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思考の流れの書きとめ、詩、随筆、覚書(Weblog)
と写真(Weblog以外のカテゴリー)

そんな世界

2011-08-26 00:23:30 | Weblog
そう、私の目標はもっともっと上である
環境の居心地の良さにいつまでも身をゆだねてはいけない
私はまだまだ努力し続けるべきである
なぜなら私はまだ、私の力をまだまだ出せるからである


日本海の物哀しさ、それは
荒波の中にいるからだとするなら
それもまたおかし

太平洋の陽気さ、それが
太陽に照らされているからだとするなら
心もとなし


荒波の中でも光り輝きます






あの人との過去はすべて黒で塗りつぶされた
ほんの僅かな違いはとても大きな違いを意味して
そんな僅かな亀裂が世界を二つに分断し、
またあちらこちらで、どこもかしこも
世界が分断し、
この世の中は誰も誰をも理解しないように思われた



しかしひょんなきっかけで、
大きな鉄の塊に乗って飛んで行った場所で
ある日出会っていしまったりするものなのだ。
そう、世界はこんなにも分断されているが、
その、目に見える近くの溝を挟んだ向こう側が一番遠くて、
目に見えない場所のほうが近いような、そんな世界なんだ

そのからくりを知った今、
世界はとてつもなく
広く、大きく、狭く、小さく、そしてなんといっても



とにかく面白いのだ





独自の太陽

2011-04-25 18:15:58 | Weblog
自分のための独自の太陽を想像することができるのか。


隠れ家となる片隅と星があるのか。


後者がもしないとするなら前者を求め続けるほかないだろうが、
もしあるとするならどちらを選ぶだろうか。

くだらないこと

2011-02-22 18:35:15 | Weblog
くだらないことに関して後悔して
そのくだらなさに嫌気が差す
それがくだらないことであるが故に
後悔しているからといってやり直したり訂正したりするにも及ばない。
ましてや、後悔しているなどという言葉も不適切だ。

そういうくだらない出来事から派生して、
この思い通りに行かない内臓や粘膜のことについて思い悩み、
その思い悩む自分のくだらなさに嫌気が指して、
他のすべてのことがうまくいっているのに何もかもが嫌な気がしてしまう時
過去の憎しみが再発する

もうその手紙なんて捨ててしまおうかと考えている
いつかは綺麗な思い出になって、
その手紙もいい思い出の品になるかと思ってとっておいたけれども、
むしろ、手紙なんてものは誰にもらったなどに構わず捨てるべきかもしれない。
過去に思ったことが時空を超えて今に届けば、何かしらのゆがみだかひずみを生じかねない。しかし、手紙を捨てるのであれば、記憶を呼び戻すものすべてを捨てるべきである。

一連の物語

2010-11-28 19:58:51 | Weblog
マイクのコードがその芸術作品を一瞬で壊してしまった。


ひとつのピースを引き抜くだけで
いとも簡単に崩れ去ってしまうもの


人々はその崩壊に言葉を失う


しかしそれは、あらかじめ、仕組まれていたことだった。



創造すること、そのもの、そして崩壊までが一連の芸術作品なのだ。

失っていくのが

2010-10-10 21:53:58 | Weblog
どうしても表現しなければならない
強い思いや感情を失った時に
幸せになれるのかもしれない、もしかしたら



芸術家でなくなった時に
満たされるのかもしれない、なにもかもが



失っていくのが怖かった

いまは、失っていくのが、清々しい


こうやって私は、忘れていくでしょう




かつて想像すらしていなかった未来が
今ここにあって、
私が想像もできなかったような選択肢を
一つ選んで、またその先に
もっともっと想像していなかった未来の選択肢が
いくつか、あるのだから



他者意識

2010-08-21 19:46:08 | Weblog
個人と個人の間でカルチャーショックは起こり得る
たとえ彼らが同じ国の人であっても

他者意識が失われていく過程で
我々は人を信じるようになる
友情、恋愛、この世の中のあらゆるものが
他者を信じるということなしには成り立たない


薄まっていく他者意識


そうでなければ、我々の関係のあらゆるものが成立しないのだ


しかしその他者意識が
自分が抱いているのより
相手が抱いているものが遥かに薄く、
自分をほぼ完全に信用しきっている時
我々は逆に、その相手に、恐怖を抱くのではないか
あるいは、普段は考えつかないような
騙すということを、考えつくのではないか
信じたい、同じくらいに好きになりたいという思いとは裏腹に私たちは

文学

2010-08-02 18:12:04 | Weblog

あなたはもう忘れたんでしょう


決して消えることのない傷を
誰かが負っていることを
痛みが、未来を少しだけ台無しにしたことを





私は忘れたでしょう


何も知らなかった日々を


そう、私たちは嘘を教えられていたのだった
その嘘に気付いただけで、いい気になっていた
その先を考えていなければ、いけなかったのに


言葉のまほうに取り付かれた私たちは長い間、

その妄想がこの世にひとつしかない素晴らしい考えだと信じ込んでいた


でもそれは、おそらく間違いで
私たちは何より先に、傷つかない方法を学ぶべきだった



ほんの少しの時間の差で、
私たちは
存在のすべてを否定されるような出来事に何度も出くわしたけれど


今では、この存在が無条件に認められているから


例えばあなたが今更、何を言ってきたって




私はこの人を選ぶでしょう




image

2010-05-09 03:44:19 | Weblog

過去を否定するのをやめた
過去に書いた気に入らない文章を削除するのをやめた

それは、どうしても排除しなければならない過去などないと考えるようになったからだ。
また、排除することなどできないし、排除することは意味がないと知ったからだ。

そして、文章が、一つの人格だとするなら、生み出されたものは、他者の手の加えようがないものなのだ作り変えることも、歪曲することもできない



あらゆる人に、あらゆる視点によって解釈されるのみ



過去の自分と現在の自分は、時間的にはつながっていて、同一のものと言うこともできる。

しかしその肉体や思想、価値観は常に変化してきた。
その変化を、大まかに区切れば、
そこに複数の人格の存在が明らかになる


過去の私、その人格。


それは現在のわたしの手の加えようがない存在。

見られてきた、解釈されてきた
がゆえに過去の私は他者の中にも存在している

その他者には、現在のわたしも含む。
しかし過去の私は、現在のわたしの所有物ではない。
なぜなら過去の私は、過去の私として人格を複数の他者に認められているからだ。
そして今の私、それも同様に、わたしを含む他者によって認識されている。
つまり今の私すら、わたしの所有物ではないのだ。
複数の他者の認識によってその存在が、その人格が、認められる現在の私。


人格。
 
他者によってつくりあげられるイメージ。
その総体が、現在の私。

きっとわたしを中心として、その周りの人々の精神世界に点在し、それをつなぎ合わせたもの。
いつか無限に広がれるだろう。




でもそれは、わたしではないけど。








あてつけの死

2010-04-29 03:19:04 | Weblog



頑張ってみようかな。向いてないかな。




何かが終わりを、終焉を迎えようとしている

しかし私はそのことに気づきながら

終止符を打たずに、そのまま別の場所へ

行こうとしている それは、未練ではなく

憎んでいるでも愛しているでもなく

過去の美化保存でもなく

未来への希望でもなく、ただ単に

終止符を打つにも及ばないから

そのことが

きっと物事を曖昧にし、人をくだらない存在にする

でも何かしらの形を求めることが

なんだかまるで、あてつけの死みたいだから

こんなにも傷ついていて

こんなにも恨んでいて

こんなにも大っ嫌いだって、言うことが

本当は彼のためになるのかもしれないけど

一生会わないことが

本当はお互いのためになるのかもしれないけど