売国反対!攘夷への道

売国政治家、売国企業が跋扈していますが、国を憂い、国を売り渡す馬鹿どもを糾弾し、攘夷を決行する趣旨のブログである。

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攘夷戦、勃発!

2005-11-21 19:30:44 | Weblog

 生麦事件

 

薩摩藩で実権を握った島津久光は、幕府に改革を迫るために、兵を率い、

江戸に行き圧力を掛け、一定の成果を挙げました。その帰路である事件

が発生しました。現在の横浜にある生麦村で、イギリス人4人が行列の前

を横切りました。無礼な行為であり、護衛に当たっていた藩士400人によ

って切り捨てられました。イギリス側はこれを問題にし、犯人の差出しと、

賠償金を要求しました。しかし久光は、当然これを拒否し京都に戻っていき

ました。イギリスは報復措置として攻撃の手を薩摩に向けました。

 

これによって薩英戦争が勃発しました。イギリス側の戦力は戦艦7隻、

砲門100門、これに対して薩摩側は、砲台80門で向かいうちました。

イギリス側は、砲門100のうち20門は射程の長いアームストロング砲であり、

薩摩側の射程1kmに対して四倍の射程をもっていました。これによって、

薩摩側の砲台80門は大破し、イギリス側の勝利に終わりました。

 

しかし戦死者でみれば、薩摩側の死者17人に対し、イギリス側は死者60人と

被害はイギリス側も甚大でした。一方的な敗戦ではなく、薩摩の強さも見せつけ

た戦いでした。この後、薩摩は賠償金をイギリス側に払い講和を結びました。

これ以降、薩摩とイギリスは互いに利用しようと協調関係を築いていくことになり

ます。長州と四カ国連合(英、米、仏、蘭)の間で行われた下関戦争では、禁門の

変に破れた直後で力を失っていた長州軍は抵抗できずに完敗し上陸され占領さ

れましたが、敗戦はしていますが薩英戦争では上陸を許さなかった点で、薩摩は

日本の国土を幕末で初めて護ったといえる歴史的快挙をあげたといえるものです。

 

  薩英戦争

 

 この薩英戦争に、参戦していた者の中に若き薩摩藩士、東郷平八郎がいた。

後に、連合艦隊総司令官としてロシア帝国の世界最強といわれたバルチック艦隊

を破った海軍屈指の名将である。東郷は鉄道技師を目指していましたが、西郷に

よって翻意され海軍に入りました。ロシアの南下が始まりロシアと雌雄を決する

ときが迫ってきました。

 

  東郷平八郎

 

日露戦争時の戦力は、日本の戦艦4隻に対し、バルチック艦隊は倍の8隻もの戦艦

を有していた。戦艦の砲の数が勝敗を決するのが常識だった当時の海戦において

東郷はいかなる戦略によって勝利を勝ち得たのだろうか。

 

東郷ターンと呼ばれるT字戦法では、理想的だが、実現不可能という固定観念をうち破

り、砲撃術の錬磨によって精度を上げ、海戦史上初の無線電信である三六式無線電信機

を完成させた。そして従来の2倍の爆発力を持つ下瀬火薬の開発。沿岸の防御をするのが

常識だった水雷艇を高速近距離射法という戦術を編み出して、運用し大きな成果を上げた。

 

これらによって圧倒的な戦力差を覆し、東郷は完勝に導いたのである。

日本海海戦で日本艦隊の戦死者は88人、負傷者は611人だったのに比べて、ロシア側の

戦死者は6000人に達した。まさに東郷さまさまである。

 

戦力差を覆し、列強との攘夷戦に初勝利をあげることができたのも、ひとえに東郷の指導力

の高さゆえのものだろう。

 

アメリカ大統領ルーズベルトはこの海戦に、こういった。

 

「これは世界が目撃した最大の驚嘆事だ。かのトラファルガー沖海戦ですらこれに匹敵

しうるものではない。第一報が届いた時、私自身それを信ずることができなかった。だが

第二報、第三報がいたるに及んで、私はまるで自分が日本人になってしまったかのよう

に興奮を禁じ得なくなり公務につくことが出来なかった。私はその日丸一日を訪問客とと

もに日本海海戦について語り合って過ごしてしまった。というのも私はこの海戦が日本の

命運を決したと確信したからである」

 

世界では驚嘆の目で見られた、辺境の小国が超大国ロシアを破ったのだから。

黄色人種が白人種に始めて勝つことができた歴史的快挙である。東郷はこういった。

勝って兜の緒を締めよ、と。抜かりのない言葉である。東郷の合理的思考をもって、

戦力差を跳ね返したが、その後の日本軍は、大和魂の掛け声のもと精神力で勝てと

いう、合理的思考と対極の道を辿っていくことになる。

 

 

          旗艦三笠                             戦艦富士                 戦艦敷島

 

人間に一番大切なのは真面目ということである。少しばかりの才気など、何の役にも立た

ないものだ。たとえ愚直と誹られても、結局は真面目な者が勝利をおさめるのだ。

 

東郷は、西郷に並ぶ薩摩が生んだ英雄といえるだろう。彼らの主張は、合理的思考と、人類の叡智

が集約されているといえるだろう。東郷は戦争を好んだわけではなかったが、ひとたび戦えば、無双

の強さを発揮できる。結局、己を鍛えぬくことが戦にも勝つことにつながるのだ。

 

指導者が模範を示していた江戸時代は、当時の世界では稀に見る秩序があった。宣教師のフランシ

スコ・ザビエルは、日本人についてこう言った。

 

日本人たちは、キリスト教の諸地方の人々が決して持っていないと思われる特質を持っています。

それは武士たちがいかに貧しくても、そして武士以外の人々がどれほど裕福であっても、大変貧しい

武士は金持ちと同じように尊敬されています。武士以外の人々は武士を大変尊敬し、そして、日本に

来るなら、真の謙遜が必要。

 

江戸時代の人たちは、われわれの手本になれるほど世界一の高い見識をもっており、列強の脅威を実力

で打ち払った。物質のみを追い求める現在は、やがて破綻してしまうでしょう。これからは先人たちの叡智

を取り戻す戦いが今はじまる。

 

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4 コメント

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その感激をお分かちくだされ。 (shibu)
2005-11-22 08:22:44
「敗戦はしていますが薩英戦争では上陸を許さなかった点で、薩摩は日本の国土を幕末で初めて護ったといえる歴史的快挙をあげたといえるものです。」とは、何となくわかっていたつもりでしたが、戦死者数比較までは知りませんでした。

書名・著者名・出版社名などサラッと末尾にでも記載いただければ、その感激をさらに詳しく共有したいと思います。

91年ソ連滅亡してノモンハン戦の実態がわかったように、中共コケたら支那事変での所詮山賊の実態がバレルのでしょう。

「東郷の合理的思考をもって、戦力差を跳ね返したが、その後の日本軍は、大和魂の掛け声のもと精神力で勝てという、合理的思考と対極の道を辿っていくことになる。」

今、故山本七平氏の「日本はなぜ敗れるのか-敗因21カ条」(角川oneテーマ21・角川書店)読んでます。「虜人日記」(小松真一)の解題。反省自省の書でしょう。はっきり言って、ヘコムし落ち込みますね。しかし、それをもしっかり見詰めて行かねばならぬわけです。戊辰戦に大東亜戦、薩長史観と東京裁判史観。はぁ。少しずつ、やっていきますです。

攘夷へ (joui)
2005-11-22 18:00:10
西郷隆盛 8 薩英戦争 海音寺 潮五郎

薩英戦争 遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄〈2〉 萩原 延寿



薩英戦争は上のあたりにに詳しく書かれていますよ。



西郷南洲遺訓 附・手抄言志録及遺文 岩波文庫

山田 済斎



あたりはお勧めです。西郷の思想に触れることができます。

偉人に学ぶことは大切ですね。
早速のご教示感謝 (shibu)
2005-11-23 10:42:13
ありがとうございました。

早速地元郊外本屋に行ってみます。
紅の傭兵他売国議員へ集団控訴!しませんか (有刺)
2005-11-26 10:30:13
~・~・~・~・~~・~・~・~・~~・~・~・~・~~・~・~・~



 働けども 働けども  我らが暮らし 楽にならず



どんなに働いても、財布に穴が開いてりゃ貯まるもんも貯まりません。

まずは、財布の穴を塞ぎませんか?



【紅の傭兵他売国議員へ集団控訴!しませんか?】

http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1131663035/#tag137



【現在の拠点サイト】

http://dx37.ja-21.net/



【賛同者集計メール送信先(件名に「訴えてやる」)】

ikazuchi23ch@yahoo.co.jp



長い長い線路を作るために、まずは鉱山掘ることからやってみませんか。



~・~・~・~・~~・~・~・~・~~・~・~・~・~~・~・~・~

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