東京でカラヴァッジョ 日記

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「鉄道と美術の150年」展(東京ステーションギャラリー)

2022年11月04日 | 展覧会(日本美術)
鉄道と美術の150年
2022年10月8日〜2023年1月9日
東京ステーションギャラリー
 
 
 鉄道が描かれた美術作品を通じて、近現代の日本社会史を見る展覧会。
 
 「鉄道」の開業 &「美術」という言葉の誕生から150周年であることにちなんで、150点の美術作品の出品。
 
 美術作品のみならず様々な分野の展示品を通じて鉄道を見る展覧会は、当館にて何度か開催されているが、今回の展示品は美術作品のみ。
 
 150年の美術+鉄道+日本社会史を150点で見るのだから、重量級の内容である。
 
 以下、気になった作品を記載する。
 
 
河鍋暁斎
《極楽行きの汽車『地獄極楽めぐり図』より》
1872年、静嘉堂文庫美術館
 
 鉄道開業前後の錦絵、瓦版、双六などが並ぶなか、「幕末明治の巨匠、暁斎の傑作」、《地獄極楽めぐり図》が登場。
 静嘉堂文庫美術館が10/1から丸の内に移転開館したばかりのタイミングで、この名品の他館貸出に驚き(出品は11/6まで、以降は下絵が出品)。
 暁斎のパトロンである日本橋大伝馬町の小間物問屋の勝田五兵衛が、数え14歳で夭折した娘の一周忌の供養のために注文したもの。
 娘がこの世の娯楽や地獄を巡って極楽往生するまでの旅の様子が描かれる全40図のうち、「極楽行きの汽車」が展示。
 本作の制作時期は、日本初の鉄道開業(1872.10)前の7月であるが、その頃には品川・横浜間の仮営業は始まっていたらしい。
 
 
高橋由一
《「写生帖」7より》
1873年、東京藝術大学
 
 日本の洋画家が鉄道を描いた最も早い時期の作品らしい。
 ただし、素描で、描かれているのは「煙」のみ、その煙に「蒸気車」とメモされる。
 日本の洋画家が駅舎や車両を描いた最も早い時期の作品は?については、本展では触れられていないようだ。
 
 
小林清親
《高輪牛町朧月景》
1879年、町田市立国際版画美術館
 
 海の上に造られた高輪築堤の上を走る蒸気機関車。
 2019-20年に品川駅改良工事および高輪ゲートウェイ駅周辺開発事業にて、「高輪築堤」遺構が発見され、その保存や国史跡指定などニュースになっていたが、本展では、本作を含む出品作に関連させての言及はないようだ
 
 
川口月村
《岩手県鉄道沿線名勝図巻》
1889年、もりおか歴史文化館
 
 1881年設立の私鉄会社の日本鉄道は、1891年に上野-青森間を全通させる。
 本作は、一ノ関停車場から青森停車場までの沿線風景45図からなる図巻。
 
 
鹿子木孟郎
《瀧の川村字田端》
1893年、府中市美術館
 
 本展では「田端」を描いた作品が多く出品される。
 田端には、「変電所」や「車庫」が存在したこと、明治期から昭和初期にかけて美術家や作家が多く住む「田端文士芸術家村」であったことによるのだろう。
 本作は、線路こそ走っているが、駅はまだ開業していない時代の、農村風景の田端が描かれる。
 私的には、大昔にわずか半年ほどではあるが、田端駅のすぐ近く、低いほうに住んだことがあるので(その頃職場と自宅の往復だけで地域に対して関心を持つ余裕はなかったが)、親近感をもって、よく知らない「田端」の作品を見る。
 
 
都路華香
《汽車図巻》
1899年、個人蔵
 
 駅のホームに停車中の列車の乗降客。
 白帯の一等車、青帯の二等車、赤帯の三等車による乗降客の違い。
 さらに、老若男女、日本・中国・朝鮮・西洋、多様な職業。
 加えて、駅で働く多様な職種の人々。
 100人超が描き分けられる「明治中期の日本社会の縮図」図巻。
 
 
赤松麟作
《夜汽車》
1901年、東京藝術大学
 
 「日本の鉄道絵画の中で最も有名な作品」。
 本作との久々の対面が、私の本展のお目当ての一つ。
 東京から名古屋に向かう東海道線の夜行列車、明け方を迎えた客車内の光景。
 私的には、小学四年の夏休み、母親と弟とで普通指定席の夜行電車で両親の実家に行ったときのことを思い出す(帰りの記憶がないが、寝台車での夜行電車だったのだろうか)。
 
 
川上涼花
《鉄路》
1912年、東京国立近代美術館
 
 ヒュウザン会の結成に参加。1921年に34歳で夭折。関東大震災もあって、残る作品は現在20点ほどという。
 本作は、大塚・池袋間の切り通しの中を走る線路が(左下には走る電車も)描かれる。
 ゴッホ風の筆触、未来派的なスピード感。
 
 
梶原緋佐子
《帰郷》
1918年頃、京都市美術館
 
 駅のホームでふと足を止めたという風情の女性。
 解説には、同じ頃に制作の《暮れゆく停留所》(1918年、京都市美術館)の、駅のベンチに腰掛け傘にもたれて疲れた顔を見せる女性との対照性について触れられている。
 
 
不染鉄
《山海図絵(伊豆の追憶)》
1925年、木下美術館
 
 2017年当館の「没後40年 不染鉄」展以来の対面。
 前回の展示環境は忘れたが、今回は至近距離での鑑賞が可能。大型作品なので、上部は厳しいが、中央・下部は細かい描写までしっかりと観ることができる。
 画面中央の列車には、乗客も描かれていたのか。ほとんどの窓に乗客が一人ずつ描かれているということは、ほぼ満席ということか。駅舎に駅員もいる。停車中ということか。
 などと、画面各部の細かい描写を楽しむ。
 画面最下部の太平洋の海の底と魚たちから始まって、画面上部の雪国の村々に日本海まで、富士山を中心に日本列島の中央部分を縦に俯瞰するというスケールと、細部の描写。
 これは凄い作品としか言いようがない。
 
 
杉浦非水
《東洋唯一の地下鉄道 上野浅草間開通》
1927年、日本交通協会
 
 非水の代表作の一つ、1927年12月30日の日本初となる地下鉄の上野・浅草間開業ポスター。
 ホームの端にまで真冬姿の人々がびっしり。
 ホームすべてが狭くなっているのだろうか。
 
 
長谷川利行
《浅草停車場》
1928年、個人蔵
 
 上野・浅草間の地下鉄開業の翌年、浅草駅内の人々を描く。都会の光景。
 
 
長谷川利行
《汽罐車庫》
1928年、鉄道博物館
 
 田端駅の車庫を大画面に描く。
 長谷川の作品は、もう1点《田端変電所》(1923年、広島県立美術館)も出品される。
 
 
佐藤哲三
《赤帽平山氏》
1929-30年、宮城県美術館
 
 ゴッホ風の男性人物像。
 解説にて、赤帽の歴史を学ぶ。
 「1896年頃、山陽鉄道の駅に本格導入され、やがて全国の主要駅に広まった」「最盛期の大正時代には東京駅に70名以上が働いていた」「1960年代以降、新幹線の発達で手荷物量が減った/宅配業が盛んになったことで廃れていった」。
 Wikiによると、2000年に上野駅、2001年に東京駅で廃止。2006年の岡山駅での廃止をもってJR駅から赤帽は消えたとのこと。
 
 
伊藤研之
《家》
1930年、個人蔵
 
 建物と建物の間の狭い空間に敷かれた線路を走る(おそらく)都電。
 
 
岩佐保夫
《踏切を守る母子(1)》1931年
《踏切を守る母子(2)》1932年
米子市美術館
 
 踏切番。横断者への警告や遮断機の開閉などに従事。長時間に及ぶ過酷な労働が時に不注意を招き、凄惨な事故が発生することもあった。
 さまざまな事情で家族が代行することもあった。
 本作は、踏切番の夫に代わって、「通過可能」の白旗を振る母子の姿。
 
 
玉村方久斗
《プラットフォーム》
1931年、秋田県立近代美術館
 
 画面左の小さな部屋で談笑する駅員たち、左下に右手を上げる駅員、中央にベンチに腰掛ける厚着の老人、右に身体半分でカットされた漁師らしき男性。駅における日常の一コマ。
 
 
望月晴朗
《同志山忠の思い出》
1931年、東京国立近代美術館
 
 1931年に獄死した同志・山本忠平(陀田勘助の名でアナーキズム詩人として活動)を偲ぶ。
 舞台は、東京駅。時は1928年。
 日本の労働状態視察のため来日した国際労働機関事務局長アルバート・トーマが出迎えを受けているところに、山本とその仲間が現れ、赤いビラをまき、演説を始める。   
 1931年12月の第4回プロレタリア美術大展覧会への出品作。
 プロレタリア美術展覧会の出品作は、国家による弾圧や地方および海外での展覧会への出品による行方不明などの理由から大半が現存しないという。本作は画家の遺族によって大事に保管されたことで今に残る貴重な作例となっているという。
 
 
櫻田精一
《東京駅》
1932年、東京ステーションギャラリー
 
 東京駅丸の内駅舎(1914年竣工)と東京中央郵便局(1931年竣工)。
 1915年には、駅舎と局舎のあいだの地下通路を通じて、電気機関車による鉄道郵便物の輸送が行われており、郵便物限定とはいえ、1927年の上野・浅草間の地下鉄開業に先立つ「日本初の地下鉄道」とされることもあるらしい。
 
 
木村荘八
《新宿駅》
1935年、個人蔵
 
 昭和10年の新宿駅の雑踏の光景。
 
 
石川光陽
《品川駅前での出征兵士の見送り風景》
1937年、東京都写真美術館
 
 警視庁の警察官兼カメラマンだから撮影可能であった一枚。
 
 
里見宗次
《JAPAN:Japanese Government Railways》
1937年、武蔵野美術大学美術館・図書館
 
 海外客誘致を目的に制作されたポスター。
 
 
田中靖望
《機関車》
1937年、名古屋市美術館
 
 南満洲鉄道が設計・運用した機関車。
 大連と哈爾濱間を結ぶ特急列車「あじあ」(大連と哈爾濱間を結ぶ)を牽引したという。
 
 
野田英夫
《車内》
1938年、板橋区立美術館
 
 昭和13年の電車の車内、駅に停車して客が乗降中の場面。
 この時期には、日常生活はまだ平静を維持していることがわかる、との説明。
 
 
松本竣介
《駅の裏》
1942年、三重県立美術館
 
 東京駅の八重洲側からの荒涼とした風景。
 
 
中村岳陵
《驀進》
1943年、東京ステーションギャラリー
 
 1944年に陸軍美術展覧会に出品した《驀進》(所在不明)のために制作。
 蒸気機関車の運転室の過酷な熱のなかで働く機関士と機関助士が描かれる。
 
 
伊藤善
《東京駅(爆撃後)》
1946年頃、東京駅
 
 終戦の翌年頃。
 1945年5月25日の大規模空襲による被害が生々しい東京駅に、通勤客が往来する。
 
 
黒岩保美
《連合軍軍用専用客車車内図》
1946年、鉄道博物館
 
 黒岩は、運輸省鉄道総局嘱託職員となり、連合軍専用客車の構造を記録する作業に従事したという。「占領記録画」。
 
 
佐藤照雄
《地下道の眠り》
1947-56年、東京都現代美術館
 
 戦後、空襲による壊滅的被害を免れた上野駅には、近隣のみならず遠方からも大量の避難者たちが押し寄せ、駅の地下道は人々であふれかえる。
 佐藤は、戦後約10年間にわたり、上野駅地下道に横たわる家無き人々の姿を描き続ける。
 本展には12点が出品。
 
 
中村宏
《国鉄品川》
1955年、浜松市美術館
 
 「品川駅で働く国鉄マンを誇張なしで描く写実性が本作の特徴」との説明。
 
 
富山治夫
《許容(中央線・新宿駅)》
1965年、東京都写真美術館
 
 最近はだいぶ増えてきたとはいえ、コロナ禍前よりは確実に良くなった通勤混雑。
 昔は、もっと酷かったようだ。
 当時は、今ほどの輸送力はなく、冷暖房・空調もなく、車内のマナーや犯罪に対する認識も今とは違っただろうから、その酷さは想像を上回るほどなのだろう。
 
 
大野源二郎
《別れのホーム》
1965年、秋田県立近代美術館
 
 秋田にて、車窓の集団就職の中高卒者と、見送る親御さんたち。
 
 
山本作兵衛
《舟頭と陸蒸気(コロタイプ複製)》
1965年、田川市石炭・歴史博物館
 
 炭鉱まで取り上げるとは。
 
 
大島哲以
《終電車》
1967年、名古屋市美術館
 
 車内喫煙をモチーフとするようだ。
 昔の長距離列車は各座席に灰皿があり、車内のあちこちから煙が上がっていたなあ。
 
 
香月泰男
《煙》1969年
《バイカル》1971年
山口県立美術館
 
 まさかの香月の「シベリア・シリーズ」、しかも2点も。
 「大自然の中に置かれた汽車は、ひどく小さく、まるで玩具のように見えた。音は遠いので聞こえないが、煙は列車の何倍もの大きさになって、のたうちながら流れていく。あれに乗ったら日本へ帰れる。日本へ帰る人が乗っているかもしれない・・・。何度こんなことを考えたことだろう。昔はこの汽車に乗って欧州へ留学した人たちもあった。」
 「初め連行される時は、この湖を見てやれやれシベリヤに入ったと思ったし、引き揚げ列車から氷の溶けかけたのを側に見ながら通った時は、やれやれこれでシベリヤにもおさらばと嬉しかった。」
 当館では、2004年に「香月泰男展」が開催されている。
 
 
《ディスカバー・ジャパン》
1971年、鉄道博物館
 
 1970〜76年の国鉄による個人旅行促進キャンペーン。
 「都市生活者による地方搾取という非対称な構造を看過している」「累積赤字、通勤地獄、順法闘争によるストライキの激化といった国鉄の諸問題を閑却している」との非難・批判もあったとのこと。
 
 
稗田一穂
《雨晴海岸》
1982年、愛知県美術館
 
 富山県高岡市に所在し、JR氷見線が海岸線のすぐ横を通る絶景スポット。
 画家もそのような雨晴海岸を描いたはずだが、解説の最後の方に、「1978年に同地で起こった拉致未遂事件は、北朝鮮による日本人拉致が社会問題化するきっかけになったとされている」。
 1982年当時はまだ社会問題化されておらず、画家も知らなかった可能性が高そうだが。
 
 
相笠昌義
《駅にて:夜》
1993年、東京オペラシティアートギャラリー
 
 夜の地上駅の島式ホームに、一日の仕事を終えた人々。やがて電車が来て、一旦閑散となり、また人が集まりだす、を繰り返す。
 
 
Chim↑Pom
《LEVEL7 feat.『明日の神話』》
2011年、岡本太郎記念館
 
 東日本大震災に伴う福島第一原発事故をモチーフとする。
 渋谷駅構内にある岡本太郎の壁画《明日の神話》に本作をゲリラ的に添えるというパフォーマンスが物議を醸した。
 本展では、別作家による1995年の阪神淡路大震災、および同年の地下鉄サリン事件をモチーフとする作品も展示されている。
 
 
 
 以上、150点のうち41点を記載した。
 
 東京およびその周辺を描いた作品がどうしても主になるのだなあ。
 
 関東大震災をモチーフとする作品が見当たらないのは、来年2023年がちょうど100年で、別の企画などが用意されているのだろうか。
 柳宗悦「民藝運動」に関連する作品が見当たらないのは、本展の一つ前の展覧会「東北へのまなざし 1930-1945」展を開催したためであろうか。
 それ以外にも、私が気づいていないけど、触れられていないモチーフがあるに違いない。
 
 ボリュームたっぷりの、鉄道が描かれた美術作品を通じて見る日本近現代社会史。
 気合いを入れて鑑賞に臨みたい。


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