NPO法人足尾歴史館は、「足尾ガソリン軌道・歴史館線」という名の元、かつて足尾の街を走り、"ガソリンカー"と呼ばれていた機関車の完全復興を目指し、2010年に完全復元した。
ガソリンカーの運行状況:毎月第一土曜・日曜 歴史館の入館料350円で乗ることができる。歴史館は冬期は休業
かつての足尾銅山馬車鉄道
足尾銅山周辺に敷設されていた軌間610mmの鉄道で、明治期の開業時の動力は馬、大正末期にガソリン機関車に変わる。1895年(明治28年)9月に開業。1925年(大正14年)にガソリン機関車を導入し、動力が馬からガソリン機関車に変わる。小瀧(小滝)- 赤倉(あかくら)間の約20kmの「トロ道」と呼ばれた区間を10 - 15km/hで走る。町民や銅山資材の運搬に活躍した。この区間の列車本数は1日15本
明治20年代の馬車鉄道。足尾の渡良瀬付近。昔は馬がたくさんいた
大正14年、当時の占河虎之助社長が来山したおりにガソリンカー第一号車が走った。その時の写真
ガソリンカー軌道は本山製錬所から通洞、そして下の地図には記載が省かれているが、銀山平手前の小滝までの約20km
また、神子内側に沿って柏木平方面にも延びていた
尋常高等小学校卒業の昭和15年あたりまで足尾で過ごした父は、テージーと呼ばれて足尾町民の重要な足だったと言っていた
上間藤あたりだろうか
ガソリン機関車が客車を牽引して走り、「ガソリンカー」とも、また、時間が正確なことから「定時」、機関車の外観から「ひょっとこ」とも呼ばれて親しまれた。1953年(昭和28年)に輸送手段がトラックやバスに取って変わり、本鉄道は廃線となる。
小滝路の宇都野のカーブでよく脱線して、乗客が木の棒でもとに戻した、という話も残っている
当時、T型フォードを改造して作られたというガソリンカー
保存車両はなく、写真と設計図を元に忠実に復元したそうで、そのエンジンは現役当時とおなじ米フォード社製を探して入手したそうです。
フォード製エンジンは約70年前のもので、排気量3285cc、出力40PS。このエンジンを見つけ出すまでに1年以上の歳月を要したとの事。
後部の客車も同じく現役時代のものを忠実に復元したもの全長 2260mm、全幅 1240mm、高さ 2100mm
馬車鉄道の軌間610mmを使ったのでかなり狭い。しかし内側木製でかなりレトロな雰囲気がよく出ている。定員14-15人、車重3t
車体に描かれているヤマイチマークは、鉱山業一筋の意味をこめたもの
足尾銅山を明治期に開発した古河グループの操業者・古河市兵衛が、1877年に鉱山業に専念すると決めた際に制定したマーク
他にも、全国の鉱山などで使われていたレトロな車両、トロッコ等が保管されている。1部レストア中
これは動態保存の様だ
客車はどこかの遊園地にあったものを持ってきたらしい
トロリー
鉱石運搬用のトロッコを引っ張る車両も
動態保存車として KATO4t機
鉄道信号機もレストア中
これは足尾銅山通洞抗で実際に使用していた鉱石運搬台車らしい。木台が朽ちているが
レストア中
大正時代はじめの通洞抗の写真。トロリーに引っ張られる鉱石の搬送台車
ガソリンカーの運行状況:毎月第一土曜・日曜 歴史館の入館料350円で乗ることができる。歴史館は冬期は休業
かつての足尾銅山馬車鉄道
足尾銅山周辺に敷設されていた軌間610mmの鉄道で、明治期の開業時の動力は馬、大正末期にガソリン機関車に変わる。1895年(明治28年)9月に開業。1925年(大正14年)にガソリン機関車を導入し、動力が馬からガソリン機関車に変わる。小瀧(小滝)- 赤倉(あかくら)間の約20kmの「トロ道」と呼ばれた区間を10 - 15km/hで走る。町民や銅山資材の運搬に活躍した。この区間の列車本数は1日15本
明治20年代の馬車鉄道。足尾の渡良瀬付近。昔は馬がたくさんいた
大正14年、当時の占河虎之助社長が来山したおりにガソリンカー第一号車が走った。その時の写真
ガソリンカー軌道は本山製錬所から通洞、そして下の地図には記載が省かれているが、銀山平手前の小滝までの約20km
また、神子内側に沿って柏木平方面にも延びていた
尋常高等小学校卒業の昭和15年あたりまで足尾で過ごした父は、テージーと呼ばれて足尾町民の重要な足だったと言っていた
上間藤あたりだろうか
ガソリン機関車が客車を牽引して走り、「ガソリンカー」とも、また、時間が正確なことから「定時」、機関車の外観から「ひょっとこ」とも呼ばれて親しまれた。1953年(昭和28年)に輸送手段がトラックやバスに取って変わり、本鉄道は廃線となる。
小滝路の宇都野のカーブでよく脱線して、乗客が木の棒でもとに戻した、という話も残っている
当時、T型フォードを改造して作られたというガソリンカー
保存車両はなく、写真と設計図を元に忠実に復元したそうで、そのエンジンは現役当時とおなじ米フォード社製を探して入手したそうです。
フォード製エンジンは約70年前のもので、排気量3285cc、出力40PS。このエンジンを見つけ出すまでに1年以上の歳月を要したとの事。
後部の客車も同じく現役時代のものを忠実に復元したもの全長 2260mm、全幅 1240mm、高さ 2100mm
馬車鉄道の軌間610mmを使ったのでかなり狭い。しかし内側木製でかなりレトロな雰囲気がよく出ている。定員14-15人、車重3t
車体に描かれているヤマイチマークは、鉱山業一筋の意味をこめたもの
足尾銅山を明治期に開発した古河グループの操業者・古河市兵衛が、1877年に鉱山業に専念すると決めた際に制定したマーク
他にも、全国の鉱山などで使われていたレトロな車両、トロッコ等が保管されている。1部レストア中
これは動態保存の様だ
客車はどこかの遊園地にあったものを持ってきたらしい
トロリー
鉱石運搬用のトロッコを引っ張る車両も
動態保存車として KATO4t機
鉄道信号機もレストア中
これは足尾銅山通洞抗で実際に使用していた鉱石運搬台車らしい。木台が朽ちているが
レストア中
大正時代はじめの通洞抗の写真。トロリーに引っ張られる鉱石の搬送台車
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