投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

台所道具いまむかし - 小泉和子(平凡社)

台所道具いまむかし
クリエーター情報なし
平凡社


1994年9月30日 初版第1刷発行

著者は1933年東京生まれ。女子美術大学芸術学部洋画科に学ぶ。1970年から5年間、東大工学部建築学科建築史研究室の研究生。日本家具史研究。工学博士。



ここ何年も箸と飯匙のことを考えていたので面白く読んだ。ここでいう飯匙とは"しゃもじ"のことではない。朝鮮人が多用する箸の代わりの匙のこと。炊いた米を食べるときに使うスプーンのことだ。前漢時代(紀元前206年 - 8年)の礼記(らいき)に出てくるように、この時代(周から漢にかけての作法をまとめてある)既に食事の作法は今とほぼ同じ形(手でつまんで米を食べるのはジャポニカ種を炊いて調理するのではなく、糯米を蒸して食べていたからだろう)になっていたのであれば、朝鮮人が飯匙を多用する作法はこの後になりたったということだろうか。一時、中国のどこかの時代、どこかの地方で飯匙を使うことが普通のだったとか読んだ記憶があるのだが、どういう本だったかも覚えていない。「飯匙にねばりつく飯の感触が今は嫌だが、昔はこれを嫌だとは思っていなかった時代がある。何が良いとか悪いとかの感触について今の感覚で過去を語れない。そういう記録が残っている」というような内容だったと思う。朝鮮人が米の飯を食べる際、ごちゃ混ぜにするのも、クッパのように汁けが多いぶっかけ飯の料理が多いのも、この匙へねばりつく感触が嫌だからだと考えている。彼らも匙へ米がねばりつくことは内心嫌なのだと思っている。感覚は我々と同じだと思う。前にも書いたが私の台湾人の親戚と食事をする際、その作法は日本人と変わらない。違いといえば彼らは両肘をテーブルにつけて茶碗を持っても平気なところぐらいか。中国人と日本人は食事の作法は似ている、というか日本の作法が中国から来たものだから似ていて当然なのだが、中国人と朝鮮半島の人とは食事の作法は大きく違うのだ。朝鮮人の飯匙の作法はどこから来たのだろう?



以下メモ

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P121 すり鉢

粉すり道具、製粉道具、摺粉鉢、摺り小杵(すりこぎ)

中国で同じ使用方法がある地方は浙江省、江西省、福建省(タイにもある)

日本では6世紀の窯跡から須恵器のすり鉢


P130 甑(こしき)⇒蒸籠(せいろう)

中国では紀元前2000年以上も前の新石器時代

山上憶良 万葉集 貧窮問答歌
「竈には火気(ほけ)ふき立てず許之伎(こしき)には蜘蛛の巣懸きて」
(祭にさへ蒸す米もない貧しい生活)

もち米(糯米) アミクロペクチンが加熱により急速に糊化するので、鍋で大量に煮ると鍋底では焦げるが上の方は生煮えになる。

日本では遅くとも古墳時代に甑(こしき)が使われていた。関東地方に多く土器が出る

奈良、平安になると木製に変わる⇒蒸籠(せいろう)


P151 串

13世紀 絵巻物 粉河寺縁起

猟師の食事風景。まな板の上に刻んだ肉
手づかみ。子供は串にさした団子のようなものを食べる
串に肉の塊をさし軒下につるし干し肉とする

P240 箸と匙

日本 7世紀 仏教の食事作法
中国 前漢時代の「礼記」。飯は器に盛ってあるものを各自が手でつまんで食べ、汁ものは匙ですくうか椀に口をつけて吸い、野菜のような具が入っている場合は箸を用いても良い。

正倉院 箸と匙が残る。馬頭盤という銀製の皿にのせられる。

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(2010年11月 西図書館)
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