気ちがい河馬さんの日記

精神病院に通院しつつ、障害年金ではとても食えないので、深夜に「ギャオ^スー」と雄叫びを発し河馬に変身し大和川の草食らう

野口のオバチャンの導きで、ひさびさに坂口珈琲店に行った。

2014-07-14 18:46:09 | 風景
アンダンテからの帰り道、野口のオバチャン(サポートハウスアンダンテで圧倒的悪口でアンダンテの施設利用者の中での最高権威:西太后:を時々圧倒している。)を見つけたので、後を付けた。

はじめは全然気付いていなかったが、突然振り返って「河馬っ! なにしてっんのよ!」とカナキリ声を挙げた。

50mぐらい離れていたのに突然振り返って気付かれた。勘が鋭い。

気ちがい河馬は、裸眼ではとてもなにかわからない。最近、メガネを新調してようやく、遠くまで見渡せるようになった。
野口のオバチャンの以前の家は知っていたが、訪ねたことはなかった。

 もし、そんなことをしたら強盗にでも仕立てあげられかね無いから、尋ねるようなことは河馬はしない。君子危うきに近寄らず、だ。

野口のオバチャンは、最近すでにアンダンテを退職した愛ちゃんに、ほとんど引っ越し荷物を作ってもらって、近くのマンションに引っ越ししたらしい。

とにかく口は良く動くのになんにも出来そうに思え無い。

毎日、用も無いのに大きなカートを引っ張り、アンダンテにやってくる。運動にはなるだろう。
 カートの中身が何か詮索する気はさらさらない。どうせゴミしか入っていないことは明らかだ。

河馬ならあれだけのカートを引くとしたら、非常時に三週間は生き残れる、水と非常食をパッケージする。


「なにしてんのよっ!」と半分笑いながら大声で尋ねられたので、こっちがはずかしかった。「自分っちへの帰り道」と答えた。「嘘ばっかし!付けてるんでしょ。」「いやぁ 帰り道だよ」ととぼけた。

50mも離れているから、どちらも大声をだす。

道行く人が何事かと振り返る。もっと近づいて静かに話そうと、ダルマさんが転んだ、よろしく彼女が振り返える度にストップして、徐々に距離を縮めた。
ついに数メートルまで近づいた。これで大声を出さずにすと思ったがあにはからんや。
彼女の怒りはさらに高まりカナキリ声は収まらない。河馬は困った。
が、今さら追跡調査を止めるわけには行かない。

あくまでもも自宅への帰り道て言い張った。

彼女は反論する。「それなら、自転車なんだから、さっさと追い越して家に帰りなさいよ!」しかし河馬はのらりくらり理由付けする。今日は自転車を押して帰りたいんだ、云々。

野口のオバチャンは疲れてよそのマンションの前で腰かけた。河馬も押している自転車を止め、買ってから一度も磨いた事の無い自転車を掃除した。


野口のオバチャンとサポートハウス・アンダンテの共通の敵西太后の悪口を言った。機嫌が直った野口のオバチャンは、オカキを2個くれた。

 よそのマンションの前にオバチャンは座り込み、河馬は自転車を磨いていると、前の1個建ての奥さんが出てきて、初めは不審そうに、見ていたが二人の会話を聞いていて「仲良しですね。」といった。そうだ実は、野口のオバチャンと気ちがい河馬は仲良しなのだ。

一服すると彼女は重いカートをゴロゴロ引きずってまた歩き続けた。今度はもうなにも言わなくなったので、べったり後を付けた。

突然彼女の姿が消えた。おかしいなぁ、とあたりを見回すと、おぉ!眼前に坂口珈琲店があった。

懐かしい、昔は良く来ていた。その店は角店で内部は、5~6人も入れば満席の小さな喫茶店だ。

その店の客はほとんどが浅香山病院の患者である。

病院の周辺、特に香ヶ丘には退院して独居暮らしの患者がたくさん住んでいて、フワッとした患者コミュニティがある。


店の内部は昔と全然変わっていない。古時計が壁一面にある。 ゼンマイ式の柱時計がある。カウンターに無造作に壊れた英文タイプライターが置いてある。
ドァの横、後ろの壁際には、おそらくは戦前の再生式ラジオがあり、河馬はきっとこのラジオから、終戦の詔勅、玉音放送が流れただろうと想像を逞しくする。

「耐え難きを耐え、忍びがたきを忍び、朕は汝臣民にポツダム宣言の受諾を、云々」


気ちがい河馬の父親河馬は終戦(敗戦)前この玉音放送を、南支那(中国南部昆明市からまだ奥地)で聞いたと言っていた。
父河馬の部隊は、中国共産党の第八路軍(パーロ)のゲリラに悩まされながら、南方から中華民国の臨時首都、重慶攻略の作戦に従事していた。

父河馬は不良兵士だったので、中国大陸に上陸してから7年が経っていたが、日華事変から太平洋戦争へと戦争が拡大して行く中で、前線へ前線へと追いやられていた。
父河馬の話しによると、太平洋戦争末期、中国の山奥で、英軍のインド・デリー放送、米軍の日本語放送がガンガン聞こえ、敗戦の数年前には、どうも日本軍は負けているらしい。とわかったそうな。父河馬は通信兵だった。


坂口珈琲店の中に、やっぱり野口オバチャンは隠れていた。
やっぱりきたんかいな。彼女は言った。
河馬!お金持ってんのかいな。
失礼な事を言う。千円ぐらい持っていたので野口オバチャンに河馬は珈琲一杯奢ろうか。と提案したが、頑なに拒否した。

善意の提案を拒否しておいて自分は茶店のママに珈琲代、手形を切った。坂口珈琲店では常連の客は、メモ用紙に日付と名前を書けばつけが通るらしい。先に入っていたお兄さんも、そうしていた。

香ヶ丘の茶店らしい。常連に優しい。

河馬の住むJR某駅前ではいくら常連でも、居酒屋のつけはあっても喫茶店のつけはない。

もうそんなことはどうでも良い。坂口珈琲店に入ったとたん河馬の記憶はバック トゥ ザ
フューチャーの世界に入った。
10年から15年前坂口珈琲店に友達と良く通った。患者会役員の森内、バチンコ気ちがいの白(通称 日本名は忘れた)、同じく役員の猫のミィヤァーオみんなまだまだ元気だった。
しかし、今はもう誰も居ない。

変死、鉄道自殺、腎不全、死因は色々だが、兎に角還暦を待たずに死んでしまった。

大阪外大卒のリ コーショー は病棟で狂い死にした。

看護婦さんたちに抜群の人気者だった絵描きの田中資朗も、自殺とも、事故とも判らない大火傷が元で死んでしまった。
資朗さんと河馬は大阪市内でで同郷のよしみで、特に仲がよかった。
資朗さんは冬場に良くナイトケアの風呂でシャツに腕が通らず、途中まで腕を通したまま凍っていた。
また、資朗さんは「鹿も四つ足、馬も四つ足!」と一言で河馬に義経の一の谷の合戦、ヒヨドリ越えの名場面を彷彿とさせた。
リ コーショーは朝鮮人で勿論ロシア語学科出身だから、ロシア文字も書けたし、読めた。
河馬にプーシキンの詞を書いて暗唱しろと言った。
気ちがい河馬も大学で、ロシア語を習ったから、読み書きできたけれど、暗唱する力は老河馬にはなかった。その代わり風呂場でリ とインターナショナルや国際学連の歌を大声で歌った。

親しい友達はみんな、みんな死んでしまった。

河馬はもはや生きた化石である。レリックだ。
早く死にたい。