わたしが父のもとに行くのを
喜んでくれるであろう。
父がわたしより
大きいかたであるからである。」
父なる神が
イエスより大きいと言います。
イエスは,地上で働かれたとき
神の働は制限されていました。
神は無限で,
わたしたち人間は有限です。
ですから,
神の一部しか分かりません。
しかし,
一部は神の言葉と
聖霊によってわかります。
神が存在すること,
信仰による救いが
聖書の言葉によってわかります。
○
「わたしはぶどうの木です」
(ヨハネ15:5a)
「わたしはぶどうの木で,
あなたがたは枝です。」
イエスの言葉です。
イエスを信じるなら,
イエスとつながります。
イエスを信じる者は
この言葉により
救いが分かります。
○
ピラトの尋問
(ヨハネ18:37)
「そこでピラトが,
『それでは,やはり王なのか』
と言うと,
イエスはお答えになった。
『わたしが王だとは,
あなたが言っていることです。
わたしは真理について
証しをするために生まれ,
そのためにこの世に来た。
真理に属する人は皆,
わたしの声を聞く。』」
イエスは,ピラトの質問に,
ご自身が王であり,
真理を明かすために
生まれたといいます。
ピラトの裁判は,
イエスがご自身を現わす
良い機会となりました。
そして,私たちが,
イエスとは何者か,
真理は何かと問われます。
イエスは神の国の王です。
また,真理そのものです。
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平安があなたがたにあるように
(ヨハネ20:19)
「その日,
すなわち週の初めの日の
夕方のことであった。
弟子たちがいた所では,
ユダヤ人を恐れて
戸がしめてあったが,
イエスが来られ,
彼らの中に立って言われた。
『平安が
あなたがたにあるように。』」
復活のイエスは
弟子たちにあらわれます。
「平安があなたがたにあるように」
とは,ユダヤ人のあいさつです。
イエスは弟子たちに
「平安があるように」
と言っています。
復活のイエスは,
わたしたちに恐れではなく
平安を与えてくださいます。

2023-02-09