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首都圏にゅーす

千葉からYCの皆さまへ

さよなら 『 新聞輸送列車 』

2010-03-06 23:23:01 | 昭和の鉄道
こんばんは。
今日は千葉県ならではの話題です。

この3月13日(土)のJR東日本ダイヤ改正で、
旧国鉄時代から続き、房総地区向けに唯一残る『新聞輸送列車』が廃止されます。
列車で新聞を輸送する例はJRや他私鉄にもありますが、
新聞輸送『専用』列車の運行は、総武本線両国→千葉間が日本で唯一だそうです。
↓↓
さらば新聞輸送列車 JR両国-千葉、12日で最後

東京からほど近い房総地区のために、このような列車が今日まで残っているのは意外な気がしますが、
房総方面の道路事情の関係で、鉄道小荷物制度が廃止され荷物列車が消滅した後も夕刊輸送用として今日まで運行されてきたそうです。
↓↓
ウィキペディア 『 荷物列車 』

この新聞輸送列車の始発駅は国技館のある両国駅。
同駅には総武線各駅停車用のホームの他、当駅発着用のホームがあります。
かつて同駅は房総方面へ向かう急行列車の始発駅でした。
風格のある駅舎とともに、往時の面影を残しています。

両国駅といえば、印象に残る一文があります…

『錦糸町を出ると両国駅の手前から地下に入る。かつては房総方面への列車のすべてが発着した両国であるが、いまはほとんどの列車を新線に奪われ、寥々としている。快速電車は両国駅を無視するように地下にもぐり、隅田川の下を通る。ここから東京までは国鉄史上最高の工費のかかった区間だという。
(中略)
この総武新線ほど深くはないにしても、東京の都心部や大阪の地下鉄は、だいたい海面より低いところを走っている。みんなそういう海面下を、平気で毎日通っているのだから、考えてみれば妙な生活ではある。』
(宮脇俊三 『 最長片道切符の旅 』 より)

その『妙な生活』を、まさか自分が毎日することになるとは思いもしませんでしたが…。
国鉄史上最高の工費のかかった区間、
すなわち多額の税金を投入して開通した区間を毎日通らせていただくのは、ありがたいことなのかもしれませんな。

話が少しそれましたが、
この『新聞輸送列車』は『東京都内を走る唯一の113系定期列車』でもあるそうです。
同系は房総地区からの撤退がすでに決定しており、首都圏からの『絶滅』が近づいています。

国鉄時代に大量に製造された近郊型電車の象徴である『113系』
国鉄時代に各地で多数運行されていた『新聞輸送列車』
昭和の面影を残す列車が、またひとつ、消えていきます…。


以下、YTに投稿されている動画から

↓↓ 『 新聞輸送列車 』 両国駅での発着の様子


↓↓ 『 新聞輸送列車 』 千葉駅での分割→併合作業の様子


貴重な映像、ありがとうございます。

最高傑作 「アルナ工機 昭和50年」

2010-01-05 22:21:18 | 昭和の鉄道
新年明けましておめでとうございます。
本年も当ブログをよろしくお願いいたします。

Yクラの皆さま、
一昨日の「新年会」お疲れさまでした。
当方、帰京を翌日に控えた慌しい中でしたが、久しぶりにお会いできてよかったです。
ありがとうございました。

そして目的の一つだった6300系にも無事乗車できました。
私にとっては、1985年に初めて出会って以来、はや25年…。
初登場からは35年の月日が流れ、
ついに特急運用から撤退する時が、間もなくやってくる…。

思えば、私の鉄道趣味の原点といえる車両でした。
ありがとう、6300系特急電車。
最も格調高く、端正だった「マルーンの疾風」が、
いつまでも人々の記憶に残りますように…。


梅田駅で発車を待つ6300系特急河原町行き


端正な6300系のサイドビュー


6450号の側面


6450号の車内にて  1976年ブルーリボン賞の受賞エンブレム付き


35年前に製造された証しである 「アルナ工機 昭和50年」 のプレート
全般検査は約3年前の2006年11月
この車両が全般検査を受けることは、もう二度とないのでしょう…。



こうして改めて写真を見てみても、
まだまだいけるやないか! と思うくらい、美しい内外装を誇っています。

無事に有終の美を飾ってくれることを、
遠く東京から祈念したいと思います…。
本当に長い間、おつかれさまでした。
さようなら、6300系特急電車。

さようなら 「栄光の九州ブルートレイン」

2009-03-15 18:34:34 | 昭和の鉄道
「富士・はやぶさ」のラストラン。
最終日の東京駅の賑いは皆さんもテレビ等でご覧になられたことと思います。
東京駅を発車する最後のブルートレイン。
私も見に行きたかったですが、夕方6時ではちょっと無理でした…。
残念でした…。

私が最後に見た「富士・はやぶさ」
先週の日曜日(3月8日)東京着の上り列車を撮影してきました。
この日の「富士・はやぶさ」は、JR西日本管内で「動物と衝突」したとかで、1時間以上遅れてやってきました。
どこで、何とぶつかったのかはわかりませんが…。

近年はブルトレのこういったダイヤの乱れが、半ば「日常茶飯」になっていたのかも…。
JR各社とも自社管内の列車ダイヤを優先したいだろうし、
「どうせ儲からない列車だから、2時間以内なら遅れてもいいだろう。」
などと考えて、積極的な回復運転をしていないのかもしれません。
最終日の上りも、悪天候で1時間半近く遅れて東京に着いたようですね…。

こういう話題では必ずと言っていいほどテレビに登場する鉄道アナリストのK島氏も指摘していましたが、
やはりJR数社間にまたがって運転する列車は、各社の利害がぶつかり合ってうまくいかないことが多いようですね。
「富士・はやぶさ」は4社にまたがる運行ですから、さらに各社間の調整が難しくなります。
千数百キロを走るブルトレでも、たとえばJR東日本なら、運賃収入は東京~熱海間の約100キロ分しか入ってこないわけです。
そのわりに機関車や機関士の手配、客車の整備など、運行にかかる手間とコストは相当なものですから、
民間企業として「やる気」が起こらないのも無理はないのかもしれません。

それはともかく、鉄道ファンとしては本当に残念です。
数年前から、いつかこういう日がやってくることは覚悟していたはずですが…。

子どものころ、「ひかり」「こだま」に続いて覚えた列車の名前は、
「さくら」「はやぶさ」「富士」でした。
当時はブルトレブームで、近所の商店街のお祭りなんかでも、
ブルトレの写真などが売られていて、私も親に買ってもらいました。
「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ」・・・
たくさんあって、どれにしようか迷いましたが、私は「富士」を選びました。
なぜ「富士」にしたのか、その時の気持ちは覚えていませんが、
その「富士」が「はやぶさ」とともに、最後の九州ブルトレとなりました…。

あの写真の「富士」は東京~西鹿児島間の運転でした。
24時間以上運転する日本最長距離を誇った「富士」
電気機関車を先頭に美しいブルーの客車が連なる雄姿に、
子どもの私は新幹線以上の「華麗さ」「カッコよさ」を感じたものです。
いつかこの「富士」に乗ってみたいと…。

結局私は「富士」に乗ることはできませんでした…。
ささやかながら胸ときめかせてくれた子どもの頃の思い出が、
どこかに消えていってしまうようで…。
本当に寂しい限りです…。

あの写真から30年。
老体に鞭打って最後まで活躍してくれたブルーの客車たち。
昭和60年3月14日のダイヤ改正からちょうど24年間、
東京~下関間を牽引し続けてくれたEF66型電気機関車。
本当に長い間、おつかれさまでした。
ありがとう。
さようなら 「栄光の九州ブルートレイン」


新橋駅通過



東京駅10番線に到着後、神田方から有楽町方へ機関車を回送
(東京駅には機関車回送用の線路がないため、となりの9番線を使用して回送)



東京駅を発車(田町へ回送)



14系15形トップナンバー車


「はやぶさ」方向幕



ブルトレ全盛期

2009-03-07 12:19:30 | 昭和の鉄道
寝台特急なは 方向幕回転 京都にて


旧国鉄時代に東北から九州まで幅広く活躍していた頃の面影を留める方向幕(行先表示)です。

「安芸」 「いなば」 「紀伊」 など、
ブルトレとしては昭和50年代の数年間だけ存在した列車の表示まで見られるところがマニアックです。
「彗星/下関」なんていうのもありますが、
こんなの実際に使われたことあるのかな?

ブルトレブームと言われた昭和53年頃、
子供たちの視線を集め、新製間もないブルーの客車がピカピカに輝いていた当時を彷彿とさせます。
といっても、私は当時のブームは写真でしか見たことはありませんが…。

「はやぶさ/長崎」や、
かつて唯一24時間以上走る最長距離ブルトレだった「富士/西鹿児島 日豊線経由」もいいですねぇ…。

その「はやぶさ」「富士」もあと1週間…。
旧国鉄の全盛期を駆け抜けた「栄光の九州ブルートレイン」
その最後の1本が、間もなく姿を消す…。
「昭和」がまた一つ消えていきます…。