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【コロナ禍だから響く「田中角栄の金言」田中角栄が生きていたら言う3つのこと】「おい、アメリカをあまり信用してはいかん。ロシアもひどいけど、アメリカもひどいぞ」

2023-01-10 05:07:16 | 日記


■田中角栄は弱者への思いやり、格差社会の痛みを忘れなかった人

『未完の敗者 田中角栄』を語る(1)今、なぜ田中角栄なのか

https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=525


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●田中角栄は弱者への思いやり、格差社会の痛みを忘れなかった人


田中角栄という人について、『未完の敗者』であるというタイトルで本を書いたわけですけれども、現在の安倍晋三首相と田中角栄のどこが違うのか、ちょっと比較するのは田中角栄にかわいそうな感じもします。


田中角栄という人は、ご承知のように、いわゆる大学には行っていません。

世間という大学を出た人です。

ただ、世間という大学を出ても、それを踏み台にして出ていく太閤秀吉型の人と、そうではなくて、弱者に対する思いやりを終生失わない人もいるのです。

田中角栄という人はいろいろなことを言われても、私はやはり弱者への思いやり、そして、格差社会の痛みというものを忘れなかった人だと思います。


政治家の役割とは、端的に言えば、格差を少なくするというか、できればなくすことと、戦争をしないことだと思うのです。

その二つについて、安倍晋三と田中角栄は全く対照的であると思います。

 

●田中角栄は敵も認められる幅広さを持っていた


これまで本メディアでお話ししてきた自民党の主流派の流れというのは、吉田茂、池田勇人と、そのような流れをたどる、いわば保守本流で、田中角栄まで含めて、ハト派でした。


一方、岸信介、中曽根康弘、あるいは、小泉純一郎というのは、保守傍流だったのですが、そのタカ派の清和会の流れが全面に出てきてしまって、安倍晋三のような、ちょっと首相としてはいかがかと思われる人まで、その流れの中で出てきてしまったということだと思います。


田中角栄の魅力というのは、いろいろありますけれども、人間の幅ということと同時に、田中角栄から見て、敵味方といいますか、敵も敵として存在している、生きているということを認められる幅広さを持っていたというところです。


それは、自ら、いわば成り上がっていく過程で、社会の底辺の人たちを見たということかもしれませんけれども、そういうところが、いわば安倍晋三と全く対照的で、私は、極端に言えば、付属の小学校、中学校と、付属のそういうところを上がってきた人は、やはり政治家になってはいけないのではないか、まして、首相になってはいけないのではないかと思うのです。

つまり、貧乏や格差というものを実体験できないのです。

頭の中ではそれが分かるかもしれないけれども、実体験として、A君の貧乏、B君の痛み、という形で体験できないのです。


そうすると、安倍晋三のように、「東京はアンダーコントロールされている」ということは、「福島はアンダーコントロールされていない」という言い方ですよね。

それは、福島を切り捨てたりするようなことにつながっていきます。

 

●田中角栄は財界とのつながりが薄く、安倍晋三は財界の声しか聞いていない


そしてまた、田中角栄という人は、成り上がる過程で財界とのつながりというものが本当に薄かった人です。

だから、財界の言うことを聞くというようにもなかなかならなかったわけです。


しかし、福田赳夫という人の流れをくむ安倍晋三という人は、やはり財界の言うことを聞くのが政治だと思っています。

法人税の引き下げと消費税を上げるということをセットでやってくる。

そうすれば、個人消費が冷え込むというのは、経済の根幹、出発点としては一番おかしい政策だと思いますけれども、そういうことを平気でやるというのは、やはり財界の声しか聞いていない。

財界、それも旧財界ですね、そういう人の声しか聞いていないということなのだろうと思います。

 

●田中角栄は地方と都市の格差に強烈な問題意識を持っていた


今、広がっているのは、やはり都市と地方の格差でもありますし、その格差が、地方に根を置く政治家でしか分からない形で出てきています。

小泉・竹中流の新自由主義が、地方を疲弊させているわけですけれども、その小泉、安倍と続くその新自由主義路線、いわば競争至上主義路線は、確実に地方を疲弊させているわけですね。


田中角栄は新潟の出身で、まさに雪に閉ざされた新潟を何とかしたいということが政治の出発点にありました。

地方と都市の格差に強烈な問題意識を持っていたのです。

日本列島改造論は、それによって地価の高騰を招いたとか、いろいろな批判はもちろんありますし、そういう実態もあったかと思いますけれども、地方を何とかしなければ日本はやはり駄目になるということを、その政治の出発点に置いていたことでは、選挙区は地方だけれども、ほとんど生活の実態は東京にあるというボンボン政治家には、やはり分からないものがあるのだろうと思います。


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弱者への思いやり、格差社会の痛みを忘れなかった人
『未完の敗者 田中角栄』を語る(1)今、なぜ田中角栄なのか
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=525

 

 

 

 

 

■「おい、アメリカをあまり信用してはいかん。ロシアもひどいけど、アメリカもひどいぞ」

田中角栄が生きていたら言う3つのこと

週刊朝日2016/10/18

https://dot.asahi.com/wa/2016101400191.html

 

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田中角栄という人物は、人間的にも面白い。

彼が総選挙に初めて立候補したのが昭和21年。


27、28歳だった。

この選挙では落ちるが、彼の選挙運動はユニークだった。


早稲田大学の雄弁会の学生を何人か雇い、新潟の自分の選挙区に解き放つ。

そして、彼らに「俺の名前を連呼して演説してくれ」と言う。


そんなことをやった人はいない。

発想がじつに庶民的だ。


田中は、昭和の偽善を見事なほどひっくり返して見せた。

あらゆる権威をひっくり返した。

彼のそうした言動に今の私たちが何かを感じるからこそ、ブームが起きているのではないか。


もし今、田中角栄が生きていたなら、彼は三つのことをはっきり言うだろうと、私は思う。


まず、「安倍(晋三=首相)君、そんなのダメだよ。何を言ってるんだ。憲法を変える、自衛隊がよその国へ行く。君、自民党ってそんな政党じゃないぞ。自民党というのは結党以来、憲法改正を掲げてはいるが、旧憲法に帰れってことじゃない。だったら変えないほうがいい」──そんな声をあげたと思う。


それから、天皇の生前退位の問題。

彼は「天皇だって人間なんだよ。いつまでも天皇でいるってわけにはいかないんだ。辞めたいって言うのを認めるのは当たり前だろ」と言うだろう。

田中の庶民的な地肌から出る表現である。


もう一つ。

「おい、アメリカをあまり信用してはいかん。ロシアもひどいけど、アメリカもひどいぞ」と言ったと思う。


田中はロッキード事件で、その地位を米国に追われたと言えるが、それだけが理由ではない。

彼は、「物量的な幸せ」というものを日本人に定着させようとした。


だが、物量がどれほど満たされても、新幹線がいくら速く走っても、私たちが家を何軒持っても、背広を何着持っても、幸せとは限らない。

幸福とは、もっと精神的なものである──ということに、政治家を離れてから気づいたと思う。


その意味からも米国を語るのではないかと思う。


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田中角栄が生きていたら言う3つのこと
週刊朝日 2016/10/18
https://dot.asahi.com/wa/2016101400191.html

 

 

 

 

 

■名もなき庶民が日本の主役だった「田中角栄の時代」があった

週刊ポスト 2015.06.30 山本皓一

https://www.news-postseven.com/archives/20150630_332539.html?DETAIL


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かつて「田中角栄の時代」があった。

それは名もなき庶民がこの国の主役だった時代である。


〈政治は、地表を吹きすぎていく風のようなもので、国民にとって邪魔になる小石を丹念に拾って捨てる、それだけの仕事である。

理想よりも現実を見つめ、国民がメシを食えるようにすることが大事だ〉──角栄語録の一節には政治の原点がそう語られている。


政治家の役割は、安倍晋三首相のように「オレが最高責任者だ」と国家・社会を自分の思想に染めようとすることではない。

あくまで“政治家は脇役、主役は庶民”という徹底した民主主義の思想がそこにはある。


1972年、「今太閤」「庶民宰相」と呼ばれ、国民の熱狂的な歓迎の中で首相に就任した角栄だったが、人気とは裏腹に、当時の日本社会は高度成長のピークを過ぎ、大都市と地方の格差の増大、公害の深刻化といった社会のひずみが表面化して、国民の閉塞感と政治への失望が広がっていた。


それは現在の日本が置かれた状況と重なる。

あの時代、角栄の目はまっすぐ国民生活の再生に向けられた。


彼の政治手法がそれ以前やその後の門閥政治家、官僚出身政治家と違ったのは、自分たちの役割は国民のためにならない法律、時代に合わない法律をつくりかえて国民生活を豊かにすることにあるという強い信念があったことだろう。

「政治は数、数は力」と自民党内で勢力をのばしながらも、数に驕る手法ではなく、むしろ多様な意見に耳を傾け、自分と意見が違っても有為な人材であればどんどん登用した。

苦労人ならではの人間的な幅広さと奥行きがあった。


だからこそ、多くの政治家が集まり、官僚たちも角栄のブレーンとなって政策の行き詰まりを突破しようとした。

その1人だった下河辺淳・元国土事務次官は角栄登場の意味をこう語っている。


「日本社会のひずみはもはや西洋から輸入された東大法学部の学問、政治、法律では解決できなかった。田中角栄は1人の日本人、新潟県人として発想し、必要なら六法全書さえ否定する行動力があった」


もちろん、「六法全書の否定」とは、安倍首相のように憲法の解釈論をこねくり回して自衛隊を海外に派遣しようという“官僚的ご都合主義”とは全く違う。


角栄は国土や社会のひずみを改めるために、日本列島改造論を掲げて全国に道路をつくり、トンネルを掘り、国土開発を推し進めた。

そうしたやり方は“土建屋政治の元祖”のように批判されるが、今の政治家の公共事業バラマキとは異なっていた。

大都市に集中した産業を地方に分散させて格差をなくすという原則を打ち出し、産業再配置と、こんな社会ビジョンを描いていた。


〈二十代、三十代の働きざかりは職住接近の高層アパートに、四十代近くになれば、田園に家を持ち、年老いた親を引き取り、週末には家族連れで近くの山、川、海にドライブを楽しみ、あるいは、日曜農業にいそしむであろう〉(著書『日本列島改造論』より)


これほど明快な社会ビジョンを国民に提示することができた政治家は後にも先にもいない。

外交面でも、角栄は戦後日本の課題だった日中国交正常化を成し遂げ、エネルギーをアメリカの石油メジャーに依存しない独自のアジア資源外交を展開した。角栄の外交思想を端的に表わした言葉がある。


「人の悪口を言ったり、自分が過去に犯した過ちを反省せず、自分がすべて正しいとする考え方は国の中でも外でも通用しない」


「主張する外交」を掲げながらも芳しい成果を残せない安倍首相は、この言葉をどう聞くのだろうか。

国民が今「角栄の時代」に郷愁を感じるのは、偶然ではない。


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名もなき庶民が日本の主役だった「田中角栄の時代」があった
週刊ポスト 2015.06.30 山本皓一
https://www.news-postseven.com/archives/20150630_332539.html?DETAIL

 

 

 

 


■コロナ禍だから響く「田中角栄の7金言」元秘書が明かす

日刊ゲンダイ(講談社)2021/01/01

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/283358


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2020年はコロナに直撃された一年だった。

一体、このコロナ禍はいつ終わるのか。


出口が全く見えない。

国が災難に見舞われ、国民が不安を強めている時こそ、リーダーの力量が試される。


もし、田中角栄が生きていたら、国民に何を訴え、何を考え、どんな行動を起こしていたのだろうか――。

角栄の金言を振り返るとともに、秘書を23年間務めた朝賀昭氏に話を聞いた。


「子供が10人いるから羊羹(ようかん)を均等に切るってのは共産主義。自由主義は別だよ。羊羹をチョンチョンと切ってね。一番年少の子にでっかい羊羹をやるんだ」――。

オヤジさんがよく言っていたこの言葉の意味は、明日食うのに困っている人にこそ手を差し伸べるべきだ、ということです。


コロナ禍では、非正規や女性など、弱い立場の人たちほど苦しみ、命を絶つ傾向が強いようです。

「自分だけ置いていかれているんじゃないか」「もう生きていても楽しいことはない」といった絶望感と不安感にさいなまれてしまうのでしょう。


オヤジさんなら、一番困っている人に一番手厚く予算を使うでしょう。

「国難の時は、国はなんぼ借金をしてもいい」っていう発想に立ち、気が遠くなるような借金をしたのではないか。


借金は稼げば返せる。

しかし命は一度失えば人の人生が終わってしまいます。


オヤジさんなら「でっかい羊羹」をいち早く弱い立場の人に配ったはず。

オヤジさんは、学歴もなく、本当に苦労した人でした。


自分が苦労しているから人の痛みがよく分かる。

苦労しない人は、「頭」では人の苦労が分かっても、実体験として湧かない。


困っている人、弱っている人に手を差し伸べるのは、政治家として当たり前ですよね。

いま何より必要なのは、国民へのメッセージです。


オヤジさんだったら「日本中が苦しいんだから、皆、心配しなくていい。焦らないでいこうや。今年と来年はもう休憩をしよう」「金のことは心配しなくていい。国がいっぱい借金するから」「働ける人は働きなさい」――というようなメッセージを送ると思います。


まず、国民の不幸を取り除こうと考えたはずです。

 

 

・田中角栄の7金言

 

①「子供が10人いるから羊羹を均等に切るってのは共産主義。自由主義は別だよ。羊羹をチョンチョンと切ってね、一番年少の子に一番でっかい羊羹をやるんだ」

 

②「我と思わん者は遠慮なく大臣室に来てください。そして、何でも言ってほしい。上司の許可を得る必要はありません。できることはやる。できないことはやらない。しかしすべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」

 

③「選挙で人の悪口を言っても札(票)は増えんぞ。勘違いするなよ。敵をたくさんつくってどうする。槍衾(やりぶすま=大勢の者が槍を隙間なく突き出して構えること)になるぞ」

 

④「(政治とは)事をなすことだ」「政治家は学者や評論家とは違う。実践するために行動することだよ」「いつまでもあると思うな親と金。ないと思うな運と災難」

 

⑤「有名大学の学長とか教授などそういう人ばかりに上級叙勲をしている。けしからん。人間の基本をつくるのは、一番教育の難しい小学校の教員にこそあるんだ。そこのいわゆる幼年期の教育を恵まれない環境でやっている先生に、最大の敬意を表して最高の環境をつくってやらなきゃダメだ。そうならなきゃ日本は良くならん」

 

⑥「一分考えて答えの出ないものは、一生かかっても答えは出はせんよ」

 

⑦「そこに困った人がいて、何かをしてやろうという気持ちが起きない人間は政治家などになってはいけない」「国民に対して情を持たない者は、政治家になるべきではない。政治家はなりたくてなるものではない。政治家になって何をするかというものを持ってない者は、政治家になるべきじゃないんだ」

 


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コロナ禍だから響く「田中角栄の7金言」元秘書が明かす
日刊ゲンダイ(講談社)2021/01/01
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/283358

 

 

 

 

 


■「オヤジとわたし 頂点をきわめた男の物語 田中角栄との23年」 (早坂茂三 集英社 1987/1/20)

https://a.r10.to/h6dECp


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日中国交正常化のために田中のオヤジが訪中する前、中国側は私のところへやってきて、田中の趣味嗜好のいっさいを聞きとっていった。

いざ北京に着いたら、暑がりのオヤジの部屋は、終始、摂氏17度に保たれている。


冷たいオシボリと氷の入った水も目白の家と同じものが出る。

大好きな「台湾バナナ」がいつもそばにある。


朝、かならずみそ汁をとるオヤジのために、郷里である新潟県柏崎市の「西牧」という古いみそ屋から自宅のヤツと同じみそを取り寄せてあった。

米も同じ越後のコシヒカリです。


さすがの田中も「やるねえ」と驚いていた。

こういう気くばりは、ほかのどんな国でも、まずやらない。


確かに一国の宰相を遇するんだから、山海の珍味でもてなしはする。

でも、中国流はそんなレベルのものじゃない。


徹底的です。

しかし、考えてみると、田中のオヤジもこの流儀なんです。


そういう意味では、オヤジのメンタリティと中国流は、よく響きあうところがあった。

周知のように、日中国交正常化を果たしたのは、田中角栄です。


それはそうなんだが、あの時期になぜ田中が日中国交回復を急いだか……そこに、田中角栄という政治家のヨミの深さを知ることができる。

田中のオヤジは私にこう言った。


昭和47年7月、総理になって間もなくです。

「毛沢東とか周恩来という、いまの中国をつくった創業者は、共産主義であれ、何であれ、えらい苦労をしてきた連中だ。多くの死線を越えてきた。それだけに、すべてないものづくしの中で、あのでかい国をやりくりしていくためには、いま何が必要かということがよくわかっている」


「たぶん、そうでしょうね」

「だから、あの連中が元気なうちに、この勝負を決めなければならないんだ」


オヤジの言うところによれば、いまの時期をのがすと二代目、三代目……学校を出てインテリになって、じいさまの苦労が肌ではわからず、頭は理屈と数字が破裂しそうに詰め込まれていて、笑い顔はとても冷たい。


「こんな連中と掛け合っていたら、わがほうが「賠償金はカンベンしてくれ」と言って、「じゃあ仕方がないな」というようなわけにはいかない。だから毛沢東や、周恩来の目の玉の黒いうちにやらなきゃダメだ。急がなければならない。「掛け合いごとというのは、そういうもんだよ」そうオヤジは言った。


「オレにしても、いまが一番、力のある時だ。厄介なことを片づけるのはいまだ。後回しにして、力が弱まればできない」……田中はこうも言った。

おそるべき人間洞察の深さだ……と、私は思う。


政治家、田中角栄のもっともすぐれた資質は、まさにこの点にある。

人間の本性、人情の機微を体全体で知っているんです。

 

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田中角栄は、誰に対しても威張らない。

 

役人に向かって威張るおやじ(田中角栄)を私は見た事がない。

 


それどころか、彼は役人をいつも大事にしてよく立てる。

 

彼は役人が陥りがちな欠点も良く知っていた。

 


役人はすべて既存の法律を前提にして、その枠のなかで物事を考え行動する。

 

そして変化に敏感に反応できない。

 


法秩序の前衛と自認しているだけに、人民を見下しがちになる。

 

責任の所在があいまいで、責任を背負わされることを嫌う。

 


広い視野で物を見ることが苦手である。

 

しかし田中は一般論でいって、日本の官僚を高く評価していた。

 


「彼らは外国の役人に比べて比較にならないほど有能だ。仕事熱心で、良く訓練された専門家の集団である。」

 

これは田中が私にいった寸評である。

同時に彼は役人が陥りがちな欠点も良く知っていた。

役人はすべて既存の法律を前提にして、その枠のなかで物事を考え行動する。


そして変化に敏感に反応できない。

法秩序の前衛と自認しているだけに、人民を見下しがちになる。


責任の所在があいまいで、責任を背負わされることを嫌う。

広い視野で物を見ることが苦手である。


田中角栄は若いときから役に立たなくなった法律はどんどん捨てて、新しい法律をつくればいいと考え、実践してきた。


その発想はオリジナルだ。

東大出身の法学士が束になっても、田中のような知恵は出てこない。

 


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「オヤジとわたし 頂点をきわめた男の物語 田中角栄との23年」 (早坂茂三 集英社 1987/1/20)
https://a.r10.to/h6dECp

 

 

 

 


■『早坂茂三の 田中角栄 回想録』(小学館 1987.05.20)


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田中角栄は頭が抜群に切れる。

 

数字に滅法、強い。

 


記憶力の良さに秀才官僚も真っ青になる。

 

人の名前を上下、つなげて覚える。

顔も一度で覚える。

 


役人の年次も間違うことがない。

 


約束したら実行する。

 

できないことは最初から請け負わない。

 

蛇のナマ殺しはやらない。

 


面倒見と気くばりは天下一品。

かゆいといえば十メートル先から飛んできて、かゆくないところまで丹念にかいてくれる。

 


喧嘩上手だ。

 

勝てると見れば、一気にケリをつける。

 


根回し、談合の名人。

 

かなわないと見れば光よりも速く逃げる。

 


機関銃も腰を抜かすほど早口で雄弁。

 

ただし、しゃべり出したらとまらない。

 


酒は二升。

 

酒席は明るい。

 


浪花節、小唄、都々逸、なつメロ、何でもござれ。

女にもてる。


加えて、田中は良く勉強している。

見識がある。


経験もある。

方針を明確に示す。


責任を取ってくれる。

一度付き合えば大事にしてくれる。


懐に飛び込めば骨まで拾ってくれる。

これが田中角栄の真骨頂だ。


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『早坂茂三の 田中角栄 回想録』(小学館 1987.05.20)

 

 

 

 

 

 

【田中角栄名言】

 

 
・鳥瞰的、俯瞰的に見なくてはいけない。


 
・結論が出たらすぐに実行するのが、私の流儀だ。決断と実行。


 
・確かにノーというのは勇気がいる。しかし、逆に信頼度はノーで高まる場合もある。ノーとイエスははっきり言ったほうが、長い目で見れば信用されるということだ。


 
・最近の議員の資質はなかなかの優等生だが、独創性、エネルギー、統率力といったものが欠けている。内外の情勢は教授会のような議論は許さないんだが。


 
・政治家というのは、人の痛みが分からないといけない。困っている人が目の前にいる時に助けようと思えない人間は選挙に出たらダメだ。
 


・政治は政治家のための政治ではない。お互い国民1人1人のために政治は存在をするのであります。
 


・大学の教授より、むしろ小学生の先生を大事にしなければいけない。小学校の先生が白紙の子供を教えるのだから。

 

・教育ということを間違えてはいかん。子供時代の教育こそが、人間をつくる。
 


・必要なのは学歴ではなく、学問だ。


 
・小学校・中学校の義務教育には情熱を持った先生が必要だ。それには先生が定年になって、役場の用務員だとか、倉庫の守衛をやらなければ食えないということではいけない。東大の教授は勲一等で、義務教育の先生たちが勲七等、勲八等というのは本来、逆ではないか。子供は小さな猛獣だ。これをアメとムチで鍛えて、あやして、一人前に育てあげるという仕事は容易なことじゃない。わが仕事を聖職と思い、情熱を燃やして、小さな魂を持った子供たちの良き師であるためには、暮らしに何の憂いなく教育に専念できるようにしなくてはならない。できれば先生方の月給を倍にしたいんだ。

 

・玉子を食ってしまうか、鶏にして卵の拡大生産でいくか。


 
・一人一人の意志をくみ上げるのが民主主義というなら、医者を見ろ。一人一人の脈を診るじゃないか。政治家なら、みんなの脈を診るべきだろう。日本国民のレベルは高いぞ。その国民を無視して、大衆はバカだとか言って利益のみを追っているようなヤツは、必ず潰れる。また、唯我独尊的となり、行政は万能であるというような考えを持つとしたら、それは極めて危険ということだ。
 


・大仕事は遂げて死なまし、熱情の若き日は二度と来ませじ。

 

・仕事をすれば、批判、反対があって当然。何もやらなければ、叱る声も出ない。私の人気が悪くなったら、ああ田中は仕事をしているんだと、まぁこう思っていただきたい。

 

・法律というのは、ものすごく面白いものでしてね。生き物だ。使い方によって、変幻自在、法律を知らない人間にとっては、面白くない一行、一句、一語一語が、実は大へんな意味を持っている。すごい力も持っている。生命を持っている。面白いものです。壮大なドラマが、その一行一句にこめられているのです。それを活用するには、法律に熟知していなければならない。それも、法律学者的な知識ではなく、その一行、その一語が生れた背後のドラマ、葛藤、熾烈な戦い、それらを知っていて、その一行・一語にこめられた意味がわかっていることが必要です。私はそういう方向で法律や予算や制度を見ているのです。特にいまの法律や制度、仕組みは占領軍時代につくられたものが多く、法律制定の背景や目的がわかっていないと運用を間違うのです。
 


・失敗はイヤというほどしたほうがいい。そうするとバカでないかぎり、骨身に沁みる。判断力、分別ができてくる。これが成長の正体だ。

 

・ただ単に、青少年時代を学生として、思うばかりはばたける、好きなことをし放題にできることが楽しいかと言うと、私は必ずしもそうではないと思っている。お互い一人一人、皆、生まれ育つ環境も違いますから、いろいろな社会にいろいろな生き方をして育ってくる訳でありますが、私はその中で勤労というものがいかに大切であるか、勤労と言うことを知らないで育った人は不幸だと思っています。本当に勤労をしながら育った人の中には、人生に対する思いやりももあるし、人生を素直に見つめる目もできてくるし、我が身に比べて人を見る立場にも成り得る訳でありまして、私はそれは大きな教育だと、また教育だったと考えている。本当に病気をしてみなければ病気の苦しみが分からないように、本当に貧乏なければ貧乏の苦しみは分からないと言う人がありますが、勤労しない人が勤労の価値を論ずることはできない。勤労をしない人が、どうして勤労の価値を評価することができるでしょうか。勤労は生きるための一つの手段でしかないという考え方が、このところ充満しつつあるような気がします。もしあるとすれば、それは政治の責任かなとも思います。私も、かっては勤労青年だった。朱きの『偶成』という詩に、『少年老いやすく学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、池とう春草の夢、階前の梧葉既に秋声』というのがあります。また、何人が詠んだ詩か知りませんが、『大仕事を遂げて死なまし、熱情の若き日はまた来はせじ』と、これらは皆、勤労少年の時自信を失う時には、国家や民族の危機と考える必要がある。

 

・結局、努力、勉強だ。こういったものが、運をとらえるキッカケになる。そのうえで、運を変えて見せるという気概も不可欠だ。
 


・私たち夫婦には正法(まさのり)という長男がおりましたが、仏法の名前負けをしたのか、幼くして肺炎で亡くなりました。眞紀子という名前は訓読みをすると『まさのり子』となります。年子の兄妹はとても仲良しで、まるで双子のようにして育ちました。正法の死は今も私たち夫婦にとって痛恨の極みであります。長男の死後は、眞紀子をあえて女の子というよりも、田中家の跡取りとして男の子のように育ててきました。物事の判断を間違えず、どんな時にも責任を取れる人間として教育をしてきたつもりです。その点に関してはいささか自信があります。そこで今後、直紀君が眞紀子に対して料理や掃除など家事一切を普通の女性並みに求めてもらっては困るのであります。そういう教育はまるでしてありません。君が今後、家事などで不満がある時には、ウチの妻君やお手伝いさんをいくらでも派遣します。言わんでいいことをズバリと相手構わず言ってのけます。しかも困ったことにそれが結構的を射ているのであります。しかもさらに続く理屈がこれまた結構理路整然としているので始末が悪い!かくいう私もかなりひどい目にあっている。そこで、今後そういうことがあった場合には遠慮なく殴ってくれて結構です。お転婆娘が今日から私の手を離れると思うと、こんなうれしいことはあ・り・ま・せ・ん……

 

・大事なことは経験則だ。田んぼに入ったこともない者が、コメのことがわかるわけがない。

 

・大臣になって、故郷の駅前で壇上に立ったときに下をみると、旗をもった少年少女がいて、泣きたくなるんで、ひょっと上をみた。そのときに感じたのは、故郷の山河はイイナということです。しみじみとして、こうべを深くたれた。そういうふうに、十五、六の女の子みたいなロマンティックなものが、たえずつきまとっておるんです。
 


・国民全体の利益に統合して立法化することこそが、政治家本来の仕事である。
 


・怒鳴るな。連中も俺のところに来たくて来るんじゃない。仕事で来るんだ。カメラマンは俺の写真、面白い顔をしたのをぱんと撮らなきゃ、社へ帰ってデスクに怒られるぞ。新聞記者だって、お前から無愛想に扱われ、つっけんどんけんやられて、俺が目白の奥で何をしゃべっているか、それも聞くことができないで記事に書けなけりゃあ、社に戻ってぶっ飛ばされるぞ。彼らも商売なんだ。少しは愛想よくしてやれ

 

・約束したら、必ず果たせ。できない約束はするな。
 


・野党が何だかんだと言っても、気にしなくていいんです。まあ、アレは三味線みたいなもんでね、子どもが一人、二人ならいいが、三人、四人おったら、中にはうるさいのもいるわね。皆さん、笑ってばかりいてはダメですよ。いや、笑いの中にこそ真実がある!

 

・天、地、人を恨んではいけない。
 


・政治家、リーダーというものは、最後は51%は公に奉ずるべき、私情は49%に止めておくべきだ。公六分で決断した場合、仮に失敗しても逆風をかわすことができる。私情優先では、同情の生まれる余地はない。

 

・バカ野郎ッ。どこを見て政治をやっているんだ。お前たちは、日本のために政治をやっている。私情で動いてどうする。
 


・国民の生命、財産を守り、生活を向上させなければならない。これはわたしがどんな立場や境遇にあっても、自ら果たすべき責任。

 

・課題は、これまでの多くの苦難を乗り越えてきたわれわれ日本人に解決できないはずはありません。わたくしは、国民各位とともに、国民のすべてが明日に希望をつなぐことができる社会を築くため、熟慮し、断行してまいる覚悟であります。
 


・俺の目標は、年寄りも孫も一緒に、楽しく暮らせる世の中をつくること。

 

・日本じゅうの家庭に団らんの笑い声があふれ、年寄りがやすらぎの余生を送り、青年の目に希望の光りが輝やく社会をつくりあげたい。

 

・和して流れず、明朗闊達。


 
田中角栄

 

 

 


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