風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

日本は青春時代 159号

2007年09月12日 20時29分44秒 | 随想
ライフサイクルは、一年の四季がはっきりした国の文化の中でできることで、中国では古来、青春、朱夏、白秋、玄冬という四季が儒教の基本テキストにある。人生の最初の若々しい時代は「青春」である。結婚・子育て・仕事に熱中するのが「朱夏」。定年退職した人生の黄昏は「白秋」。死と相対する時期は「玄冬」である。

子曰。吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲。不踰矩。
「孔子が云う、私は十五才で生業決めた。三十才でその基礎を確立した。四十才で戸惑うことがなくなった。五十才で天命を悟った。六十で何を聞いても動じなくなった。七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった」

雨季と乾季だけで季節がはっきりしないインド人には人生観を四つの相(学生期・家長期・林住期・遊行期)があり、釈尊とガンジーがその実践者である。3つ目の林住期は宗教的・芸術的生活を送る段階で、遊行期は経験を後輩に伝承し、死んでいく時期で、東洋哲学である。

ソクラテスの哲学に、「自分だけが『自分は何も知らない』ということを自覚しており、その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れている」がある。禅の究極は「こだわり・かたより・とらわれ」が無い心が理想的な状態であることと同じ事と感じる。無一物中無尽蔵のことである。

ほぼ同時期に出現した世界四聖と言えば孔子、釈迦、キリスト、ソクラテスであるが、キリスト様は人生を如何に生きるかという教えは述べていないように感じている。
しかしキリスト様を信じる人々が、発展させた自然科学は、人間が生きていく物質的手段としては大変優れている。しかし単信教による攻撃的な思想が、価値観を狭くし、判り易い反面、格差を助長する気がしてならない。日本の柔道は欧州の指導者が牛耳ることになり、大相撲は朝青龍によってぶっ壊されてしまった。今の時代に三船久蔵十段の空気投げ柔道や栃若時代・柏鵬時代の相撲は夢幻であり、柔道の関心事が柔道着の色や相撲の懸賞幕の数に興味が向えば西洋の物質主義で、もはや日本文化とはいえないと思うのである。

仏教にも単信教が存在する。浄土系の阿弥陀様信仰と法華経を信じる日蓮宗である。アニミズムに基づく八百万の神仏を信じる多神教が根底にあるのが仏教であるから、単信教に見られる過激な排他的な面は少ないのである。

安倍総理が辞任するという。アメリカのテロ撲滅の政策を援護する洋上給油のための自衛艦を派遣する法律が期限切れになることが理由である。ブッシュ大統領の任期が終了すれば、アメリカ軍が撤退して、自衛隊の派遣が不必要になるかも知れないのである。そんな些細な問題は考えないで、農業の危機を救い、都市と田舎の格差を無くせば、持論の「美しい国・日本」が復活して人気が復活しただろう。アメリカ主義の単信教は日本人の心に馴染まないような気がする。小悪党が悪さをし、些細なことで混乱する日本は「青春」時代の真っ只中で若いのであり、明るい未来があると思うようにしている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。