ヨハネの福音書 解説3
電車通勤のために
ヨハネ福音書は,
使徒ヨハネが85-90年ごろ,
エペソで書かれたと考えられています。
口語訳聖書引用
○
初めに言があった
(ヨハネ1:1)
「初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。」
この言はイエス・キリストです。
(ヨハネ1:12,13)
「しかし,彼を受けいれた者,
すなわち,その名を信じた人々には,
彼は神の子となる力を与えたのである。
それらの人は,
血すじによらず,肉の欲によらず,
また,人の欲にもよらず,
ただ神によって生れたのである。
ここでの言は,イエス・キリストです。
キリストを受け入れるものは,
神の子となる。」
イエス・キリストを受け入れるなら,
神の子となります。
○
イエス・キリスト,洗礼を受ける
(ヨハネ1:32-34)
「ヨハネはまたあかしをして言った,
『わたしは,
御霊がはとのように天から下って,
彼の上にとどまるのを見た。
わたしはこの人を知らなかった。
しかし,
水でバプテスマを授けるようにと,
わたしをおつかわしになったそのかたが,
わたしに言われた,
「ある人の上に,
御霊が下ってとどまるのを見たら,
その人こそは,
御霊によって
バプテスマを授けるかたである」。
わたしはそれを見たので,
このかたこそ神の子であると,
あかしをしたのである』」。
イエスの洗礼では,
聖霊が鳩のように天から降ります。
ペンテコステの時は,
炎のような舌に相応します。
(使徒2:3)
「また,舌のようなものが,
炎のように分れて現れ,
ひとりびとりの上にとどまった。」
イエス・キリストは
聖霊のバプテスマを受けましたが,
授ける方でもあります。
○
神殿を三日で立て直す
(ヨハネ2:19-22)
「イエスは彼らに答えて言われた,
『この神殿をこわしたら,
わたしは三日のうちに,
それを起すであろう』。
そこで,ユダヤ人たちは言った,
『この神殿を建てるのには,
四十六年もかかっています。
それだのに,あなたは三日のうちに,
それを建てるのですか』。
イエスは自分のからだである
神殿のことを言われたのである。
それで,
イエスが死人の中からよみがえったとき,
弟子たちは
イエスがこう言われたことを思い出して,
聖書とイエスのこの言葉とを信じた。」
イエス・キリストは,
復活を預言しました。
○
新しく生まれる。
(ヨハネ3:3)
「イエスは答えて言われた,
『よくよくあなたに言っておく。
だれでも新しく生れなければ,
神の国を見ることはできない』」。
(ヨハネ3:5)
「イエスは答えられた,
『よくよくあなたに言っておく。
だれでも,水と霊とから生れなければ,
神の国にはいることはできない。』」
「水」は,聖霊をあらわしています。
○
永遠の命
(ヨハネ3:16)
「神はそのひとり子を賜わったほどに,
この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が
ひとりも滅びないで,
永遠の命を得るためである。」
○
永遠の命に至る水
(ヨハネ4:13,14)
「イエスは女に答えて言われた,
『この水を飲む者はだれでも,
またかわくであろう。
しかし,わたしが与える水を飲む者は,
いつまでも,
かわくことがないばかりか,
わたしが与える水は,
その人のうちで泉となり,
永遠の命に至る水が,
わきあがるであろう。』」
「水」は,聖霊をあらわしています。
「生ける水」は,
人間の神への霊的な渇きをいやす,
あたらしい命です。
それは,
ペンテコステに与えられる聖霊です。
○
命のパン
(ヨハネ6:35)
「イエスは彼らに言われた,
『わたしが命のパンである。
わたしに来る者は
決して飢えることがなく,
わたしを信じる者は
決してかわくことがない。』」
5千人に食べ物を
与えた出来事につづいての言葉です。
ヨハネの福音書には,
聖餐式の記事がありません。
この言葉が聖餐式に相当しています。
出エジプトのマナは,
イエス・キリストをあらわしています。
○
生ける水の川
(ヨハネ7:37-39)
「祭の終りの大事な日に,
イエスは立って,叫んで言われた,
『だれでもかわく者は,
わたしのところにきて飲むがよい。
わたしを信じる者は,
聖書に書いてあるとおり,
その腹から生ける水が
川となって流れ出るであろう』。
これは,イエスを信じる人々が
受けようとしている
御霊をさして言われたのである。
すなわち,イエスはまだ栄光を
受けておられなかったので,
御霊がまだ
下っていなかったのである。」
仮庵祭でのイエスの言葉です。
イエス・キリストを信じる者は,
心の底から生ける水が,
川のように流れるようになります。
イエスが十字架にかけられ,
復活し,聖霊が下ります。
(ゼカリヤ14:8)
「その日には,
生ける水がエルサレムから流れ出て,
その半ばは東の海に,
その半ばは西の海に流れ,
夏も冬もやむことがない。」
(ヨハネ7:39)
「これは,イエスを信じる人々が
受けようとしている御霊を
さして言われたのである。
すなわち,
イエスはまだ栄光を
受けておられなかったので,
御霊がまだ下っていなかったのである。」
イエスの栄光は,
イエスの復活によってあらわされます。
そして,聖霊が下ります。
○
わたしもあなたを罰しない
(ヨハネ8:10-11)
「そこでイエスは
身を起して女に言われた,
『女よ,みんなはどこにいるか。
あなたを罰する者はなかったのか』。
女は言った,
『主よ,だれもいません』。
イエスは言われた,
『わたしもあなたを罰しない。
お帰りなさい。
今後はもう罪を犯さないように』。
○
世の光
(ヨハネ8:12)
「イエスは,
また人々に語ってこう言われた,
『わたしは世の光である。
わたしに従って来る者は,
やみのうちを歩くことがなく,
命の光をもつであろう』」。
「光」は,いのちそのものです。
また,イエス自身です。
(ヨハネ1:4)
「の言に命があった。
そしてこの命は人の光であった。」
(ヨハネ8:31,32)
「イエスは自分を信じた
ユダヤ人たちに言われた,
『もしわたしの言葉のうちに
とどまっておるなら,
あなたがたは,
ほんとうにわたしの弟子なのである。
また真理を知るであろう。
そして真理は,
あなたがたに
自由を得させるであろう』」。
「真理」もまた,
イエス・キリスト自身です。
○
盲人をいやす
(ヨハネ9:3)
「イエスは答えられた,
『本人が罪を犯したのでもなく,
また,その両親が犯したのでもない。
ただ神のみわざが,
彼の上に現れるためである。』」
このとき,
生まれつきの盲人を癒します。
(ヨハネ9:1-3)
「イエスが道をとおっておられるとき,
生れつきの盲人を見られた。
弟子たちはイエスに尋ねて言った,
『先生,この人が生れつき盲人なのは,
だれが罪を犯したためですか。
本人ですか,
それともその両親ですか』。
イエスは答えられた,
『本人が罪を犯したのでもなく,
また,その両親が犯したのでもない。
ただ神のみわざが,
彼の上に現れるためである』」
○
わたしは羊の門である
(ヨハネ10:7-10)
「そこで,イエスはまた言われた,
『よくよくあなたがたに言っておく。
わたしは羊の門である。
わたしよりも前にきた人は,
みな盗人であり,強盗である。
羊は彼らに聞き従わなかった。
わたしは門である。
わたしをとおってはいる者は救われ,
また出入りし,
牧草にありつくであろう。
盗人が来るのは,盗んだり,殺したり,
滅ぼしたりするためにほかならない。
わたしがきたのは,
羊に命を得させ,
豊かに得させるためである。』」
イエスはよい牧者として,
十字架でいのちを捨てられました。
その贖いの死によって,
羊は命を得,
命を豊かに得るためです。
○
神の業があらわれる。
(ヨハネ11:4)
「イエスはそれを聞いて言われた,
『この病気は死ぬほどのものではない。
それは神の栄光のため,
また,神の子がそれによって
栄光を受けるためのものである』」。
わたしたちは神のわざをあらわすことが,
人生の目的です。
(ヨハネ11:25)
「イエスは彼女に言われた,
『わたしはよみがえりであり,
命である。
わたしを信じる者は,
たとい死んでも生きる。』」
イエス・キリストを信じる者は
永遠のいのちを受け,
また終わりの日によみがえります。
(ヨハネ11:43,44)
「こう言いながら,
大声で『ラザロよ,出てきなさい』
と呼ばわれた。
すると,死人は手足を布でまかれ,
顔も顔おおいで包まれたまま,
出てきた。
イエスは人々に言われた,
『彼をほどいてやって,
帰らせなさい』」。
ラザロは,
イエスを信じる者が永遠の命を受け,
死者の中から復活が
おきることを示します。
○○
ヨハネの福音書 解説3 2
電車通勤のために 2019-12-06
王がろばの子に乗っておいでになる
(ヨハネ12:14-16)
「イエスは,ろばの子を見つけて,
その上に乗られた。それは
『シオンの娘よ,恐れるな。
見よ,
あなたの王が
ろばの子に乗っておいでになる』
と書いてあるとおりであった。
弟子たちは初めには
このことを悟らなかったが,
イエスが栄光を受けられた時に,
このことがイエスについて書かれてあり,
またそのとおりに,
人々が
イエスに対してしたのだということを,
思い起した。」
イエスがエルサレムに入ると,
歓迎を受けます。
(ゼカリヤ9:9)
「シオンの娘よ,
大いに喜べ,エルサレムの娘よ,
呼ばわれ。
見よ,あなたの王はあなたの所に来る。
彼は義なる者であって勝利を得,
柔和であって,ろばに乗る。
すなわち,ろばの子である子馬に乗る。」
この言葉によって,
イエスがろばに乗って
エルサレムにはいることが,
弟子たちに意味が分かります。
○
弟子の足を洗う。
(ヨハネ13:3-5)
「イエスは,
父がすべてのものを
自分の手にお与えになったこと,
また,自分は神から出てきて,
神にかえろうとしていることを思い,
夕食の席から立ち上がって,
上着を脱ぎ,
手ぬぐいをとって腰に巻き,
それから水をたらいに入れて,
弟子たちの足を洗い,
腰に巻いた手ぬぐいで
ふき始められた。」
(ヨハネ13:14)
「しかし,主であり,
また教師であるわたしが,
あなたがたの足を洗ったからには,
あなたがたもまた,
互に足を洗い合うべきである。」
イエス・キリストを信じる者の生き方は,
イエス・キリストを模範とすることです。
○
場所を用意しに行く
(ヨハネ14:1-3)
「あなたがたは,
心を騒がせないがよい。
神を信じ,
またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には,
すまいがたくさんある。
もしなかったならば,
わたしはそう言っておいたであろう。
あなたがたのために,
場所を用意しに行くのだから。
そして,行って,
場所の用意ができたならば,
またきて,
あなたがたをわたしのところに迎えよう。
わたしのおる所に
あなたがたもおらせるためである。」
天国にわたしたちは招かれています。
○
イエス・キリスト,聖霊を与える約束する
(ヨハネ14:15―17)
「もしあなたがたが
わたしを愛するならば,
わたしのいましめを守るべきである。
わたしは父にお願いしよう。
そうすれば,
父は別に助け主を送って,
いつまでもあなたがたと共に
おらせて下さるであろう。
それは真理の御霊である。
この世はそれを見ようともせず,
知ろうともしないので,
それを受けることができない。
あなたがたはそれを知っている。
なぜなら,それはあなたがたと共におり,
またあなたがたのうちにい
るからである。」
聖霊を与える約束です。
(使徒2:1-4)
「五旬節の日がきて,
みんなの者が一緒に集まっていると,
突然,
激しい風が吹いてきたような音が
天から起ってきて,
一同がすわっていた家いっぱいに
響きわたった。
また,舌のようなものが,
炎のように分れて現れ,
ひとりびとりの上にとどまった。
すると,一同は聖霊に満たされ,
御霊が語らせるままに,
いろいろな他の国の言葉で語り出した。」
○
(ヨハネ14:20)
「その日には,
わたしはわたしの父におり,
あなたがたはわたしにおり,
また,わたしがあなたがたにおることが,
わかるであろう。」
内なるキリスト
(ローマ8:14-17)
「すべて神の御霊に導かれている者は,
すなわち,神の子である。
あなたがたは再び恐れをいだかせる
奴隷の霊を受けたのではなく,
子たる身分を授ける霊を受けたのである。
その霊によって,
わたしたちは『アバ,父よ』
と呼ぶのである。
御霊みずから,
わたしたちの霊と共に,
わたしたちが神の子であることを
あかしして下さる。
もし子であれば,相続人でもある。
神の相続人であって,
キリストと栄光を共にするために
苦難をも共にしている以上,
キリストと共同の相続人なのである。」
○
再臨の約束
(ヨハネ14:28)
「『わたしは去って行くが,
またあなたがたのところに
帰って来る』と,
わたしが言ったのを,
あなたがたは聞いている。
もしわたしを愛しているなら,
わたしが父のもとに行くのを
喜んでくれるであろう。
父がわたしより
大きいかたであるからである。」
○
互に愛し合うため
(ヨハネ15:16,17)
「あなたが
たがわたしを選んだのではない。
わたしが
あなたがたを選んだのである。
そして,あなたがたを立てた。
それは,あなたがたが行って実をむすび,
その実がいつまでも残るためであり,
また,あなたがたがわたしの名によって
父に求めるものはなんでも,
父が与えて下さるためである。
これらのことを命じるのは,
あなたがたが互に愛し合うためである。」
○
助け主がくる
(ヨハネ16:7-10)
「しかし,わたしはほんとうのことを
あなたがたに言うが,
わたしが去って行くことは,
あなたがたの益になるのだ。
わたしが去って行かなければ,
あなたがたのところに
助け主はこないであろう。
もし行けば,
それをあなたがたにつかわそう。
それがきたら,
罪と義とさばきとについて,
世の人の目を開くであろう。
罪についてと言ったのは,
彼らがわたしを信じないからである。
義についてと言ったのは,
わたしが父のみもとに行き,
あなたがたは,
もはやわたしを見なくなるからである。
さばきについてと言ったのは,
この世の君がさばかれるからである。」
「助け主」,「真理の御霊」,
「弁護者」は聖霊のことです。
聖霊は,ペンテコステのときに,
この世に下ります。
○
イエス・キリストの栄光
(ヨハネ17:24)
「父よ,
わたしに与えてくださった人々を,
わたしのいる所に,
共におらせてください。
それは,
天地創造の前からわたしを愛して,
与えてくださったわたしの栄光を,
彼らに見せるためです。」
イエスが,
十字架につけられる前の祈りです。
次のように祈って終わります。
(ヨハネ17:26)
「わたしは御名を彼らに知らせました。
また,これからも知らせます。
わたしに対するあなたの愛が
彼らの内にあり,
わたしも彼らの内に
いるようになるためです。」
○
ユダヤ人の王か
(ヨハネ18:33)
「さて,ピラトはまた官邸にはいり,
イエスを呼び出して言った,
『あなたは,ユダヤ人の王であるか』」。
ピラトがイエスに尋ねました。
イエスが王であると認めれば,
政治犯として,
裁判にかけられ,政治犯として,
十字架にかけられる,死刑となります。
(ヨハネ18:36)
「イエスは答えられた,
『わたしの国はこの世のものではない。
もしわたしの国がこの世のものであれば,
わたしに従っている者たちは,
わたしをユダヤ人に渡さないように
戦ったであろう。
しかし事実,
わたしの国はこの世のものではない』」。
イエスは神の国の王なのです。
○
「すべてが終った」
(ヨハネ19:28-30)
「そののち,
イエスは今や万事が終ったことを知って,
『わたしは,かわく』と言われた。
それは,
聖書が全うされるためであった。
そこに,酢いぶどう酒がいっぱい
入れてある器がおいてあったので,
人々は,このぶどう酒を含ませた
海綿をヒソプの茎に結びつけて,
イエスの口もとにさし出した。
すると,イエスはそのぶどう酒を受けて,
『すべてが終った』と言われ,
首をたれて息をひきとられた。」
十字架につけられたイエスは
「かわく」といいます。
イエスは人としての苦しみを味わいました。
詩篇69:21が実現しました。
(詩篇69:21)
「彼らは
わたしの食物に毒を入れ,
わたしのかわいた時に
酢を飲ませました。」
「すべて終わった」は「成し遂げられた」,
「完了した」とも訳されています。
贖いの業(神のなす救いの業)は
「すべて終わった」といいます。
イエスは,
わたしたち罪びとの身代わりとして,
十字架にかかりました。
救いの業を成し遂げました。
(1コリント5:7)
「新しい粉のかたまりになるために,
古いパン種を取り除きなさい。
あなたがたは,
事実パン種のない者なのだから。
わたしたちの過越の小羊である
キリストは,
すでにほふられたのだ。」
(エペソ1:7)
「わたしたちは,
御子にあって,
神の豊かな恵みのゆえに,
その血によるあがない,
すなわち,
罪過のゆるしを受けたのである。」
○
イエス・キリスト復活する
(ヨハネ20:19-23)
「その日,すなわち,
一週の初めの日の夕方,
弟子たちはユダヤ人をおそれて,
自分たちのおる所の
戸をみなしめていると,
イエスがはいってきて,
彼らの中に立ち,
『安かれ』と言われた。
そう言って,手とわきとを,
彼らにお見せになった。
弟子たちは主を見て喜んだ。
イエスはまた彼らに言われた,
『安かれ。
父がわたしをおつかわしになったように,
わたしもまたあなたがたをつかわす』。
そう言って,
彼らに息を吹きかけて仰せになった,
『聖霊を受けよ。
あなたがたがゆるす罪は,
だれの罪でもゆるされ,
あなたがたがゆるさずにおく罪は,
そのまま残るであろう』。
イエス・キリストが
十字架につけられた後,
弟子たちは恐れていました。
弟子たちに
復活したいイエス・キリストが現れます。
そして,「聖霊を受けよ。」と言います。
○
復活のイエス,ペテロに会う
(ヨハネ21:4)
「夜が明けたころ,
イエスが岸に立っておられた。
しかし弟子たちはそれが
イエスだとは知らなかった。」
ペテロが漁をしていたとき,
復活したイエス・キリストに会います。
(ヨハネ21:4-14)
「夜が明けたころ,
イエスが岸に立っておられた。
しかし弟子たちは
それがイエスだとは知らなかった。
イエスは彼らに言われた,
『子たちよ,何か食べるものがあるか』。
彼らは『ありません』と答えた。
すると,イエスは彼らに言われた,
『舟の右の方に網をおろして見なさい。
そうすれば,何かとれるだろう』。
彼らは網をおろすと,
魚が多くとれたので,
それを引き上げることができなかった。
イエスの愛しておられた弟子が,
ペテロに『あれは主だ』と言った。
シモン・ペテロは主であると聞いて,
裸になっていたため,
上着をまとって海にとびこんだ。
しかし,
ほかの弟子たちは舟に乗ったまま,
魚のはいっている網を引きながら
帰って行った。
陸からはあまり遠くない
五十間ほどの所にいたからである。
彼らが陸に上って見ると,
炭火がおこしてあって,
その上に魚がのせてあり,
またそこにパンがあった。
イエスは彼らに言われた,
『今とった魚を少し持ってきなさい』。
シモン・ペテロが行って,
網を陸へ引き上げると,
百五十三びきの大きな魚で
いっぱいになっていた。
そんなに多かったが,
網はさけないでいた。
イエスは彼らに言われた,
『さあ,朝の食事をしなさい』。
弟子たちは,主であることが
わかっていたので,
だれも『あなたはどなたですか』
と進んで尋ねる者がなかった。
イエスはそこにきて,
パンをとり彼らに与え,
また魚も同じようにされた。
イエスが死人の中からよみがえったのち,
弟子たちにあらわれたのは,
これで既に三度目である。」
2019-12-06