当時主力のナローボディー機です。(燃費が悪く、途中まではあまり航続距離が長くなかったそうです)エンジンも単なるジェットでターボファンではないですね。写真はWikiからの転載です。
さて、当時を振り返ると
フィリピンはマルコス政権の絶頂期でした。
そのせいか、治安も割りと良く、移動は車ですがそれほど荒れている様子はありませんでした。(新聞売りや勝手に窓を拭くとかのストリートチルドレンはそれなりに見ました)
お土産やさんには、沢山の貝を使った細工物。材質は良くわからなかったですが石の象の置物。木製のカラバオ(水牛)の置物が並んでいました。
特に貝を使った細工物は見事で、スライスした貝を貼り付けて色をつけステンドグラスのような見え方。電灯や、間仕切りまで沢山の品がありました。
行った場所は、
・マンダリンホテルの中華料理屋(これはとにかく広くて驚きました。)
・マンダリンホテルのプール(いとこに沈められてました。。。深さ3mとかあって日本には当時はちょっとない深さでした)
・スペイン料理店(ここでオニオングラタンスープデビュー、世の中にこんなに旨い物があるのかと感動しました、中では3人組の楽隊がテーブルの横でリクエストに答えてくれるというものもあり、日本との差に驚きました)
・タガイタイ湖:カルデラ湖(非常に大きなカルデラ湖、涼しかったです。高原の保養地で(スモーガスボード)バッフェ形式でしたがハエがたかっていてちょっとたべられませんでした。。)
・マタブンカイ:海(荒れてて入れませんでした)
・リサール公園:処刑場、水攻めの牢がありました。隣接する川から水が流れ込み水死するというつくりでした。
食べ物で印象的だったのは
・やはりオニグラスープ
・カラマンシージュース(これはひらみレモンと同じ、シークワサァであることが後でわかりました)
・パパイヤ(とにかくでかい。日本のはラ・フランスみたいな形ですが、フィリピンのは太さも長さも形も違う。30センチクラスがざらです。これにカラマンシーを絞って食べると実にさわやかでした。
出来事で印象的だったのは
・スコール
にわかに空が欠き煙ったかと思えば突風、その後強い雨、舞い上がる新聞紙の記憶が鮮明です。
・雷
とにかく激しいです。夜なか中なり続けていた日もありました。かなり近くに落ちる感じでおっとろしかったです。
・空港の検査官
日本土産のお菓子を渡すとスルー・・・
・メイドさんと運転手
メイドさんが二人と、運転手が一人常駐でした。
・ヴィレッジ
日本人や富裕層が暮らす街。高い塀で囲まれ、銃を所持した門番がいました。ゲートもありました。また十字路にはバンプがあり速度を落とすように作られていて関心しました。