スティールボノ様 ~春は曙~

「ホイッスル!」の感想、改めSBR感想+ボノ様など 最近はボノちゃんも。

「ボビーvsムルアカ」K―1で決着か?

2006-01-31 17:02:39 | Weblog
“あの2人”がリングで激突? 暴行騒動を起こして注目を浴びたナイジェリア人タレントでK―1でも活躍しているボビー・オロゴン(39)と、騒動の当事者でもあるジョン・ムウェテ・ムルアカ氏(44)の仰天対決プランが30日、持ち上がった。K―1の谷川貞治イベント・プロデューサー(44)が「魅力的な対戦カード」と熱望。3月15日の総合格闘技イベント「HERO’ S」の東京・日本武道館大会のリングを提供する意向を示したが、果たして“決着戦”は実現するか―。

 K―1リングをプロデュースする谷川氏が、真剣な表情でボビーVSムルアカ氏のリング上決着を熱望した。「実現性は別問題として、見てみたい。話題性としては面白い。プロモーターから見れば、非常に魅力的な対戦カードです」と言い切った。谷川さん大丈夫でしょうか?

 25日に暴行騒動が起きた際は「当事者の問題に口を挟みたくない」と静観を貫いてきた谷川氏だが、27日夜にボビーがムルアカ氏同席で謝罪会見した様子をテレビで見て「和解したと感じた。和解したなら(対戦は)いいと思った」とマッチメークの意欲がわいたという。

 荒唐無稽(こうとうむけい)な対戦であることは承知している谷川氏だが「後は当事者たちと事務所が、どう受け止めるか。やるのであれば、K―1にはリングがある。立ち技でもバーリ・トゥード(何でもありの総合格闘技)でもどちらのリングも提供できる」と大まじめだ。ボビーVSムルアカ氏の一戦を実現できる舞台として、魔裟斗(26)=シルバーウルフ=も出場する2月4日のK―1ワールドMAX(さいたまスーパーアリーナ)、昨年旗揚げされて“神の子”山本KID徳郁(28)=KILLER BEE=が初代ミドル級世界王者になった総合格闘技のリング「HERO’S」(3月15日、東京・日本武道館)を挙げた。谷川氏は「立ち技なら2・4、総合なら3・15のリングがある」と両者に呼び掛けるように連呼した。

 騒動の真相も闇の中とあって、リング上で真相究明のファイトが実現すれば、話題性だけでも十分。史上最強のド素人の異名を取るボビーは、曙さん(36)ら本職の格闘家と戦っているだけに、実力は世間が知るところで、絶対に素人とはいえない。身長209センチ、体重80キロのムルアカ氏も空手の有段者で、かつてはK―1をはじめ、プロレス界が獲得に動いたほど。プロ格闘家への転向をチラつかせながら、野獣ボブ・サップ(31)=米国=を挑発し、2003年4月には、東京・代々木第二体育館で行われた「国際交流空手大会&WPKAザ ワールドプロKARATE」に約5年ぶりに出場。ヘビー級王者のアリエル・マストブ(イスラエル)を相手にエキシビションマッチまで披露したほどだ。

 2人の対決実現に本気の谷川氏は、2月4日のK―1ワールドMAXでプロデビューするボビーの実弟アンディ(22)のセコンドに、ボビーがつくことを認める意向だ。謝罪会見では報道陣の「K―1には出ますか?」の問いに「ムルアカさんとやりたい」などと冗談交じりに話していたボビー。谷川氏のラブコールを、ボビーとムルアカ氏がどう受け止めるか。

 ◆ボビー・オロゴン 本名オロゴン・カリム・アルハジ。1966年4月8日、ナイジェリア生まれ。39歳。03年からTBS系バラエティー番組「さんまのスーパーからくりTV」に出演。珍妙な片言の日本語と奇怪な行動で人気。同番組企画で、04年に総合格闘技「K―1 Dynamite!!」に参戦し格闘家デビュー。映画「釣りバカ日誌16」にも出演するなど幅広く活動中。185センチ、98キロ。

 ◆ジョン・ムウェテ・ムルアカ 1961年6月21日、ザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサ生まれ。44歳。85年1月に初来日。91年衆院議員・鈴木宗男氏の私設秘書に。97年、東京電機大を卒業し研究員となり、99年に工学博士号を取得。98年には日本人女性と結婚。1男2女をもうけ、長男(4つ)は「ムネオ」と命名。2001年に永住権を取得。209センチ、82キロ。
(スポーツ報知)

ボノさんすげー!(リキボノスプラッシュ63)

2006-01-23 21:53:28 | Weblog
 ノアデビューした曙さん(36)が、力皇猛(33)とのタッグで小橋建太(38)、泉田純至(40)組を粉砕した。リング上に倒れた泉田に対し、ロープに上った曙さんと力皇が順次にボディープレスして相手を圧殺する驚異の合体技「リキボノスプラッシュ63」を初披露した。GHCヘビー級選手権は挑戦者の秋山準(36)が王者・田上明(44)を下して3年9カ月ぶりに王座奪回した。同ジュニアヘビー級選手権はKENTA(24)が丸藤正道(26)を倒し5度目の防衛を果たした。
 名コンビ誕生の瞬間だった。セカンドロープに曙さんが上がると、続いて力皇がその上のトップロープによじ登る。角界時代に「雲龍型」の横綱土俵入りで知られる曙さんの先導で、柏手(かしわで)を打ち鳴らして準備完了。まず125キロの力皇、次いで210キロの曙さんが宙を舞い、連続ボディープレスで泉田を圧殺。相撲教習所の教官として2人を指導した先輩に痛い“恩返し”を見舞った。
 「練習はしてないよ。お互い気持ちが分かっている。初めて組む心配はなかった」。力皇と固い握手を交わした曙さんは胸を張った。昭和63年春場所で初土俵を踏んだ同期コンビは、計335キロの衝撃的な合体技を角界デビュー年にちなんで「リキボノスプラッシュ63」と命名。18年の歳月を経て、「あうんの呼吸」(曙)を発揮した。
 小橋の逆水平チョップで胸を真っ赤にはらした曙さんは「すごかったが、逃げることなく正面から向かった」と納得顔で「すごい圧力はさすが。次?期待してくれるならやる」と新ライバルとの再戦に前向き。「呼ばれたら出たい。1日休んでトレーニングしながら電話を待つ」と迎撃覚悟だ。
 くしくも2001年1月22日、当時の横綱・曙さんは両国国技館で引退を発表した。涙の会見から5年後の1・22日本武道館。曙は全日本、新日本に続いてノアに初参戦し、プロレスのメジャー3団体を制覇。元横綱は「幸せだった。僕は(東関部屋の先輩)泉田さんの胸を借りて横綱に上り詰めた。今度も胸を借り、この世界の横綱になりたい」と継続参戦の先にGHC王座奪取を見据えた。

曙さん2連続

2006-01-15 14:54:35 | Weblog
2004年開幕戦コメント


■ボンヤスキー 「曙はキックも出した方がいい」

――試合の感想は

 自分としてはいい試合だったと思う。そして、こういう結果に終われて嬉しく思っている。やはりハードなトレーニングをやってきた賜物だったと思う。ファイターの中には、いろいろな人がいる。例えば自分より技術的に劣っていたり、体格的に劣っている、弱いと思われる選手が相手であっても、やはり対戦するにあたっては準備することが重要。自分としては常に対戦相手のことを考えつつ、準備を怠ることなくやろうと思っているので、そういう形でいい準備ができた。だから、こういう結果になって嬉しいのだが、またファイナルでいい試合をしたいと思うし、2003年は優勝できていい年だったので、この2004年も引き続きチャンピオンになれるように、それに向けてトレーニングをしていきたいと思っている。

――曙選手の印象は

 曙選手のパンチは自分が予想していたよりも非常に重かった。強いパンチの持ち主だった。そこまで強いパンチを持っているとは自分では思っていなかったので、そういう意味では驚きだった。しかし、やはり230kgの体重というのは非常にパンチに重みを増すというのを実感した。あとは曙選手は非常に打たれ強いと思った。何発かいいパンチが入ったが、そのまま立っていたので非常にびっくりした。3Rに入るときにトレーナーから「もっと攻めなきゃダメだ。もっとローキックを狙っていけ」と言われたので、ローキックを何回か出して、その後のハイキックで決めることができた。指示どおり、いい形で終われたと思う。

――曙選手にアドバイスはありますか

 ほかの選手に対してアドバイスを出すのは難しいが、まず曙選手の場合はキックボクシングの経験がないので、これからキックに磨きをかけるのも難しいと思う。あと、年齢的なものもあるので、もし可能であれば自分らしさを活かせる独特の技みたいなものを考えるのがいいと思う。でも急務としてはやはりもっと痩せた方がいいのではないだろうか。あの体重ではなかなか動けないと思うので、もう少し体重を減らせばもっと動けるようになると思う。ただ、曙選手はなかなかキックを出さない。K-1ではパンチだけではなかなか戦えないので、キックの方もなんとか身につけて、パンチとキックのコンビネーションで戦えるようになれば、もう少し展望が開けてくるのではないだろうか。