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思考の流れの書きとめ、詩、随筆、覚書(Weblog)
と写真(Weblog以外のカテゴリー)

積み木

2009-04-02 03:04:52 | Weblog
思い出に生きるためには、まず現実を生きねばならない


って誰かが言っていた



文章だけを書いて生きたいと思うのなら
もっともっと今を生きねばならないだろう

理想も空想も書かない

書くのは、過去と現実と、見通せる未来だけだ





別に、伝えたいことなど ないのかもしれない




どうしようもない虚しさ
どうしようもない不安
どうしようもない悲しみを
埋めているだけ


形のないままでは大小も濃度も分からない
どんどん膨らんでいって破裂するかもしれない
それを
言葉にすることで
保っている


例えば、積み木を積み重ねていって
これ以上積み重ねたら崩れてしまうというところで
魔法のスプレーをかけて全部固めちゃう
ような



そんな感じで私の身体は成り立っている

フィールド

2009-04-02 02:37:52 | Weblog
これだけが、道ではない


選ぶことができる 位置にいる

それはとても恵まれていることだ



私たちには、悩む 権利がある




3日間。

気の置けない友達と喋った
文章をいっぱい書いた
本を買って読んでみた
一日中テレビを見ていた
一晩中瞑想していた
過去を振り返った
これからしていくことを考えた


そして、

明日からまた、がむしゃらに動いてみようと思う
誰かが、これはプレミアムチケットと言っていたから
ぐあーって頑張って、私のすべてを出し切って

その上で撃沈したのなら、

ピカソとかアインシュタインのように
社会に適応できないくらいの才能で以ってして
普通の人の生活を送ることができないから
物書きになるか芸術家になるかしかないと思って諦めよう


ばかみたいだけど、まじで言っているの。



道とかレールとか組織とかフィールドとか、

それらを選ぶ権利がある

と同時に、
この足が踏みしめるフィールドを
自ら創っていく権利があるのよ

瞑想

2009-04-01 04:04:19 | Weblog
瞑想する時間が増えていく




とても大切な時間



身体のなかにある
ばらばらの記憶とか感情とかを

積み重ねたり、組み替えたり
接合したり、解きほぐしたり
絡まりを解いたり、気体を混ぜ合わせたり

する


平衡が得られる
安定が得られる





何もしていないような時間


そういう時間が時々、すごく必要で
寝る時間よりも、何もしない時間を取る


頭の中ではなく、
身体の中、あるいは心臓の中で
過去の記憶を再構成する
思い描く未来を思い描く







空気は厚みを増す

何かが一段深くなる

血液は濃さを増し

世界がひとつ遠くなる


しているだけ

2009-03-31 17:26:32 | Weblog
勉強しているわけでもなく
何か目的があるわけでもなく



ただ、書いてるだけ



それを時々人は、「才能」と呼ぶ
のかもしれない






これに関して、一ミリの妥協もできない
書きたいことしか書きたくない

だって文章を書くことは
自分を表現することだから
偽った文章なんて
存在してはいけないんだ


なんで書くの?
書くのが好きだから。

でも、それ以前に
書かなければやっていられない


そういう、なんだか、
切羽詰った問題
大げさに言うと、
食べることや寝ることと同じ地平に、存在している問題



みつけて

2009-03-30 02:56:15 | Weblog
現実が一瞬にして吹っ飛んだ

現実が現実に飲み込まれた




寂しさとか嬉しさとか後悔とか不安とかが
一気に押し寄せてなんかもう
よく分からなくなってしまうよね






でも会えてよかった






あの時は、そう
どうしようもない理由ならしょうがないかなって思った
ほんの少しショックで、なんだか寂しい気がした
だけどそんなのは自分勝手で
私たちはただ偶然出会っただけで
個人的な関係はなくて
だからしょうがないと思った

思っていた



会いに来てくれた
探し出してくれた
電話番号も住所も知らない
私の名前も漢字で書けない

形のない言葉を頼りに
私が拙い言葉で説明した場所を手掛かりに




嬉しかった


周りの世界が見えなくなるくらい、嬉しかった




浮き沈み

2009-03-23 03:10:03 | Weblog
揺らぐ



どうしようもない無力感
むやみやたらに人を信用しないほうがいい



冷静に物事を見なければならないと分かっているのに
時々見失い

なんだか・・・

わあーっていう雰囲気で
人を信じてしまったり
共感してしまったり
憧れてしまったり

みたいな。






10日前に書いた文章におっきく罰点をつける

過去の自分を否定する


そんな自分は必要なかったからだ





でもニーチェ的には
そんな過去の自分も肯定しろというのだろうか


それとも過去の自分を否定している自分を肯定しろというのだろうか





直接聞くわけにもいかないから
とりあえず私は
今の私を肯定しようと思います。











浮き沈み



いちいち 死を 想像する


電車がホームを通過する時
車が赤信号を走り抜ける時
警官が拳銃で自殺を計ったというニュースを見る時


とか。







今はいろんなことがあるから
ちょっとしたことで不安になったり楽しくなったりするけど
そんな自分と折り合いがつけられる、自分でいたい




文章を書くこと

2009-03-11 02:21:03 | Weblog
私にとって、文章を書くことは
自分の内面を表現する手段であると同時に
他者と繋がるための手段でもある


皆それぞれ経験してきたことは違っても
そこから出された答えは
共通するものがいくつもある

 



私たちは答えによって繋がれる





じゃあ、答えで繋がれるんだったら別に文章にしなくたっていいじゃん?って話?
なのにどうして文章を書くのかといえば、文章を書かなければやってられないのかといえばそれは、
不安だから
目に見えない、あるのかないのかも分かんない精神はいつだって怯えている。
形があるものを羨ましがっている。
形のないものが形のあるものを残そうとしているのだ。
しかし、言葉も、文字も それ自体には意味はない
言葉は音の組み合わせ。単なる音の組み合わせ。
だからこの言葉は理解してくれる人がいなかったらただの音。
宇宙で、ノーベル賞ランクの論文を読み上げても意味がないのと同じように、
子どもの前で読み上げても意味がない。
きっと私の文章も、正反対の価値観を持った人が読んだら、
意味を成さないんだろう。
第一、文章も、線の羅列。
文字を読める生物がいない世界で文章を書くことは、
変な線をいっぱい書くことになってしまってきっと
ただただ変人扱いされてしまうだろう。
それでも、いや、そうであるから?
常に形を求める。
形にしなければならない。
精神は、身体を羨ましがっているのだろうか
ただ、ここにあるというだけの身体を、羨ましがっているのだろうか


emotion

2009-03-01 03:38:47 | Weblog
僕らはいつだって似たような感情を抱いていた


悲しみや怒りや安らぎや喜びや虚しさを
互いに共有し合っていた



同じ感情を抱くことが
一番重要なことだと
信じて疑わなかった


なのに









何に価値を見出すか
その違いが
僕らを遠ざけた


価値観の違いによって僕らは
違うものを選び
違うことを思い
違う行動をとった


そして次第に
互いに全く違う感情を抱くようになった









なにがきっかけで
どんなスピードで
どのように
そう、どのように
物事に対して感情を抱くか





深く分かり合って
同じ感情を抱いて

それがずっと続くんだと

その時は、そう
あたりまえに、思っていた

この世界はきっと

2009-02-23 02:38:45 | Weblog
この世界はやはり、
「誰かと何かを共有するためにある」

それはつまり
感覚的なものを




そう、言いたい




でも本当は、

「誰とも何も共有できないことを実感するためにある」


でもいいのだ








どちらでも変わりはない



世界が世界だけで存在しているのではないと示すためには









切り離されてはいない
だろう
この世界から










いくら地平線の向こうを恐れても

いくら雑多な景観に眩暈を起こしそうになっても

いくらこの肉体がリアルに感じられなくても







思ってしまえれば
繋がっていることになるのだ






しかしそれは
悲しいことでもあるのかもしれなかった






繋がっている
しかないのだから






狂気とは
これを逸脱したものだろうか

輪廻からの解脱とは
これを逸脱したものだろうか









繋がっていない

のであるならば
もっといろいろなことを
納得できただろう


「別々に存在しているのだからしょうがないではないか!」

と納得できただろう


かなしみもいかりも
存在しなかっただろう







切り離されたかった
せかいから


切り離されたかった







しかし、

「この世界は誰かと何かを共有するためにある」



「この世界は誰とも何も共有できないことを実感するためにある」




ひとりだけで生きていくことができない人間と人間の関係を象徴しているというよりは寧ろ



ひとりだけで生きていくことができない人間の、
世界への一方通行な愛を表している





切り離されたいと願うことなどは
単なる強がりにすぎない



世界が我々を認識しているか





世界は何にも頼らず、誰とも繋がらず、偉大に、そう偉大に、威厳を持ってここに、ある

そこでもあそこでもどこでもなく、ここに、ある








実際のところはきっとそうなのだ






しかし、世界が存在していたところで、世界自身はそれを知らない


世界は、何も知らない
何も把握し得ない



世界が世界として把握されるのは
我々が世界と繋がっていると認識するからだ




我々がいなければ
世界という存在は単なる自己満足だ
それにそもそも世界に自己などというものはない
故に世界は存在しない
世界は世界だけで存在し得ない
我々がいるから
世界という存在が認められる
存在できるのだ














無数の光に目を奪われた
それが人工的な光だったとしてもなんら変わりはない
変わりはないのだ


生活におけるあらゆる場面

ものに触れる
音楽を聴く
景色を見る


その度に、誰を思い浮かべるだろう



その誰かを思い浮かべることがなくなる時は、
何も感じることができなくなる時だ













この世界はきっと、誰かと何かを共有するためにある

believe

2009-02-10 04:31:48 | Weblog
わたしたちは、なにかをわかりあっただろうか







過去に紡いだ言葉が、
今への手紙となる




時を重ねることは
その手紙が増えていくということだ


それはとても心強い







他人が出した答えなど要らない

誰かが丁寧に拵えた 綺麗な言葉の受け売りなど、何の価値もない







私は私として得た言葉と
私が私として生み出した言葉しか信じない