謹賀新年
雪の積もる穏やかな新年を迎えました。
今年もよろしくお願い致します。
===あたりまえのように森を感じて暮らす===
先日友人から、「念願叶い、“当たり前のように森を感じて暮らす”ことができます、竹内さん風に…。」と、嬉しいメールを受け取りました。彼はIターンで群馬県内の山村に移り住んで山村留学の仕事をしながら奥さん子どもと暮らしている人。以前山の家に来た時にはイノシシの肉をおみやげとして持ってきてくれた人…でもあります。今、住んでいる家よりさらに森に近い暮らしを求めていると聞いてはいたのですが、最近、自然豊かなところにある古民家を借りられることになったそうです。<森を感じる暮らし>をする人が近くで一人でも増えるのは私にとって嬉しいこと。
「毎日一回森に入ることを自分に課しています。」と私がことあるごとに言うと、たいていは、「それって頑張ってしている?」とか、「修行をしている人っていう感じ…?」なんて思われてしまいますが、そうじゃないです、全然。日本人ってもともと森との長い関わりの中で生きてきた民族。ほとんどすべてを森から頂く暮らしが長かった。「いただきます。」という私たちが食前に使っている言葉も、おそらくその感覚が色濃く残っているんですよね、キット。しかも、森からの搾取というカタチではなく森に生きるモノの一員として共に生きるような関係にあったのだと思います。最近は森から遠ざかったためにかなり鈍ってはいるものの、森と会話が出来る能力は修行せずとも持っていたりするのでは、と思っています。
かつてアガシー(アメリカの動物学育ての親と言われている科学者)は、机上で書物にたよる学生たちに“Study Nature,Not Books”という言葉を残しました。「この言葉の特に前半の訳しかたで西欧の人と日本人との違いが分かる。」ことを自著で述べているのは川崎謙氏(神と自然の科学史・講談社選書)です。後半の訳は<書物に頼らず…>でイイとして、みなさんは前半をどう訳しますか・・・?先に進む前にここでちょっと考えてみて下さい、是非。日本人はかなり多くの人が<自然から学ぶ>とか<自然に学ぶ>と訳すそうです。でも西欧の人のマインド(ロジックと言った方が良いかな)としてはNatureを目的語として扱う<自然を学ぶ>しかあり得ないのだそうです。
今日も森に入ってきました。いつもの年ならもう落ちてしまうはずのナラの木の葉がまだ沢山残っています。触れれば簡単に落ちるかなと思って触れてみるとそうでもない、「何で今年はそんなに頑張っているの?」と声をかけてしまいます。アオゲラがつがいで遊んでいて、思わず目をこらして動きを追います。木漏れ日がたくさん入るような所にはウバユリの花のあとがたくさんの種を入れてあちこちに立って、「まだ種が入っているかな。」とのぞき込んでしまいます。腐葉土がキレイに三角の山になって積まれているはずの場所ではなぜかでかい噴火口が…。イノシシの仕業です。私は森を感じて生きていたいと思っていますし、森に語りかけたい、森に語ってもらいたいと思っています。
変化の勢いが激しすぎる今の時代、変わりという面では非常に緩やかな森と関わりながら今年も暮らしたいと思っています。みなさん、今年も森に入りましょう。<タケ>
今年もよろしくお願い致します。
===あたりまえのように森を感じて暮らす===
先日友人から、「念願叶い、“当たり前のように森を感じて暮らす”ことができます、竹内さん風に…。」と、嬉しいメールを受け取りました。彼はIターンで群馬県内の山村に移り住んで山村留学の仕事をしながら奥さん子どもと暮らしている人。以前山の家に来た時にはイノシシの肉をおみやげとして持ってきてくれた人…でもあります。今、住んでいる家よりさらに森に近い暮らしを求めていると聞いてはいたのですが、最近、自然豊かなところにある古民家を借りられることになったそうです。<森を感じる暮らし>をする人が近くで一人でも増えるのは私にとって嬉しいこと。
「毎日一回森に入ることを自分に課しています。」と私がことあるごとに言うと、たいていは、「それって頑張ってしている?」とか、「修行をしている人っていう感じ…?」なんて思われてしまいますが、そうじゃないです、全然。日本人ってもともと森との長い関わりの中で生きてきた民族。ほとんどすべてを森から頂く暮らしが長かった。「いただきます。」という私たちが食前に使っている言葉も、おそらくその感覚が色濃く残っているんですよね、キット。しかも、森からの搾取というカタチではなく森に生きるモノの一員として共に生きるような関係にあったのだと思います。最近は森から遠ざかったためにかなり鈍ってはいるものの、森と会話が出来る能力は修行せずとも持っていたりするのでは、と思っています。
かつてアガシー(アメリカの動物学育ての親と言われている科学者)は、机上で書物にたよる学生たちに“Study Nature,Not Books”という言葉を残しました。「この言葉の特に前半の訳しかたで西欧の人と日本人との違いが分かる。」ことを自著で述べているのは川崎謙氏(神と自然の科学史・講談社選書)です。後半の訳は<書物に頼らず…>でイイとして、みなさんは前半をどう訳しますか・・・?先に進む前にここでちょっと考えてみて下さい、是非。日本人はかなり多くの人が<自然から学ぶ>とか<自然に学ぶ>と訳すそうです。でも西欧の人のマインド(ロジックと言った方が良いかな)としてはNatureを目的語として扱う<自然を学ぶ>しかあり得ないのだそうです。
今日も森に入ってきました。いつもの年ならもう落ちてしまうはずのナラの木の葉がまだ沢山残っています。触れれば簡単に落ちるかなと思って触れてみるとそうでもない、「何で今年はそんなに頑張っているの?」と声をかけてしまいます。アオゲラがつがいで遊んでいて、思わず目をこらして動きを追います。木漏れ日がたくさん入るような所にはウバユリの花のあとがたくさんの種を入れてあちこちに立って、「まだ種が入っているかな。」とのぞき込んでしまいます。腐葉土がキレイに三角の山になって積まれているはずの場所ではなぜかでかい噴火口が…。イノシシの仕業です。私は森を感じて生きていたいと思っていますし、森に語りかけたい、森に語ってもらいたいと思っています。
変化の勢いが激しすぎる今の時代、変わりという面では非常に緩やかな森と関わりながら今年も暮らしたいと思っています。みなさん、今年も森に入りましょう。<タケ>
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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今年もヨロシクお願いします。
今回のたよりにもあった文章ですが『Study Nature』の訳文、やはり私は多くの日本人が訳すように『自然に学ぶ』だと思ってました。
むしろその発想しかなかった・・・
数年後、数十年、数百年後の日本人はどう訳すんでしょうね?
"自然”に”自然”に入っていくのが一番”自然”なことなのかもしれないけど・・・意識をしなきゃ”自然”に入れないのも現状なのかしら?
(ちょっと言葉遊びしてしまった。。。)
今、「大江戸リサイクル事情」という本を読んでいるのですが…。
これも、「日本人て、へーー、そうだったんだ。」がたくさん書いてあって、新年早々考えさせられました。
江戸の住人たちのトイレからくみ取ったモノは、なかなかのお金で農家に引き取られていた。
ヨーロッパでは、農業では使われずオマルでしたものを、4階の住民ですら窓から外に捨てていた歴史が長くて、ベルサイユ宮殿はその臭さに辟易した王族が町を捨てて作ったモノ…。香水が発達したのも町が臭いことと関係している。などなど…。
新年からふさわしくないお話で失礼。
7日、楽しみにしています。
臭い話は人間味あるからキライじゃないですよ?
な~んていう臭いとは違いますが・・・
今、読んでいる本が終わったら読んでみようかしら?
ヨーロッパの文化もオモシロいですよね。ハイヒールもソレ関係から作られたものですし・・・
ともちゃんには、
さらにもう一冊お薦めしたい本が
あるんだけれど・・・。
それも良ければ、その時にどうぞ。
もう知っていると思うけれど、
カナちゃんから「アフリカに行くことになったので…」7日はキャンセルとの連絡がありました。
アフリカ、いいね。
そういえば、最近美津江と楽しんで読んだ本に、アフリカで生まれたフランス人の女の子の本があって。
これもとてもオモシロイです。
今年は雪が少なくて未だ岩鞍へユックリ行っておりません
そのうちにお邪魔したいと思っておるのですが....
是非機会を作ってお寄り下さい。