気ちがい河馬さんの日記

精神病院に通院しつつ、障害年金ではとても食えないので、深夜に「ギャオ^スー」と雄叫びを発し河馬に変身し大和川の草食らう

気ちがい河馬は今日歯医者へ行った、怖かった、痛かった。

2014-06-29 05:02:28 | 風景
鬱の真っ只中で、歯医者でガリガリ削られるのは、正直怖い。気ちがい河馬はワイルドなくせに案外弱虫だ。

昨日の朝、歯医者へ行こうか、行くまいか大変迷いに迷った。
迷った末、泣きたくなるような決断をして歯医者に向かった。
河馬の歯は治療しなければ、一刻の猶予の無い状態に追い込まれている。

既に上の歯は一本も無く、総入れ歯だ。下の歯は僅かに前歯が5本残っているのみだ、その歯もみんな虫歯で、「全部治療しますから、小まめに詰めて通ってくださいネ」と医者に言われている。
今年の2月に、もう歯の根まで腐っていて、救いようが無いと、6本残っていたうちの1本が抜かれた。
 残るは5本となってしまった。
その残る5本のうち1本が餅を噛んでいた時、ボロッと欠けてしまった。
 4月の出来事だった。
この時は歯の根は大丈夫だったので、歯の根に柱を立てて義歯を被せ救ってもらえた。
もし、下の前歯も全部だめになって、下も総入れ歯になってしまったら、気ちがい河馬は大和川の土手の草が食い千切られなくなって餓えなければならない。命に関わる大問題だ。

以前、動物園のロバが年老いて歯が全部無くなって、餌が食べられず死にかけたそうだが、特別な総入れ歯を作ってもらって、10年長生きしたと聞いた事がある。

ワイルドな動物にとって歯は命である。

気ちがい河馬にとっても残された歯は命である。下の前歯5本があるから、オレンジも皮を残して実だけ食べられるし、みかんも食べられる。 野菜も噛みきれる。

上下とも総入れ歯になってしまうと、入れ歯が外れて噛みきりができない。
父親河馬は、94歳で健在だが、歯が1本も無く、総入れ歯だ、食べる時は入れ歯を使わず、歯ぐきで噛んでいる。食べものはおおかた飲み込みだと言っている。総入れ歯は外へ出かける時の飾りに過ぎない。河馬もそうはなりたくない。

父親河馬は息子の気ちがい河馬より自立していて、3食自分で作って食べている。

偉い。買い物は生活協同組合に入っていて、カタログを見ながら、マークシートにチェックを入れて、1週間分注文し、配達を受けている。独身生活は息子の気ちがい河馬と同様だが、全部ヘルパーさん任せの河馬と大違いだ。
足らずのものは、通信販売や、500mほど離れた市場に、手押し車で自分で買い物に行く。
それを思うと気ちがい河馬は恥ずかしい。
河馬は、まだ僅かに67歳である。

もう94歳の父親河馬は、好きなものを好きなように食べて元気だ。
それに反して、年間悪くすると、2~3回は入院する河馬と大違いだ。

話がだいぶ逸れたが、歯医者では15分ほどの治療時間が1時間ほどに感じた。
油汗をかいてその日の治療を終えて、消耗して家路についた。


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添付の写真はボールペン画:浅香山病院旧病棟アララギ(文化庁指定有形文化財)のある風景。:16cm×20cm:気ちがい河馬作

浅香山病院一般棟増築中の大型クレーン

2014-06-28 12:27:10 | 風景
気ちがい河馬はかっては写真に映っているような大型クレーンの運転士をしていた。
もちろん向精神薬を飲んでいる精神病患者である事を隠して働いていた。
54歳まで働いた。 クレーン車運転の腕は確かだったけれど、入院が必要な時は一旦会社に辞表を出した。 精神病の診断書を会社に出して休業することはできなかった。
昔は入院中クレーン車を見ると、病気の状態を良くして、また現場に早く復帰したいと心が騒いだ。
まだ40歳台で、若かった。

54歳の時、現場で小さな物損事故を起こした。
その後気ちがい河馬は、薬を飲みながら、人の命を預かる危険な仕事から、足を洗おうと思い、クレーンの仕事を辞めた。
強い睡眠薬や大量の向精神薬を飲んで、朝早く、夜遅いクレーンオペレーターの仕事はリスクが高過ぎると観念した。
その時精神障害者手帳1級だった。

躁鬱状態における感情の崩壊

2014-06-28 02:17:57 | 風景
鬱に陥ると、なんでもないことに感情が揺さぶられ、無性に涙がこぼれ、困ってしまう。
自分の文章を読み返して涙を流すのは異常だ。

デジェウ゛(前視感)の出る時は病相の変化の兆候だ。

躁の時にも感情が壊れる。

激発的に怒り、興奮が収まらない。

躁の時の激昂で一世一代の失敗をした。


離婚である。
 
まだ愛していた妻に、離婚届けを突き付け、離婚を迫り、住んでいた市営住宅から暴力的に追い出した。

とにかく悪いのは躁状態の即断、即決である。理性も論理も吹き飛んでいるから、始末に負えない。

 妻に対してどんな不満があったのか良く記憶していないし、子どもたちも愛していた。

今思うと、妻に出ていけと言う前に、自分が出ていけば良かったと思う。
 勤めていた会社には無料の独身寮があったから自分が寮に住み、出ていくべきだった。

 そして事態の沈静化を半年でも、1年でも待てば良かった。

 河馬はその当時大型クレーン車の運転士を生業としており、時代もバブルであったから、月収45万円ぐらいあった。
 しかし、妻には内緒で、500万円ほどため込んで、家を買う時の頭金にしようと思っていた。

幸いにも河馬は、その当時パチンコも、麻雀も競馬も競輪も賭け事一切やらなかった。それは祖父の遺訓で「囲碁、将棋言うに及ばず賭け事、勝負事一切まかりならん」を守っていたので金は貯まっていた。

しかし、その当時の躁状態が、どんなにひどいものであったのか振り返ると。

当時住んでいた市営住宅2Kが子どもたちが大きくなって、狭苦しいと感じていた。
それで入居していた市営住宅の部屋の柱を全部、切り払い、襖も障子も取り外し、ワンルームにしてしまった。
 公営住宅を勝手にそんな風にする事は許されることではなかった。

しかし、躁の思いつきで、一晩で改造工事を終えた。

妻を河馬が自分のテリトリーから追い払うのに随分とお金がかかった。何しろ子どもを連れて出て行くのに、河馬の目には妻はあまりにも頼りなげに見えたので、金を付けてやる他、無いと思い3百60万円渡した。

離婚は高くついた。

結婚する時は河馬はフリーターみたいな仕事についていて、一文無しだった。
 結婚式での親戚からの祝儀だけで結婚式費用もだし、外国まで新婚旅に行ったのに。

とにかく躁は高くつく。

心理療法の先生に「躁になると色々どう感じますか」と尋ねられた時「1万円札が千円札に見えてくる。」と答えたのでその心理士の先生は飛んで逃げた。

 妻子に出て行かれると、部屋に残っていたものは、ラーメン鍋一つと、蒲団一つだった。
冷蔵庫も洗濯機も、調理器具一式も箪笥その他の生活用具も全部妻が嫁入り道具として持って来たものだった。
河馬は裸になった。生活できなかった。

主治医の稲谷Dr.に事情を話すと、即入院が決まった。
それから1年半の長期入院、人生最大の危機を味わった。

気ちがい河馬の病院中心の日常

2014-06-27 20:56:55 | 風景
ここ一週間ほど、冷凍マグロ状態で、巣の中でゴロンと転んでいた。
トイレに立つのもめんどくさい、冷蔵庫の水は、いざって行って飲む。水ぐらい飲んでおかないと熱中症になる。食欲はあまりないが、無理やり食う。

 とても元気な時には、1日中寝ていられるものではない。

 暑い。しかし扇風機のリモコンに手が届かない。ましてやエアコンのリモコンは更に高い所だから手が届かない。立ち上がるのがめんどうだから。

友達から電話が入って「冷凍マグロ状態だ」と言ったら「冷凍マグロなら、足、否しっぽ切られるよ」と言われた。


元気な時、河馬は病院中心生活をしている。
 朝8時半ごろ河馬の巣を出発して、9時前に病院に着きOTの出席を取り、OTカフェの只のコーヒーを飲む。それから9時15分からのOTのストレッチ体操に参加する。それから月曜日なら、保健体育の講義に参加する。
等々浅香山病院に通う事で生活のリズムを作りだしている。

だが、鬱になるとそのリズムがどうにも維持出来ず冷凍マグロ状態になる。
情けなく、非常にしんどいが、こんな生活を40年間続けている。

河馬は寝ている。か?寝ている。

2014-06-23 15:00:37 | 日記
6月10日退院してから1週間ほどで、病相が鬱になった。寝てばかりいる。
 こないだも、晩御飯も食べずに午後7時ごろから寝て、夜中の3時ごろ目覚めた。
しばらくボーとしていたが、さすがに空腹を覚えそうめん3束湯がいて4時ごろ食べた。
食欲はある、まだ大丈夫だ。それから朝10時ごろまでまた寝た。
麻目覚めても頭がすっきりしない。

昼から足を引きずるようにして浅香山病院付属サポートセンターアンダンテへ行き
そこの静養室でまた昼寝した。とにかく生活のリズムが無茶苦茶になっている。

こうして、投稿するのもしんどい、もう今日は寝る。