gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

岩本寺(2024年7月14日)

2024-07-23 18:45:36 | 日記

岩本寺

高知県高岡郡四万十町茂串町にある四国八十八ヶ所の一つである岩本寺にお参りに行ってきました(2024年7月14日)。

以前に四国八十八ヶ所をまわったことがあり、このお寺は今回が2回目でした。ちょうど茂串城と隣接しているので、よい機会でした。

お参りを終えた直後から激しい雨に変わりました。

岩本寺の位置

岩本寺(1)

岩本寺(2)

岩本寺(3)

岩本寺(4)

岩本寺(5)

 


茂串城(2024年7月14日)

2024-07-22 04:57:56 | 日記

茂串城

高知県高岡郡四万十町茂串町にある茂串城(読みは「しげくしじょう」、別名は窪川城、久保川城)に行ってきました(2024年7月14日)。

最寄駅は土讃線の窪川駅になります。窪川駅から登城口まではおよそ15分ほど歩きます。四国八十八ヶ所の一つである岩本寺を目指して行けばよく、その隣に三熊野神社がありそこの裏から登りました。ただしばらく使われていないからなのか、道がなくなっておりやむなく直登となりました。標高は372m、比高は160mなので我慢してなんとか登り切りました。帰りは窪川家老山内家の墓所付近に戻ってくるルートでしたが、こちらから登った方が良かったかもしれません。こちらも最後は道がなくなるのですが、かなりの部分ミニ八十八箇所巡りルートが残ってました。

現地の説明板によると戦国時代初期の1500年に鎌倉から山内備後守宣澄がやって来て窪川氏を名乗り、茂串山に山城を築き、麓に土居屋敷を構えたとのことです。

茂串城の説明板の位置(登城口)

説明板(岩本寺駐車場と三熊野神社参道の間にあります。)

三熊野神社の鳥居

三熊野神社の拝殿

石積

ミニ八十八箇所巡りの石仏

曲輪(1)

曲輪(2)

曲輪と土塁(1)

曲輪と土塁(2)

曲輪と土塁(3) 土塁の上にも石仏

堀切

曲輪(3)

曲輪(4)

曲輪(5)

 


佐川城(2024年7月13日)

2024-07-19 22:02:32 | 日記

佐川城

高知県高岡郡佐川町上郷にある佐川城に行ってきました(2024年7月13日)。

最寄駅は佐川駅で、駅から歩いて25分ほどで登城口にたどり着きます。牧野公園の中の一角で、防獣のための門を開けて入ります。登城口からは10分ほどで主郭に到着します。現地の縄張図では、土佐の山城でよく見られる詰の段という書き方がされています。

主郭は堀切で二つに分けられています。南側には標柱が建てられています。北側には石垣があります。石垣のあるところには、詰の段から一度ニノ段に降りて、グルっと回り込むことになります。「土佐の山城」という本の表紙に使われている写真は、こちらの石垣ですので、行った際には見てみるのがよいかと思います。

現地の説明板によると、この城は長宗我部元親の重臣であった久武内蔵助が松尾城からこちらに移したとのことです。また、その後長宗我部氏から山内氏の支配になると、山内一豊の筆頭家老である深尾重良が入城しています。ただ、1616年の一国一城令により廃城となっています。

佐川城の位置

説明板

青源寺庭園

青源寺山門

青源寺本堂

登城口

縄張図

説明板

登城口の門

詰の段の標柱

三角点

詰の段の堀切(1) 上から撮影

詰の段の堀切(2) 堀底から撮影

詰の段の土塁(1)

詰の段の土塁(2)

詰の段の石垣(1)

詰の段の石垣(2)

詰の段の石垣(3)


「道の駅白馬」でそば

2024-07-17 22:46:18 | グルメ

「道の駅白馬」でそば

長野県北安曇郡白馬村にある道の駅白馬で、そばをいただきました(2024年7月7日)。

道の駅白馬の位置

そば(大盛り)


飯田秋葉山砦、飯田城(2024年7月7日)

2024-07-17 02:56:45 | 日記

飯田秋葉山砦、飯田城

長野県北安曇郡白馬村大字神成飯田にある飯田秋葉山砦、飯田城に行ってきました(2024年7月7日)。

最寄駅は神城駅(かみしろえき)になります。登城口までは歩いて15分ほどになります。神城駅から南神城駅に向かって南に進み、道の駅白馬のあたりで西に曲がり、線路に突き当たったところをさらに線路沿いに南に進みます。線路をくぐるガードがあるので、そこから線路を横断し、北に向かって進んだところにあるのが登城口になります。夏のこの時期だと草で分かりづらくなっています。登城口からはつづら折りの道を登っていくと秋葉神社(秋葉様)にたどり着きます。そこからさらに進むと二本の堀切(東側の)がありますので、城域に入ったことが分かります。曲輪を抜けるとまた二本の堀切(西側の堀切)があります。この後、標高1013.6m(この辺りでは最高地点)の山頂を経由して一旦少し降りて、再度登ります。犬川の南側標高988mのところが飯田城になります。

日本城郭大系によると、「飯田集落の西方の山にある。天文年間、仁科氏の家臣大日向佐渡守の居城。弘治二年、山県昌景の手によって落城した。別称月夜沢城。」とのことでした。

飯田城、飯田秋葉山砦に向かう入口(突き当りに塩の道・千国街道の説明板)

飯田城の位置

塩の道・千国街道の説明板(月夜棚城跡、飯田城跡と書かれています)

線路をくぐるガード

登城口

三峰神社の鳥居

秋葉神社、三峰神社

飯田秋葉山砦東側の堀切(一条目)

飯田秋葉山砦東側の堀切(二条目)

飯田秋葉山砦西側の堀切(一条目)

飯田秋葉山砦西側の堀切(二条目)

標高1013.6m地点

雪で押しつぶされ逆茂木のようになった木

飯田城の堀切

飯田城の堀切

飯田城の空堀

飯田城の堀切

飯田城の主郭

飯田城の堀切

飯田城の空堀