一年の初めはいつ?一週間は何故7日?一日は何故24時間?
織田一郎 「時の国際バトル」 文春新書
平成14年6月20日 第1刷
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著者は1947年石川県金沢市生まれ。慶応大学法学部法律学科卒。セイコー株式会社入社。PR誌「時への旅立ち」創設。1997年独立。
参考1:何故1月1日が年の始まりになったのか(1)
参考2:何故1月1日が年の始まりになったのか(2)
以下、メモ。
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◆1年の初め
世界中でまちまちだった。春分、秋分、魚の回遊、木々の芽吹き・・・
ローマ時代、春分のマルチウス(マーチ)から1年は始まった。コンスル(執政官)の任期はこの二ヶ月前のヤリアヌス(ジャヌアリー)から始まる一年制だった。シーザーが紀元前45年にユリウス暦を導入するにあたり、政治年度を優先させ、ヤリアヌスの1日を新年の始まりとした。
この結果、冬至の直後で春分の2ヶ月前がグレゴリオ暦の年初になった。
日本の年度はイギリスにならったもので、日本の学校制度では当初9月を年初にしていたが(大学)、小中学校は4月だった。大正8年-10年にかけて4月に改められた。
◆1週間は何故7日
月の観測から
新月→上弦の月→満月→下弦の月→新月
このサイクルが7日単位になっているためではないか
◆24時間
BC15世紀 バビロニア
まず角度の一周360度は1日を約360倍すると太陽が天空の中で一周するのに要する時間(365日)に相当することを基礎としているらしい。
月の満ち欠けは約30日。それが12回で再び同じ季節になる。
太陽の見かけの直系は2分。日の出から2分で全体を見せる。これを基本単位にすると720個分で一昼夜となる。
十二進法、六十進方の発見はバビロニアへ移民してきたシュメール人
シュメール人は轆轤(ロクロ)、車輪、数式、楔形文字、ブランコ・・・を発明
シュメール人が1日は24時間と決めたようだ
◆正午
正に午の刻のこと。午前でも午後でもない
一般的ではないが正に子の刻(正子)もある
英語では正午はnoon、正子をmid naightという
a.m : ラテン語のante meridiem (before noon)
p.m : ラテン語のpoct meridiem (after noon)
英語でもnoonはa.mでもp.mでもない
◆1秒
昔は、一平均太陽日の八万六千四百分の一
今は、セシウム原子の吸収する電磁波の周期の九十一億九千二百六十三万一千七百七十倍
◆世界各国の標準時の決め方
自由
江戸時代の不定時法を使ってもかまわない
◆世界各国の標準時
1967年まで各地の天文台による天文観測結果で決められていた
日本は三鷹の東京天文台の観測データをもとに東経135度線上の時刻を割り出して標準時刻を運用していた
1967年、フランスの国際度量衡局で国際原子時を決めて、これを元に世界各国の標準時を割り出す運用に変更した
1967年までは各国で決定した標準時を報告し、世界時を決定していたが今は逆になっている
◆日本の時間の運用
時間 : 経済産業省
標準時: 文部科学省
送信 : 総務省
◆江戸時代の時鐘
日本橋の本石町で1626年から始まる
運営は公費ではなく時鐘役が担当
住民が鐘撞料を負担した
◆時計には何故ゼロが無いか
ゼロの発明は8世紀のインド
この時、既に時計は存在したから
BC30~40世紀 日時計、水時計
24時間運用の南中時刻(正午)ではじまるもので、12時が頂点
今も変わらずにこのまま運用
◆時計の針が右回りなのは?
日時計の影響
◆アラビア数字の発明はインド
BC3世紀 1~9までの数字を発明
6世紀までに位取りの概念を発明
8世紀にゼロを発明
ちなみにアラビア人がこれを広めたからアラビア数字となった
◆位取り
仏教とともにアラビア数字は中国にも伝えられたが、位取りの概念だけ中国は取り入れた
◆GPS
精度は時計の精度にかかっている
◆経済産業省
フェムト秒テクノロジープロジェクト
一フェムト(一千兆分の一)秒単位で光が進む距離(0.3mm)を正確に測れるレベルを目標
フランスは一千六百万年に一秒の誤差の時計を運用
アメリカは商務省が二千万年で一秒の誤差の時計を運用
以上