古代史最大の謎とされる邪馬台国の所在地について、「畿内大和説」に有利な“証拠”が、近年の発掘調査で集まってきた。
邪馬台国が存在した時代(3世紀前半~中ごろ)に築造されたとされる奈良県桜井市のホケノ山古墳(全長80メートル)を中心とする大和地方の古墳と瀬戸内地方東部などの古墳との間に強い結びつきがあったことが明らかになりつつある。
2000年に発掘されたホケノ山古墳は、〈1〉墳丘が前方後円形〈2〉木槨(もっかく)内に木棺を納めた二重構造の埋葬施設〈3〉画文帯(がもんたい)神獣鏡など中国鏡の副葬――という三つの特徴があった。
一方、今年3月、徳島県教委などが調査した同県鳴門市の萩原2号墓は埋葬施設は未確認だが、全長25メートルの前方後円形で、3世紀前半の築造。その南50メートルにある同時期の萩原1号墓からは1979、80年の発掘で画文帯神獣鏡が出土している。埋葬施設は二重構造とみられている。
さらに、兵庫県たつの市の綾部山39号墓では03年9月、二重構造の埋葬施設と画文帯神獣鏡が出土。墳形も前方後円形の可能性が強いとされる。
こうした特徴が一致するのは、京都府南丹市の黒田古墳、岡山県総社市の宮山古墳、兵庫県加古川市の西条52号墳など、近畿や瀬戸内東部で十数基に達する。
山尾幸久・立命館大名誉教授(古代史)は「共通する墳形や埋葬施設、副葬品は、同じ信仰や価値観念を共有し、結びついていた証拠。その中心が邪馬台国であり、後の大和王権につながる」と考える。
しかし、九州説を唱える高島忠平・佐賀女子短大学長(考古学)は「ホケノ山古墳などの年代観が正しいとしても、日本列島全体が統一されていない段階。大和に大国があってもよいが、それは邪馬台国ではない」と反論している。
◆邪馬台国=3世紀後半の中国の史書「魏志倭人伝」に記された倭(日本)の諸国のうち最大の国で、諸国に擁立された女王・卑弥呼が都とした。所在地を巡っては、江戸時代以来、九州北部にあったという九州説と畿内大和説とが激しく対立している。
(2006年8月22日14時38分 読売新聞)
邪馬台国が存在した時代(3世紀前半~中ごろ)に築造されたとされる奈良県桜井市のホケノ山古墳(全長80メートル)を中心とする大和地方の古墳と瀬戸内地方東部などの古墳との間に強い結びつきがあったことが明らかになりつつある。
2000年に発掘されたホケノ山古墳は、〈1〉墳丘が前方後円形〈2〉木槨(もっかく)内に木棺を納めた二重構造の埋葬施設〈3〉画文帯(がもんたい)神獣鏡など中国鏡の副葬――という三つの特徴があった。
一方、今年3月、徳島県教委などが調査した同県鳴門市の萩原2号墓は埋葬施設は未確認だが、全長25メートルの前方後円形で、3世紀前半の築造。その南50メートルにある同時期の萩原1号墓からは1979、80年の発掘で画文帯神獣鏡が出土している。埋葬施設は二重構造とみられている。
さらに、兵庫県たつの市の綾部山39号墓では03年9月、二重構造の埋葬施設と画文帯神獣鏡が出土。墳形も前方後円形の可能性が強いとされる。
こうした特徴が一致するのは、京都府南丹市の黒田古墳、岡山県総社市の宮山古墳、兵庫県加古川市の西条52号墳など、近畿や瀬戸内東部で十数基に達する。
山尾幸久・立命館大名誉教授(古代史)は「共通する墳形や埋葬施設、副葬品は、同じ信仰や価値観念を共有し、結びついていた証拠。その中心が邪馬台国であり、後の大和王権につながる」と考える。
しかし、九州説を唱える高島忠平・佐賀女子短大学長(考古学)は「ホケノ山古墳などの年代観が正しいとしても、日本列島全体が統一されていない段階。大和に大国があってもよいが、それは邪馬台国ではない」と反論している。
◆邪馬台国=3世紀後半の中国の史書「魏志倭人伝」に記された倭(日本)の諸国のうち最大の国で、諸国に擁立された女王・卑弥呼が都とした。所在地を巡っては、江戸時代以来、九州北部にあったという九州説と畿内大和説とが激しく対立している。
(2006年8月22日14時38分 読売新聞)