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朝の光(聖書の言葉)

第15問 「一本の指」 無門関から

第15問 「一本の指」 無門関から



どんな質問を受けても,

ただ指を一本立てるだけの倶胝(ぐてい)和尚がいた。

寺にきた客が小僧に法の説き方を尋ねた。

すると小僧は,和尚のように指を一本立てた。

それを見た和尚は,

小僧のその指を切り落としてしまった。

泣き叫んで逃げる小僧に,和尚はいった。

「おい,こっちを見ろ!」

小僧が首を向けると,和尚は例のごとく,

指を一本立てていた。

それを見て小僧は,その場で悟った。

 -無門関から-


  ○


「もし,あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら,

それを切って捨てなさい。

片手片足でいのちにはいるほうが,

両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは,

あなたにとってよいことです。」

(マタイ18:8)



手を切捨てでも救いを得なさいとイエスは言います。

人をつまずかすより,片手を捨てるほうが良いと言ったイエスは,

人を救うために,自分の命を捨てました。

イエス・キリストが十字架につけられた理由がここにあります。

愛の大きさは,犠牲の大きさによってわかります。


この公案によって悟りまで導くのであろうが,凡人には大変です。

禅の公案は,大変面白い。

しかし,その答え,あるいは解説の本はつまらないものが多い。

哲学,神学,仏教として見直すと面白くない。

聖書の言葉と比較するなら面白い。




(マタイ18:8-11)


そのとき,弟子たちがイエスのところに来て言った。
「それでは,天の御国では,だれが一番偉いのでしょうか。」
そこで,イエスは小さい子どもを呼び寄せ,
彼らの真中に立たせて,言われた。
「まことに,あなたがたに告げます。
あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り,
決して天の御国には,はいれません。
だから,この子どものように,自分を低くする者が,
天の御国で一番偉い人です。
また,だれでも,このような子どものひとりを,
わたしの名のゆえに受け入れる者は,
わたしを受け入れるのです。
しかし,わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は,
大きい石臼を首にかけられて,湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。
つまずきを与えるこの世は忌まわしいものです。
つまずきが起こることは避けられないが,
つまずきをもたらす者は忌まわしいものです。
もし,あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら,それを切って捨てなさい。
片手片足でいのちにはいるほうが,
両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは,
あなたにとってよいことです。
また,もし,あなたの一方の目が,あなたをつまずかせるなら,
それをえぐり出して捨てなさい。
片目でいのちにはいるほうが,両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは,
あなたにとってよいことです。
あなたがたは,この小さい者たちを,ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。
まことに,あなたがたに告げます。
彼らの天の御使いたちは,天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。
〔人の子は,滅んでいる者を救うために来たのです。〕

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