「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるため、1999年よりひふみともこさんに下されている神示をお伝えします

神から人へ ◎人の行える救い 神縁を結ぶ◎

2015年02月11日 | 神から人へ


神から人へ。人から神へ。

これから後の人のため、よくよく残せよ。伝えてゆけよ。

人の救いを手伝えよ。己一人の精進になく、

全ての衆生が救わるるよう、努力を捧げて手伝えよ。

神から人へ、望まるる、想いを伝えて知らせてゆけよ。

今のこの世の乱れ、退廃、人の心の空白を、

埋めて満たせよ。潤せよ。さにて本日、何を問うや。





(この世の行について、神への感謝を深めること、人の救いを

お手伝いすること、神様のご存在を話してさしあげることの他に、

何をすればよいのでしょうか。

今、「神」と言うだけで、肩身の狭い想いをせねばなりません。)


神のため、己のなせる限りを懸けて、神に仕える幸を喜べ。

己を守ることもよし。今のこの世は、生き難き世なり。

なれど少しの勇気と献身。

そをもち神の手伝い望まば、神は喜び愛で使いなん。

今のこの世にある魂の、多くは使えず。お役に立たぬ。

神の嘆きを知りぬるならば、そこそを喜び、感謝すべし。





己独りの精進になし。全ての過去のご縁もあらん。

今世限りの縁ならば、何ゆえ かくなる奇しき出会いを、

賜り授かる意味ありや。 神とのご縁を尊べよ。

神との出会いを疎かにすな。己一人の努力にあらず。

そなたを導く神霊方の、ありがたき仕組みを、素直に受けよ。

理屈は要らぬ。理解も不要。ただに任せよ。束縛解けよ。

望めど望めぬ、み役ならずや。気付かず果てぬる命も多し。

己の先祖も救われなん。子孫の霊行、精進により。

なれば一人の命にあらず。霊行ならず。精進ならず。

今のこの世に生を受け、生かさる者は、責任重し。

勝手の欲望、願望のみにて、終わりぬるこそ 恐るべし。

人間心の偽善、正義は、ときにはあやまち、お役に立たず。

かえりて妨げ、邪魔となるのみ。なれば素直に従えよ。

人の間の噂、陰口。そを気にすなよ。わずらうなかれ。

人の世、浮き世のしがらみ。強く囚われ、拘るなかれ。

つまらぬことに関わるなかれ。なれば己を見失わず、

目標遥かに見定めて、今日のこの日を大切にせよ。





悩める人の心を、神の光に向かせんと、ことばをかけて慰めよ。

癒し、和ませ、導けよ。そのみで救われ、目覚まさん。

神との約束思い出さん。己のみ役を、生の意味を。

さなりて人は甦り、己の奥の神と出会い、正しき生を生きるのみ。

人の行う救いとは、神との縁結ぶこと、神のことばを伝えて、

神の心に高めゆくこと。神のことばを知らば、人の心は浄化され、

要らぬ疑問や困惑を、きれいに落として、高まりゆくなり。

人を救う最も易しく、誰にでもできる人の救いは、

神の心を伝えることのみ。





人間心の同情憐情、我を出す元なり、始めなり。

人を救うは、その者の、苦痛を和らげ癒すにあらず。

この世の苦しみ悲しみは、神の恵みの一つにあらば、

人間心の憐憫で、救うに見えども、かえりて邪魔なり。

神の心は一人一人の魂浄めて高めるためなり。

苦痛を和らげ悩みを解くは、神の心に任すべし。

人のなすべき救いは、一に神の存在を、

伝え目覚ます、それのみでよし。

人間心の無駄な頑張り、自分が直して救わんと、

さなる偽善は慎むべけれ。

人の心の安らぎは、神の存在近くに感じ、

守らることを信じる時なり。人の全てにおわする神を、

内なる心の奥底の、眠れる神を起こしてゆけよ。

光を与えて気付きし瞬間、神の存在、目覚めは始まる。

全ての目覚めを、つながりを、ひとつのほころびなきまでに、

つなげて広げよ。結びて回せよ。





今のこの世の、荒れぬる時なり。時代なり。

物質文明発達しすぎ、神を忘れし愚かな時よ。

なれど次には、必ず気付かん。己の愚昧を。浅薄を。

恥じて悔いなん。神に詫びん。そして許され、救われなん。

人の大なる救いには、厳しき禊ぎも必要なるらん。

そを耐え忍べよ乗り越えよ。

待つのみ、何もせぬは、少しの精進、禊ぎとならず。

時代を築き、次の世のため、今ある生を神に捧げよ。

神のお役に立つ運命を、さらに感謝し、敬虔なれよ。

一つの見えぬ神縁を、早くに気づかせ、結びてゆけよ。

なれば、神との縁は強まり、立て替え直しも進みゆかん。

さにて本日、神との縁と、人の救いのことを解きたり。

さらにも問いて、深めてゆけよ。

神のことばを、心を、意図を。さにて終わる。








神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋
ひふみともこさんHP http://wa-hifumi.info/

大神神社 狭井神社  三輪山の巫女「真理の御霊」  
http://plaza.rakuten.co.jp/poohsanmama/


神から人へ ◎嘘(うそ)について◎

2015年02月08日 | 神から人へ


(嘘をつくことは、どんなときにも許されないこと

でしょうか。)

さにあらず。

人には常に、隠したきこと、言いたくなきこと、

あらざるや。

人の知らせることのみが、正しき選択、策になし。

なれば、人は、ときに黙し、ときに真と異なりて、

多少の歪曲、脚色あらん。なれど、

常にそを続けなばついには人は信用失いて、

己を窮地に追い込み、苦しき境に立つも己よ。

なれば心し、嘘をつくなよ。必要なれば仕方なし、

人は真実現実を、直視する者、わずかなり。

多くは己の都合よきよう、己の利になることのみ見聞く。

ひとつの事実をそれぞれに、己の解釈、注釈入れて、

人に語るはその一部のみ。なれば嘘とは、全てが嘘なり。

人には事実は表せぬもの。再現するは、虚像偶像。

ひとつの事象に光を当てなば、影もあるらん、死角もできん。

人の解釈、そも入らん。あるいは誤解に基づくもあり。

なれば、人の話を聞くとき、全てを信ずはあやまち犯さん。




人の噂や、井戸端会議、毒にもならぬ陰口悪口、

そに耳貸すな。惑わさるるな。そこに真理のいかばかりある。

多くの口を出づるとき、人の汚れ(けがれ)をまとわん。

人は多くを語るなかれ。語るは言霊正しく表す、清きことばを

のみ語るべし。人の許さる語りとは、人をいたわる慰めと、

心和ます(なごます)ことばのみ。

他は心の汚れを映す、虚飾に満ちし虚言、妄言。

神の祝福受けたくば、神への感謝を祈りに表せ。

いかなるときにも神を敬い、神への帰依を忘れるまじ。

さなる心の正しき者なら、ことばも清く、音も涼しからん。

嘘偽りを咎む(とがむ)にあらず。人の語るに真実なければ。

神の戒め’いましめ)、諌め(いさめ)らるるは、

人の偽善の言葉なり。

己の嘘に気づきもせずに、己の正義を妄信す。

さなる独善、慢心こそは、ときに罪なり。害を及ぼす。

人の多くの忠言は、なかなか神の心に適わず。

真摯(しん し)に人のため思うなら、あだに優しきことばに

頼らず、ときに厳しきことばも必要。

なれど、そこにも我の入らば、そは偽善なり。自己満足のみ。




神の手伝い望みなば、己の考え、判断交えず、ただに神に

委ねる(ゆだねる)べし。

神との縁を結ぶのみにて、余計ないたわり、慰め入るるな。

そにて充分、神を助けん。神のお役に立ちぬるべし。

人の嘘とは、他愛なきもの。己をかばうためならば、

他を傷つける意図なくば、神も許して、見逃さん。

なれど、嘘にて人を苦しめ、人の不幸を増すものならば、

神は許さず、禊ぎ(みそぎ)を課されん。

嘘とはいずれは暴かるるもの。必ず露見し、粛清されん。

なれば、神は何もせで、自然の摂理に任せ待つのみ。

人の儚き(はかなき)虚偽虚構、神の前にはかげろうの如。

鏡の像を見紛う(みまがう)ことなく、真の姿を見極めるべし。

己の弱さを責めるなよ。人とは全て、脆き(もろき)もの。

弱さも脆さもあるがまま、人の全てを許し賜う、神の慈愛に

感謝捧げん。

弱さを責める意味もなし。弱さを補う強さのあらば、

何の不足も不便 もなからん。欠けたるものを嘆くより、

今あるものを慈しむ(いつくしむ)べし。

自ら非難し、指弾(しだん)するより、あやまち認め、

償う(つぐなう)努力を。人への誠の悔いと詫び。

己の弱さを見つめる強さ。そこそが次の一歩とならん。

自足し努力を怠ることこそ、人は恐れて戒むべけれ。

さにて本日嘘をつく人 の弱さについて教えたり。

向上進歩に務めるべし。さにて。








神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋
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