糸遊日記

和裁士の日常を感じたままに

お盆なので両親の事について 父

2020-08-14 13:27:00 | 日記
母が旅立って父はどれだけ寂しかっただろう。どれだけ困っただろう。

喧嘩の多い夫婦だったけど、父は母を頼りにしていたと思う。

母にかかりっきりだった為、父の事は何ひとつしてあげてなかった。

葬儀諸々終了してから週一で実家に通うようになった。
ご飯、洗濯、掃除、色々と出来ることをした。

父は自営で仕事をしていたから引き続き仕事で母のいない寂しさを紛らわしていたのかもしれない。

父は心臓が悪く薬を服用していた。
ある日、「あれ?病院に行っていない感じがする」と気付いた。
やはり行っていないし、検査も予約してるのに行っていなかった。
忘れていたのだった。

まもなく運転免許の更新で認知症の検査に
引っかかり、病院で認知症と診断された。
免許証は返納となり。仕事もやめた。

ここから認知症の父との付き合いが始まった。

色々なエピソード

*車が使えないので歩き始めた
  
  ある日、朝から徒歩で出かけどこに
  行ったか分からなくて探していた。
  目撃情報があり近辺をさがしていたけ
  だ、見つからない。
  探している時に出会った人が父の知り
  合いで、見かけたら警察に連絡しても
  らうようにお願いして別れた。
  橋のたもとにデイサービス用の袋を発
  見。落ちたのかな?と心配になり警察
  に電話で相談していた。その時に発見
  されたと警察に電話がきた。あの知り
  合いの人が見つけてくれたのだった。
  空き家の後ろで仕事をしていたと言っ
  て手を真っ黒にしていた。
  6月なのに33°の気温、服の感覚も分か
  らない父は薄いジャンパーを着て、汗
  だくで立っていた。「良かった〜見つ
  かって」その時の気持ちだった。
  それ以来、デイサービスは週5日になっ
  た。

*寝室がぐちゃぐちゃ

  寝室のタンスが倒れ、押し入れの物が
  散乱していた。びっくりした。
  父に聞くと兄がやったと。
 「やらないでしょう」と私が言うと拳を
  向けてきた。否定するのはダメだった
  と「あら〜、泥棒でも入ったんだね」
     と言って、「一緒に片付けてね」と言
  ったら素直に手伝ってくれた。
  否定や怒っちゃいけないんだよね?
  認知症は!

*お客さん
 
  実家に行くと。
  お客さんが来てるから昼ご飯を出すっ
  て。「え⁉️誰?」鳥肌が立った。
  「何処にいるの?」と聞くと寝室だ
  そう。益々奇妙になり、怖くなった。
  「こっちに連れてきて」と怖がりなが
  ら言ったら、「そうだね、分かった」
     と父。きゃー誰だろ?マジか⁉️
  連れて来たのは母の遺影だった。
  なんだよ、お母さんか〜と安心したけ
  ど、父は奥さんの事も忘れたようだっ
  た。

まだまだ沢山思い出はあります。
6月の行方不明から2ヶ月後には施設にお願いする事になった。

ところが問題老人の父は精神科の薬を服用しないと施設に置いてもらえないほど手が掛かった。その薬の副作用で便秘が続き
心臓病もあり、入所して7ヶ月で苦しいと訴え入院となった。その日のうちに危篤状態だった。腸閉塞と栄養不足だった。

精神科の薬で、会話もできない程もうろうとしていて、痛い、苦しいも言えないまま、かなりの便秘も分かってもらえずにいた。私が何度か相談したけど聞き入れてもらえず、入院した時、病院の看護師さんがびっくりするほどお腹はカチコチ状態だった。

私も凄く反省した。もっともっと言えば良かった。しかし、お願いしている身としては大丈夫と言われれば何も言えなくなる。

施設の人はどう思っているんだろう?
いつもの事。面倒な年寄りが1人減ってゆっくりしてるのかな?と思ってしまう。

父は私をとても頼っていた。見捨てる訳にはいかなかった。いつまで続くか分からなかったけど最後まで頑張ろと思ってた。
まさか、こんなに早く逝ってしまうとは。
母の三回忌が済んで直ぐの事だった。
私を見かねて母が連れて行ったのかもしれないとも思っている。
私にとってはとてもかわいい父だった。

そっちでは仲良し夫婦でいてね。
あははは、多分無理だね。
ほどほどに喧嘩して仲良くしててね。

お父さん、お母さんありがとう。