2012 2/3 節分 昨年の記事になりますが
廬山寺「追儺式鬼法楽」
平安神宮「大儺之儀」の後、自転車で京都御苑東、梨木神社近く、廬山寺へ
午後3時から鬼の加持、4時から豆まきが。
さして広くはない境内には既に大勢の参拝、観光客が。
舞台の回りにはもう人垣ができていて、じっくり行事の進行を眺めることは出来ませんでした。
この日主役の鬼さんたち
節分の「追儺式鬼法楽」は通称「鬼おどり」、赤青黒の鬼に紅白の餅と豆を投げて悪霊退散を祈願する。
これに登場する鬼は人間のもつ三毒、つまり貪欲・怒り・愚痴を表現している。この三毒を運勢の変わり目といわれる節分の日に追い払い、開運をはかり新しい節を迎えるという法会行事である。
堂内からほら貝の響きと共に鬼たちがゆっくりと舞台で舞い
堂内にはいった鬼が高僧達の祈祷で退散、退治されたあと、豆とお餅がまかれました
鬼の御加持を受けます
廬山寺は紫式部の邸宅跡として知られる。「源氏物語」が紫式部によって書かれた場所
場所とりNGの動画
そして壬生寺にたどり着いたときは17:00過ぎていて日も傾いていました。
山門をくぐって正面には、本堂がありますが、そこまでの両側には露店や厄除けの「ほうらく」売りの店などが並んでいます。多くの人が参拝に来ていました。
本堂前。壬生寺は律宗の大本山で、ご本尊は地蔵菩薩です。
正暦2年(991)の建立。
幕末には新選組との関わりが有名で、近藤勇の墓や隊士の墓もあります。
この日催された壬生狂言は撮影禁止、入れ替え制で時間なく見学できませんでした。
露店も数多く出てました
壬生寺の風習として、厄除けの「ほうらく」を奉納します。
表に自分で名前や年齢、願い事などを書き込みます。
「ほうらく」は、春4月の壬生狂言の「ほうらく割り」で割られます。
廬山寺「追儺式鬼法楽」
平安神宮「大儺之儀」の後、自転車で京都御苑東、梨木神社近く、廬山寺へ
午後3時から鬼の加持、4時から豆まきが。
さして広くはない境内には既に大勢の参拝、観光客が。
舞台の回りにはもう人垣ができていて、じっくり行事の進行を眺めることは出来ませんでした。
この日主役の鬼さんたち
節分の「追儺式鬼法楽」は通称「鬼おどり」、赤青黒の鬼に紅白の餅と豆を投げて悪霊退散を祈願する。
これに登場する鬼は人間のもつ三毒、つまり貪欲・怒り・愚痴を表現している。この三毒を運勢の変わり目といわれる節分の日に追い払い、開運をはかり新しい節を迎えるという法会行事である。
堂内からほら貝の響きと共に鬼たちがゆっくりと舞台で舞い
堂内にはいった鬼が高僧達の祈祷で退散、退治されたあと、豆とお餅がまかれました
鬼の御加持を受けます
廬山寺は紫式部の邸宅跡として知られる。「源氏物語」が紫式部によって書かれた場所
場所とりNGの動画
そして壬生寺にたどり着いたときは17:00過ぎていて日も傾いていました。
山門をくぐって正面には、本堂がありますが、そこまでの両側には露店や厄除けの「ほうらく」売りの店などが並んでいます。多くの人が参拝に来ていました。
本堂前。壬生寺は律宗の大本山で、ご本尊は地蔵菩薩です。
正暦2年(991)の建立。
幕末には新選組との関わりが有名で、近藤勇の墓や隊士の墓もあります。
この日催された壬生狂言は撮影禁止、入れ替え制で時間なく見学できませんでした。
露店も数多く出てました
壬生寺の風習として、厄除けの「ほうらく」を奉納します。
表に自分で名前や年齢、願い事などを書き込みます。
「ほうらく」は、春4月の壬生狂言の「ほうらく割り」で割られます。
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