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無理が通れば 道理が引っ込む。

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ありあわせの 貴重な材料を無駄にしないこと。

2015-12-02 14:41:27 | 日記

    学校に勤務していたとき 他業界からの 転身で出会ったから 先輩諸氏から

    いろいろな助言を賜った。なかでも 学校では教頭職というと 悪役になる率が高い。

    そういう立場にいるから仕方がないのだが 学校の先生たちには 下積み時代という

    のが欠落している。自分がもどんな立場にいるかということにはあまりかかわりがない。

    就職したらすでに一国一城の主人だ。そんな先生集団に目を光らせ、ているのが教頭職である。

    先生たちは3年に一度は この教頭の近くに席を設けられる。ところが私の場合 幸か不幸が

    7年も教頭の前に席を置く羽目になった。近くに座ってみると、全く評判とは違うのである。

    私も学校につくのは早いほうだが、教頭も早い。到着すると彼はむ 新聞の広告を持ち出して

    裏に何も書いてない広告を選び メモ長を作る。メモ帳には起用一日の業務が 一枚一件

    順番通り記入され ホッチキスで止められる。一見かたずく都度屑箱に捨てられていく。

   彼は手帳というものを使わない。講演するときも 順番待ちの間に ポケットから 広告の

   メモ用紙に 公園の用紙を書いている。原稿は彼の頭の中に未整理のまま残っているらしい。

   私も その方法を学ぶことができた。   

   広告の裏を使って一枚に一つの要件を記して 所のがすんだら廃棄する。

   当時舶来の 合理的 能率的 作業処理ほうだったようだ。後でそのいきさつをまいたら

   京都大学を卒業して 証券会社に勤めたとき 先輩に教えられたこと太と話された。

   最近、風呂上がりに アンダーシャツを毎日着かえるが ほとんど10くらい来ていたものだ。

   めったに新品を買い求めたことはない。 もう糸が一本一本透けて見える。

   これは金をためることとは関係ありませんる念のため・

    冬の到来も今年はなお寒いだろう。


「独居して さみしからず。」

2015-12-02 14:04:57 | 日記

   年が明けたら、私にも 人生の 一区切りである 米寿を迎えることになる。

   それがどうしたという 呼びかけが聞こえてくる。そう何でもないことです。

   赤いちゃんちゃんこ来て子や孫に囲まれてという 夢にも思ったことはない。

   其れよりも太氏は米寿の日 黙然として 88歳の人生を冷たい目で己の無様さを見ることだろう。

   クリスチャンの妹から しきりと電話がくる。よもやまのも話の中で さまよっている私の魂

   をかぎつけたのか無臭きょえ談議に入る。

   私は宗教を信じないわけではない。幼いころから 私は祖母に手を引かれて お寺に通った。

   新人の大切さはよくわかる。

   米寿になったら 一切の妄執を去らなければいけないと思っている。今までは美しい花を見たらて

   ておって 家に持ち帰り 花瓶にさして飾って思うと思っていたが 以後は そっと して遠目で見つめていくことになる。

   できるだけ 平穏でありたいと思う。朝は自分でおかゆをして食べるのを

   楽しみにしている。コメの意凸部が足会えるようだ。新製品のPCの発売が連日報じられる。

   しかし げっぷを払いきるまで生きているという保証はない。。そう思うと手が出せない。

   【永遠の処女】と言われた腹節子さんが亡くなられた。誰にも知らせるなということで

   無くなられてからだいぶたった最近報じられた。彼女の演じた 《晩秋》のようにひっそりと。

   そういえば私たちには青春というものが欠落していた。夏から突然冬になる最近の乱暴な季節

   みたいなものだ。こどもから 大人になってしまったような そんな人生だったなあ。

   だから 子供たちも 私のすることはわからないと嘆いている。もう息子とは何年も話さない。

   娘も女房と二人で話し込んでいる。中にわたしが入り込んでいくと会話は途絶えて

   じゃーねーと母親に言葉を投げていく。それでも寂しくなってはいけないんだ。

   新聞を読んでいても 読む真似をしているに過ぎない。妄執去るべし。

   金言   「独居してさみしからず。」