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思考の流れの書きとめ、詩、随筆、覚書(Weblog)
と写真(Weblog以外のカテゴリー)

関係性

2015-09-30 22:37:19 | Weblog

この関係性を何と呼ぼうか。





"意味" というものをもつ "言葉" というものがあるが故、



我々は、言葉、

いや簡潔な言葉に当てはまらないものやことがあると、


心許なさを感じるようになってしまった








しかしながら、 "言葉" にがっちり当てはまるものでさえ、

その実情は、

幾千ものバリエーションがあり、



実情は、

言葉の持つイメージと




かけ離れていることも多々、







あるのである。


葛藤。

2015-09-25 21:18:00 | Weblog
今まで感じたことのなかった切なさを感じています






大人になったが故の切なさです。



若い頃のように単純ではいかなくなることもあるのですね。














そのワード、久しぶりに聞きました。



いやむしろ、

こんなに近くで、人の口から、今の状況として、


聞いたのは初めてかもしれません。












条件を掲げてみたけれど、


それが最優先事項じゃない、ってことに気づきました。



しあわせになりたい

いや、幸せを感じていたい















そのためには、私の人生に、

あなたと一緒にいる、

時間が、





もっともっと必要みたいです。






偶然が偶然を呼んで

2015-09-08 23:12:16 | Weblog
職業は偶然に左右されるって誰かが言ってたな。




偶然に左右された職業で、

その職業繋がりで、

知り合った人と恋して結婚したとしたならば、




結婚は偶然に左右されるってことになるんだな。








運命を逆撫でてみたり、宿命に屈服してみたり、偶然を受け入れてみたり。


それが人生ってもんさね。




我々一般ピーポーには偶然の割合が多い気がする。











ともあれ、


偶然が偶然を呼んで、

全く運命でも宿命でも前世からの契りでもなんでもなくても、

ただの本当のただの偶然の積み重なりで出会ったとしても、そういう出会いなんだとしても

現実本位

2015-08-14 19:41:26 | Weblog
やはりリアル本位で。



出会えたってことを嬉しく思いたいのだし。






無限と思える世界の中から選ぶのなら、

もっといいものが...って思ってしまうものだし。







有限の中で、出会えた中で、その出会えた偶然を愛したいのだし。






同じ時代に生まれ、出会えたこと。

同じ志。




























































本当、好きになっちゃったかもしれない。


人の努力を想像できる人

2015-07-31 01:17:34 | Weblog
誰かへのあてつけのように、努力してきたことが


他の誰かに分かってもらえた。認めてもらえた。



やっと努力が報われたのだ。









まぁそもそも、

これがわからない人なんて、




あてつけが向けられた誰か




くらいのものだったが。








まぁよい。

まぁ、しかしわかることは第一段階で、


その次の段階もまたあるのである。




すごいね、と言うことは簡単で

そういう人たちはあまねく程いるのである。






私が探していたのはそういう人たちではなかった



影の努力を想像できる人間。



そういう人間は実は、あまり多くないのだ。






人の努力を想像できる人



それはすなわち

自分も努力している、


あるいは少なくとも


努力しようとしている人なのだ。


下地に塗られた暗色の絵具

2015-07-28 02:29:52 | Weblog
こんなに素敵な人に将来出会えるんだと



あの時知っていたならば、





あの時あんなに泣かなくて済んだだろう。















消えることのない傷も今では、



絵画の下地に塗られた暗色の絵具として、





その美しい絵画に


“深み”や“味”をもたらしている






























出会えた、ただそれだけでこんなにも嬉しいということが



いまだかつて、あっただろうか








程度の問題

2015-07-11 03:24:57 | Weblog
昔は同じような考えを持っていたのに
変わってしまったな




そう同じように、相手も思っているのかもしれない



自分は昔から ぶれていないような気がしていても、







人生の中で、環境の中で、少しずつ変化し、

ある部分が色濃くなったり、

またある部分が薄くなったり、してきたのであろう。




その、色濃くなる部分と、
薄くなる部分が、
お互いに正反対だったとしたならば。







変わってしまったな。になるんだろう




世界が違ってしまったな。になるんだろう








ああもはや、別の世界の住人か。

まあよい。

二度と会うこともないんだろう。



まあ、良い。

別にそれも決して、悪くはないのだ。







だって、誰の目の前にも、

その人自身の世界が広がっていることに

違いはないのだから。





長い人生の中の、
ほんの少しの期間だけでも
共感できる気持ちをもてていたこと、
そんなこともあったなぁと。


その程度でよいのである。







その程度のことなのである。



個人主義

2015-07-10 22:17:03 | Weblog
少しばかりの金と、少しばかりの優越感を失うことで得られた、この自由。





自由とは、こういうものなのだな。









劣等感は常につきまとう。


しかし、個人としての市場価値を考える。




私は、従順や、忠誠などは、売らない。















これが、私にとっての自由なのだ。





おそらく、このスキルとしては、最低賃金。







しかし、底辺にいるからこそ、

雲の上の世界を知らないからこそ、



金に縛られない。






組織の奴隷にはならない。



































ああ、これが、

私にとっての、

自由というものなのだ。

品格

2015-07-08 22:17:51 | Weblog



それを言うときいつも 少しためらう



分かってくれる人にだけ、分かってもらえればいいと思っているのだけれど







カテゴリーというもの。


その言葉の持つ意味、定義、イメージ




実際とは異なるとしても


実情は、全く違うのだとしても







一部の人はちゃんと分かってくれていると分かっているのだけれども









評価ということか。肩書きとはなんなのだろう。









もう最近では、一緒に学生生活を過ごした、とか、一緒に働いた、とか、

そういう人たちにしか

理解してもらえないような気がしていた。









けれども、そうではないこともあるのである!




それほど大きな、それほど長く、組織に属していても、

組織におかされない思想。その思想の持ち主。

そんな人がいたのである!






ああ、偶然というものに感謝すべきであろう。





同志、と呼べるような思想の持ち主。

そんな人が組織の中にいたのである!






我々のような、

社会の溝にいるような人間でなくても、

いたのである。






社会の溝にいたのなら、

いつだってそういう思想がつきまとうため、

思考をやめられないが故、

その故の思想でもあるのだが、




なんと、社会の溝に嵌っていなくても

その思想を携えている人がいたのである。



































その存在を知れたこと、出会えたことが
本当に嬉しいです。





MidCentury

2015-07-04 22:37:06 | Weblog
美しいと思わないものを家においてはならない







って言っていたっけ。ウィリアムモリスが。












今まさに、その気持ちだ






芸術を身近に感じることができること。



家、家具。















やはり、最終的にそこに行きつくのか。












生活になじむ芸術。デザイン。歴史。





究極はそれよね。やはり。


















既製品の美というものもあるのであるし