気ちがい河馬さんの日記

精神病院に通院しつつ、障害年金ではとても食えないので、深夜に「ギャオ^スー」と雄叫びを発し河馬に変身し大和川の草食らう

躁鬱状態における感情の崩壊

2014-06-28 02:17:57 | 風景
鬱に陥ると、なんでもないことに感情が揺さぶられ、無性に涙がこぼれ、困ってしまう。
自分の文章を読み返して涙を流すのは異常だ。

デジェウ゛(前視感)の出る時は病相の変化の兆候だ。

躁の時にも感情が壊れる。

激発的に怒り、興奮が収まらない。

躁の時の激昂で一世一代の失敗をした。


離婚である。
 
まだ愛していた妻に、離婚届けを突き付け、離婚を迫り、住んでいた市営住宅から暴力的に追い出した。

とにかく悪いのは躁状態の即断、即決である。理性も論理も吹き飛んでいるから、始末に負えない。

 妻に対してどんな不満があったのか良く記憶していないし、子どもたちも愛していた。

今思うと、妻に出ていけと言う前に、自分が出ていけば良かったと思う。
 勤めていた会社には無料の独身寮があったから自分が寮に住み、出ていくべきだった。

 そして事態の沈静化を半年でも、1年でも待てば良かった。

 河馬はその当時大型クレーン車の運転士を生業としており、時代もバブルであったから、月収45万円ぐらいあった。
 しかし、妻には内緒で、500万円ほどため込んで、家を買う時の頭金にしようと思っていた。

幸いにも河馬は、その当時パチンコも、麻雀も競馬も競輪も賭け事一切やらなかった。それは祖父の遺訓で「囲碁、将棋言うに及ばず賭け事、勝負事一切まかりならん」を守っていたので金は貯まっていた。

しかし、その当時の躁状態が、どんなにひどいものであったのか振り返ると。

当時住んでいた市営住宅2Kが子どもたちが大きくなって、狭苦しいと感じていた。
それで入居していた市営住宅の部屋の柱を全部、切り払い、襖も障子も取り外し、ワンルームにしてしまった。
 公営住宅を勝手にそんな風にする事は許されることではなかった。

しかし、躁の思いつきで、一晩で改造工事を終えた。

妻を河馬が自分のテリトリーから追い払うのに随分とお金がかかった。何しろ子どもを連れて出て行くのに、河馬の目には妻はあまりにも頼りなげに見えたので、金を付けてやる他、無いと思い3百60万円渡した。

離婚は高くついた。

結婚する時は河馬はフリーターみたいな仕事についていて、一文無しだった。
 結婚式での親戚からの祝儀だけで結婚式費用もだし、外国まで新婚旅に行ったのに。

とにかく躁は高くつく。

心理療法の先生に「躁になると色々どう感じますか」と尋ねられた時「1万円札が千円札に見えてくる。」と答えたのでその心理士の先生は飛んで逃げた。

 妻子に出て行かれると、部屋に残っていたものは、ラーメン鍋一つと、蒲団一つだった。
冷蔵庫も洗濯機も、調理器具一式も箪笥その他の生活用具も全部妻が嫁入り道具として持って来たものだった。
河馬は裸になった。生活できなかった。

主治医の稲谷Dr.に事情を話すと、即入院が決まった。
それから1年半の長期入院、人生最大の危機を味わった。

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