以前に雑草という草はないということを書いたことがあるが、「雑草だ引っこ抜こう」と思ってしまうのはその草が私にとって綺麗だと感じることもなく食べられるわけでもなく、もちろん私が植えたわけではなく勝手に蔓延ってきたからであり、私にとって意味がない上に見た目がだらしなく見えるから引っこ抜くのである。世の中はそういう意味のあるものだけで自分の周りを固め、そういう人たちが街を形作り、多くの意味のあることだらけの都市になっていく。道端に生えている雑草、邪魔になる木、そこかしこから這い出てくる虫たち、全て意味のないものは淘汰されていく。
さて私の母は生きていく意味があるのであろうか、世の中の言ってみれば役に立たなくなったお年寄りたち、人に面倒を見てもらわなければ生きていけない人たちは生きている意味があるのだろうか。あの障害者施設での大量殺人を肯定してしまうようで怖い考えが頭を過ぎる。
そんな世の中になってはいけないと感じる私がいるが、そのそんな気持ちを私は説明することができない。
今日の母は寝言なのか「いつ死ねるのか聞いてくれ」とか、まともに話をしているのかと思えば、話をしている間に寝てしまって、話しかけるとまたびっくりしている状態です。
ケアマネージャーにもっと話し相手のいるユニットに移すなど環境を変えてみるのもいいのかもしれないと提案しているが、施設内での打ち合わせでは却って今の部屋が変わってしまうようなことがあると憤慨して収集が付かなくなるとの意見が大半を締めたらしく、今のままの環境でいるしかないとの結論に至ったと伝えられました。日頃、施設の人たちにはかなり迷惑をかけている様子が窺えます。