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投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

韓国集娼村100年の記録…ホン・ソンチョル著「遊郭の歴史」



韓国、中央日報の記事。





韓国集娼村100年の記録…ホン・ソンチョル著「遊郭の歴史」

「必ずなくすべき絶対悪として眺めるなら売春問題の解決ははるかに遠くなる。(中略)われわれが本当に集娼村や売春問題を解決するのなら、ありのままの実体を認め、どのように糸の絡みを解いていくのか一緒に悩まなければならない」(‘プロローグ’の一部)

長い間存在するものの、あからさまに話されることがなかった‘集娼村’の歴史について書かれた本が出版された。10余年の記者生活を経て、米インディアナ大でジャーナリズムを勉強しているホン・ソンチョル氏が書いた「遊郭の歴史」(ペーパーロード)だ。

執筆は著者が記者生活の初期に抱いた疑問から始まった。当時、警察署出入記者としてソウル新吉洞(シンギルドン)‘テキサス’と清涼里(チョンリャンリ)‘588’など集娼村ルポを担当することになり、「なぜ集娼村がここにできたのか」という疑問を抱くようになった。

しかし周辺の商人や官公庁からは納得できる回答を聞けなかった著者は、03年から論文や書籍を通して資料集めを始め、昨年は3カ月間ほど全国の集娼村を回りながら過去の痕跡を探ったりもした。

この本によると、日本植民地時代以前にも売春女性はいたが、‘専業型’売春や一カ所に集まって売春をするところは存在しなかったという。しかし日本が朝鮮を占拠しながら、自国民のために自国の独特の文化である‘遊郭’をもたらし、これによって始まった集娼村文化は時代とともに変化してきた。

韓国戦争(1950-53)当時は貧困女性が生計のために性を売り、第3共和国に入って政府は表面上「売春行為防止法」を制定して取り締まるふりをし、その後は集娼村を「特定地域」という単語でくくって売春を黙認した。

日本人の売春観光が外貨獲得の‘好材’であり、米軍基地村の活性化もまた‘最大の友好国’である米国との同盟の象徴であったため、気を配らないわけにはいかなかったのだ。

80年以後の第5共和国時代には集娼村が軍部政権の政策の下、国民の‘3Sサーカス’(Screen、Sports、Sex)の一つに変貌した。特にオリンピック開催とともに規制が緩和され、産業型売春と陰性的売春が登場し、売春は全盛期を迎えた。

著者は、集娼村の歴史を扱ったからもいって売春に賛成したり集娼村を合法化しようということではない、と釘を刺す。だが売春が続いているかぎり、韓国社会の集娼村問題は相変わらず現在の問題だと話す。

「国が本当に売春根絶や縮小を意図するなら、集娼村の女性をどのように‘先導’するかを悩むのではなく、若い女性が兼業型売春業者に流入しないよう根本的な対策を用意しなければならない。働き口がなく生活に困窮すれば、女性は享楽産業の捕虜になる。享楽文化の繁盛を恨むのではなく、健全な労働の供給をどれほど増やせるかがもっと重要な問題だ」。

360ページ、1万8000ウォン(約2300円)。


2007.08.28 08:50:53

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90615&servcode=700§code=700




>日本植民地時代以前にも売春女性はいたが、‘専業型’売春や一カ所に集まって売春をするところは存在しなかったという

朝鮮のキーセンが特定の階層のものから一般人向けに商売をするようになったのは日本統治時代の芸者の影響からだということは何かで読みました。

で、記事に出ている「売春女性はいたが‘専業型’ではなく売春宿にもならなかった」ということは・・・

・都市が首都のソウル以外は未発達
・貨幣経済が未発達
・地域間の人の移動が無い
・基本的に人の1/3は奴婢(婢は所有者の自由)

という理由なんでしょうね。

奴婢の件を除けば、日本でいえば鎌倉時代より前の状態が日本統治される直前まで続いていたわけですから。

しかし「売春女性はいたが、‘専業型’売春じゃなかった」って、じゃあなんなんだ(笑)
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