投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

小梅さんの日記 - 小梅日記を楽しむ会

幕末から明治を和歌山に生きた、川合小梅の見た風景
2012年7月30日発行

川合小梅
1804年~1884年
小梅さんの曾孫である志賀裕香が自宅の蔵から発見。志賀と東大史料編纂所員の村田静子が読みこなす。全部が残っているわけではなく数えで34歳の天保8年のものから明治15年。16年、18年のものが少し残っている。それを小梅日記全3巻(1974年~1976年)として平凡社が東洋文庫で出版。小梅さんの日記はこの中からいくつかのエピソードを選んで出版したもの。

生き生きと生活を楽しむ様が読み取れて面白かった。元の日記が読める力があったらどんなに楽しい事だろう。


p8 淡路から柴屋の左蔵が柴を六荷持ってやってきた。1853年3月18日(50歳)
p9 大根日本にお灸をすえておいて、大日本困窮となぞかけ。失礼な話だ。1853年7月9日(50歳)
p11 地震。嘉永7年(1854)11月4日。(51歳)
p16 植え疱瘡 安政6年(1859)3月27日。(56歳)疱瘡の種を持つ5歳の男の子から三稜鍼というハリで膿をちょっと突き、それを町人の子に植えつける。両脇に五か所ずつ。計十か所。四日目にまた連れてこいとのこと。寛永2年(1849)緒方洪庵が天然痘予防のために大阪に除痘館を開いた。
p23 ほうき星。文久元年(1861)5月29日(58歳)テバット彗星
p24 大調練。文久元年(1864)11月3日(61歳)ご家老安藤様の隊だけでも千人の大隊。
p25 長州征伐。元治元年(1864)11月8日 一日五里ずつ歩く。
p28 馬かけ。慶応3年(1867)9月5日(64歳)金谷の蔵王権現(小倉神社)45~46騎
p30 粉河。1867年7月6日(64歳)馬かけの翌日、思い立って粉河まで足を伸ばす。12km。夜の八時、知人の八塚宅につく。約束無し。風呂、膳でもてなされ絹の布団に寝る。
p31 坂本龍馬。1867年12月7日。才谷梅太郎=坂本龍馬
p32 ええじゃないか。1867年12月12日
p33 肥とり。1867年12月25日。一人分は40目(匁)子供は二人で大人一人。280目で100目は藩札で残りは柴か作物。

(2022年2月 西宮図書館)
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