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売国反対!攘夷への道

売国政治家、売国企業が跋扈していますが、国を憂い、国を売り渡す馬鹿どもを糾弾し、攘夷を決行する趣旨のブログである。

攘夷派の軌跡

2005-11-17 18:34:49 | Weblog

  吉田松陰

 

攘夷を目指した志士といえばまず、長州藩士、吉田松陰があげられるだろう。

松下村塾の創始者であり、幕末において思想的に秀でた藩士であった。

彼が、攘夷を目指す決意の背景には、このままでは国が滅びるという

危機感があった。幼少から叔父から受けてきた教育は、スパルタ教育と

もいえる厳しい教育だった。徹底的に己のためではなく、公のために勉学に

励めという心底恐れ入る教育である。神道系の系譜である叔父の教育は、

神武天皇から続く皇室を守り、公の利益に寄与する国家護持を主体とし、

命を懸けてでも国を守れという気合の入ったものである。12歳ですでに藩主

に講義を行うほどの人材に育っていった。

 

  松下村塾

 

ペリーの来航によって、列強の脅威にさらされた幕末にあって、松陰が立ち

上がったのは言うまでもない。アメリカと不平等条約を結んだ幕府に反旗を

翻し、時の実権を掌握していた大老、井伊直弼に天誅を行うために上京した。

だが、その動きは幕府に察知され捕らえられた。そして安政の大獄によって

尊皇攘夷派はことごとく処罰されることになった。松陰は死罪で処刑された。

だが松陰の教え子から再び、尊皇攘夷を実現すべく立ち上がった者たちがいた。

そして倒幕を実現し、やがて列強に戦いを挑むようになる。

 

松陰が語った言葉に次のようなものがある。

 

士たるものの貴ぶところは徳であって才ではなく、行動であって学識ではない。

学問をする眼目は、自己を磨き自己を確立することにある

 

学問を身に着けることこそ、攘夷に向けて進む道であり、士たるものは、才能に

溺れず徳目と哲学を確立し、題目を唱えるだけでなく実行に移してこそ意味が

あるということである。自己を完成された人間の域に達せさせることこそ、国家

の独立に寄与することができると。これが日本再生の唯一の道になるであろう。

 

松下村塾で育った塾生からは、高杉晋作、伊藤博文、久坂玄瑞、山県有朋

井上馨などを輩出した。その誰もが時代を切り開いた志士である。

    

 

松陰の直弟子、高杉晋作が詩った俳句に次のようなものがある。

 

国内は乱れ外敵は来るという、日本の国家存亡のときである。いままさに天下

の形勢を一変させる策を立てるときで、親を捨て子を捨てることがあってもなん

で悲しもうか。

 

 この心意気こそ攘夷を行える、志士が志士たる意思が現れている。現在の

日本の置かれている状況でもある。このような人物を育てたのも松陰の功績

である。

 

国を売り主君をとらえて俗論派は暴虐をきわめている。命を捨てて義をつくす

のはまさにこのときである。文天祥(南宋の忠臣)の高節と鄭成功(清に抗した

明の謀臣)の策略と、2人に学んで1人でなさねばならぬのだ。

 

この決意を我々は深く噛み締めていかなくてはならない。

 

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
知りませんでした (人の謎(ryの人)
2005-11-18 05:18:57
TBどうも。

吉田松陰って名前しか知らなかったけどすごい人生送ってたんですね。命が危うくても成し遂げたいものがある、その信念を学ぶ必要がありますね。
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老けて見えるが (shibu)
2005-11-18 16:07:42
写真とか肖像画だと一見大人風情なんですけど…

松蔭先生(1830-59)は30歳でお隠れ、晋作(1839-67)の29歳、玄瑞(1840-64)は僅か25歳なんですよねぇ。

そして大政奉還時、山形有朋(1838-1922)は30歳、伊藤博文(1841-1909)は27歳、でありました。

さらに1885(明治18)年太政官制廃止され近代的内閣制度創設された第一次伊藤内閣では、初代総理大臣伊藤博文45歳、初代外務大臣井上馨(1835-1915)51歳、内務大臣山形有朋48歳、でありました。

あぁ~ぁ、70年代、しっかり誤魔化されて無為に過ごしてしもぅたポスト団塊世代のおっさんは、ただただなさけのぉて、なんともはや。
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コメントありがとうございます (joui)
2005-11-18 18:22:40
人の謎さん、shibuさん、

レスありがとうございます。



松陰も30歳で天寿を全うしましたが、後悔など毛頭ないことでしょう。我々も太く短くでも先人に負けない生き様を見せていきましょう。

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改めて (攘夷派)
2007-08-13 16:38:50
ペリー来航とともにアメリカと不平等条約を結んだ幕府、そして
幕府に反旗を掲げた攘夷志士達。松陰さんが死刑されるときの志士たちの気持ちを考えると胸が痛いですね。

私は紛れもなく攘夷派ですので少しつらいですねー。
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