神の憐れみ
(ルカ15:20)
「そして,
彼はそこをたち,
父親のもとに行った。
ところが,
まだ遠く離れていたのに,
父親は息子を見つけて,
憐れに思い,
走り寄って首を抱き,
接吻した。」
イエスの放蕩息子のたとえに
出てくるお父さんは,
イエス御自身ではないでしょうか。
罪人を無条件で受け入れてくださる
方だからです。
☆彡
旧約聖書の預言者たちは,
神が憐れみ深く,
慈しみ深い方だと教えました。
旧約聖書の預言の書「哀歌」には,
神の憐れみを次のように述べています。
(哀歌3:22-26)
「主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。
『あなたの真実はそれほど深い。
主こそわたしの受ける分』と
わたしの魂は言い,
わたしは主を待ち望む。
主に望みをおき尋ね求める魂に,
主は幸いをお与えになる。
主の救いを黙して待てば,
幸いを得る。」
憐れみは,イエス・キリストの性質です。
イエス・キリストはわたしたちに慈しみ,
憐れみ,やさしくしてくださいます。
そして,慈しみ,憐れみ,やさしさは
神がわたしたちに与えてくださいます。
わたしたちも
このイエスのようになりたいと思います。
わたしたちが,
この世での生活で最も大切なものが,
慈しみ,憐れみ,
やさしさではないでしょうか。
☆彡
放蕩息子のたとえ
(ルカ15:11-32 口語訳)
また言われた,
「ある人に,ふたりのむすこがあった。
ところが,弟が父親に言った,
『父よ,あなたの財産のうちで
わたしがいただく分をください』。
そこで,
父はその身代をふたりに分けてやった。
それから幾日もたたないうちに,
弟は自分のものを全部とりまとめて
遠い所へ行き,
そこで放蕩に身を持ちくずして
財産を使い果した。
何もかも浪費してしまったのち,
その地方にひどいききんがあったので,
彼は食べることにも窮しはじめた。
そこで,
その地方のある住民のところに行って
身を寄せたところが,
その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
彼は,豚の食べるいなご豆で
腹を満たしたいと思うほどであったが,
何もくれる人はなかった。
そこで彼は本心に立ちかえって言った,
『父のところには
食物のあり余っている雇人が
大ぜいいるのに,
わたしはここで飢えて死のうとしている。
立って,父のところへ帰って,こう言おう,
父よ,わたしは天に対しても,
あなたにむかっても,罪を犯しました。
もう,あなたのむすこと
呼ばれる資格はありません。
どうぞ,
雇人のひとり同様にしてください』。
そこで立って,父のところへ出かけた。
まだ遠く離れていたのに,
父は彼をみとめ,
哀れに思って走り寄り,
その首をだいて接吻した。
むすこは父に言った,
『父よ,わたしは天に対しても,
あなたにむかっても,罪を犯しました。
もうあなたのむすこと呼ばれる
資格はありません』。
しかし父は僕たちに言いつけた,
『さあ,早く,
最上の着物を出してきてこの子に着せ,
指輪を手にはめ,
はきものを足にはかせなさい。
また,
肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。
食べて楽しもうではないか。
このむすこが死んでいたのに生き返り,
いなくなっていたのに
見つかったのだから』。
それから祝宴がはじまった。
ところが,兄は畑にいたが,
帰ってきて家に近づくと,
音楽や踊りの音が聞えたので,
ひとりの僕を呼んで,
『いったい,これは何事なのか』
と尋ねた。
僕は答えた,
『あなたのご兄弟がお帰りになりました。
無事に迎えたというので,
父上が肥えた子牛を
ほふらせなさったのです』。
兄はおこって家に
はいろうとしなかったので,
父が出てきてなだめると,
兄は父にむかって言った,
『わたしは何か年もあなたに仕えて,
一度でもあなたの言いつけに
そむいたことはなかったのに,
友だちと楽しむために子やぎ一匹も
下さったことはありません。
それだのに,遊女どもと一緒になって,
あなたの身代を食いつぶした
このあなたの子が帰ってくると,
そのために肥えた子牛を
ほふりなさいました』。
すると父は言った,
『子よ,
あなたはいつもわたしと一緒にいるし,
またわたしのものは全部あなたのものだ。
しかし,このあなたの弟は,
死んでいたのに生き返り,
いなくなっていたのに
見つかったのだから,
喜び祝うのはあたりまえである』」。
2016-01-04