ロンドン・ナショナル・ギャラリー展の出品作。
ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド
《マグダラのマリア》
1535-40年頃、89.1×82.4cm
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
シルバー色のマントを纏った若い女性が振り返って、こちらのほうを見ている。
その表情は、夜明け前の薄暗さで見えづらい。
これは肖像画ではない。
と思う前に、既に作品の題名を見てしまっている。
描かれているのはマグダラのマリア。
確かに、画面左下方に小さな白い壺、マグダラのマリアのアトリビュートである香油壺がある。
「不在効果」
登場すべき人物をあえて描かず、画面の外の空間に存在を想定させ、観者の位置にかさねあわせることによって、観者を画中の出来事に関与させる趣向(宮下規久朗著『バロック美術の成立』)。
本作は、「不在効果」が使用された西洋美術史上代表的な作品の一つとして、同著で挙げられている。
この作品の場面は「ノリ・メ・タンゲレ」。「我に触れるな」。
週の初めの日のこと、マグダラのマリアは、早朝のまだ暗いうちに、墓へ行く。すると、墓から石が取り除かれているのを目にする。(中略)
彼女は、墓のところで泣きながら外に立っていた。そして、泣きながら墓の方に身をかがめてみると、白衣の御使が2人座っている。彼らは言う「女よ、何を泣いているのか」。彼女は言う「誰かがわたしの主を取り去ったとです。どこに置いたのか、分からないのです」。
そう言ってから後ろを振り返ると、そこにイエスが立っている。しかし、イエスであることが分からなかった。イエスが彼女に言う「女よ、何を泣いているのか。誰を探しているのか」。
彼女は、その男が庭師だと思い込んでいたので、男に言う「もしあなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」
イエスが彼女に言う「マリアよ」。
彼女は、振り向きざまにイエスに言う「ラッブーニ(ヘブライ語で「先生」)。
イエスは彼女に言う「我に触れるな。私はまだ父のところにいるわけではないのだから」。
サヴォルドは、イエスに名前を呼びかけられ、その男がイエスだと気づいて振り向いた、その瞬間のマグダラのマリアのみを描く。
イエスは描かれない。
つまり、観者は、復活して最初に人前に姿を現したイエスの役回りを担わされることとなる。
本展にてその隣に展示される作品は、その次の場面、近づこうとするマグダラのマリアに対し、イエスが「我に触れるな」の場面。イエスもマグダラのマリアも描かれている、という意味で一般的。
ティツィアーノ
《ノリ・メ・タンゲレ》
1514年頃、110.5×91.9cm
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
ティツィアーノの初期時代の作品。背景の風景(ヴェネツィア本土の風景を理想化して描いたとのこと)を好ましく感じる。
「不在効果」が使用された、もう一つの西洋美術史上代表的な作品。
アントネロ・ダ・メッシーナ
《受胎告知の聖母》
1476年頃、45×34.5cm
パレルモ、シチリア州立美術館
観者は大天使ガブリエルの役回りを担う作品。
画家の甥によるコピー作品が2016年の国立新美術館「アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展で来日している。
ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド(1480頃〜1548頃)は、当時ヴェネツィア共和国の一部であったブレーシャに生まれる。若い時頃の数年間パルマとフィレンツェにいた以外は、ほとんどヴェネツィアで活動する。
現存する作品数は40点ほどと少ないらしいが、その卓越した画風により、カラヴァッジョの先駆者の一人としても重視されている画家である。
夜明け前の墓地に佇むマグダラのマリア。
左後方には、海と船、教会や家々の風景が描かれる。
ヴェネツィアの風景であるらしい。
そこからこの女性は、ヴェネツィアの高級娼婦である可能性が示唆される。
「我に触れるな」。