東京でカラヴァッジョ 日記

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フュースリ《グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ》(国立西洋美術館常設展示室)

2020年09月10日 | 国立西洋美術館常設展示
フュースリ
《グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ》
1783年頃、276×317cm
国立西洋美術館
 
   国立西洋美術館の常設展示室、本館から新館に入ってすぐ左手、常にそこに展示されている感がある大きな絵画、それがフュースリ。
 
 
   フュースリって誰?
 
   ヨハン・ハインリヒ・フュースリ(Johann Heinrich Füssli)は、1741年にチューリヒで生まれ、ロンドンで活躍し、1825年に同地で没したドイツ系スイス人のロマン主義の画家。
 
   父親も画家。父親の希望で聖職者となるも、実質的な活動に入る前に興味を失う。町の政治抗争により、国外追放令を受け、ドイツ滞在を経て1765年に23歳で渡英する。その時点では画家になるつもりはなく物書きなどしていたようだが、知己を得たレイノルズの勧めで画家としての修業をはじめる。1770-78年にイタリアに留学(グランドツアーですね)、ミケランジェロに影響を受ける。
   ロンドンに戻った後は、ギリシャ・ローマ文学、ダンテ、シェイクスピア、ミルトンや北方神話などから主題を採った物語画を中心に活躍する。英国美術は物語画が好まれるのですね。ラファエロ前派の画家に対してもそんな印象があるのですが、一般的に日本人には馴染みの薄い英国文学などの主題を好むものだから、とっつきにくい。
 
   スイス人でロンドンで活躍した画家なので、その作品の多くはスイスか英国に所蔵されている印象。
 
   代表作とされる《夢魔》については、スイスでも英国でもなく、米国のデトロイト美術館が所蔵。
 
フュースリ
《夢魔》
1781年、101.7×127.1cm
デトロイト美術館
   2017年の「怖い絵」展で、特別監修者である中野京子氏が強く出品を願ったものの叶わなかった作品(その後、開幕直前に米国のヴァッサー大学美術館が所蔵する別バージョン・小サイズの《夢魔》の出品が実現している)。
 
   その《夢魔》は、来日歴がある。1983年の国立西洋美術館「ハインリヒ・フュースリ展」でのこと。絵画25点、素描82点の計107点の出品。11/12〜12/18の会期で入場者数は38,414人、32日間と会期も短いが1日あたり入場者数も1,200人と、それほど評判にはならなかったようだ(それでも、もう一度開催してくれないかなあ)。
   冒頭の《グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ》は、国立西洋美術館が同展覧会開催を機に購入したものである。
 
 
   本作品「テオドーレ」は、英国の詩人ジョン・ドライデン(1631-1700)の詩『寓話-テオドーレとホノーリア』を主題としたもの。
   そのドライデンの詩は、ボッカッチョ『デカメロン』の第5日第8話を翻案したもの。
 
 
   『デカメロン』第5日第8話のあらすじは、次のとおり。
 
   ラヴェンナの貴族の青年ナスタジオ・デリ・オネスティは、片思いの女性につれなくされ、失意の中、ひとり森の中を歩いていた。すると、裸体の若い女性が馬に乗った一人の騎士と犬に追いかけられる場面に出くわす。騎士は女性を短剣で突き刺し、犬が女の脇腹に噛み付きはらわたを食い、女性は息絶える。
   怯えるナスタジオに、騎士が事情を説明する。騎士は、ナスタジオの先祖であること、この女性に冷たくされたため自殺してしまったこと、その後間もなくして亡くなった女性が、騎士に冷たくした期間騎士に追い回され、捕まる都度に切り殺され、そしてまた蘇っては同じ目にあう、そういう罰を受けることになったこと。その罰は毎週金曜日に繰り広げられること。
   ナスタジオは一計を案じる。その森で金曜日に、自分につれない女性の家族を招いて宴会を催す。計画どおり騎士と女性が現れる。怯える女性の家族にナスタジオは事情を説明する。同様の運命が自らの身にふりかかることを恐れた女性は、ナスタジオの求婚を受け入れる。
   二人はめでたく?結婚式を挙げる。
 
 
   イタリア・ルネサンスの巨匠ボッティチェリは、このデカメロンの話を基に、フィレンツェある夫婦の結婚記念として、邸宅の壁面を飾る4点組の横長の板絵を制作している。1483年の制作だから、ボッティチェリ全盛期の作品と言える。
 
ボッティチェリ
《ナスタジオ・デリ・オネスティの物語》
1483年、約83×約138cm
プラド美術館
 
第1パネル
第2パネル
第3パネル
*第4パネル(個人蔵)は省略。
 
 
   フュースリ作品は、ボッティチェリ作品の第1パネルに相当する場面が描かれる。
   画面が暗い、光の反射がある、大きい画面で人の通路にあたるところで鑑賞することとなるので立ち位置確保が悩ましい。
   と、見づらい条件にあるのは確かだが、ボッティチェリ作品を思い浮かべ、その違いを楽しむのもいいかも。


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