徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2015京都紅葉巡り 嵯峨鳥居本・愛宕念仏寺

2015-12-09 10:47:20 | 京都散歩
2015 11/18 嵯峨鳥居本~愛宕念仏寺

11時過ぎ、祇王寺を出て、雨の中、傘を差して嵯峨鳥居本までの道を歩きます
嵯峨小倉陵の参道でしょうか? 紅葉が綺麗


町屋風のお店




化野念仏寺です。参道の紅葉を見ただけで今回はパス




嵯峨鳥居本
古くは「化野(あだしの)」と呼ばれ、京の人々の埋葬の地であった
愛宕神社への参詣道に当たり、その「一ノ鳥居」付近に集落が形成されたことから地名となった。
茅葺き屋根の農家風民家や町屋風民家が並ぶ


「鮎の宿つたや」さん  重厚な茅葺屋根。座敷に上がってみたい


11:40 一ノ鳥居




「あゆの平野屋」さん  苔むした屋根がいい


座敷に屏風とか飾ってある。中はタイムスリップしたような雰囲気なんだろうなあ


さらに清滝トンネル近くまで歩いて、11:50愛宕念仏寺
あたごねんぶつてら と読むのかと思っていたが、おたぎねんぶつじ
仁王門は江戸中期、仁王像は鎌倉時代の作


崖の斜面を見上げると羅漢像と懸崖造りの地蔵堂が見えてきます
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)
今の京都の四条の西院から東山方面にかけてを、昔は愛宕郡と言いました。
奈良時代の末、今から約1240年前に、聖武天皇の娘の称徳天皇がここに寺を建てます。
愛宕(おたぎ)の地に建てられたので愛宕寺と言いました。
ところが平安時代の初めに、鴨川の洪水で全て流れ、廃寺となってしまいます。その復興を命じられたのが
天台宗の僧 千観 (918~984) です。千観さんは、いつも念仏を唱えていたので、民衆から念仏聖人とよばれ、
このことから寺名を愛宕念仏寺とよばれるようになりました


その後、興廃をくり返し、大正時代に奥嵯峨の地に移築されましたが、荒れ果ててゆきました。
しかし、1955年に天台宗本山から西村公朝さんが住職を命じられ、立て直しに取り組み始め、1981年に参拝者による
「昭和の羅漢彫り」が始まって、10年後には1200体に達し、現在に至っています。
石像千二百羅漢


30年以上の歳月で苔むしている羅漢像も数多くあります


雨天のため参拝者は中国からの観光カメラ女子3人のみで静かでした


手彫りの羅漢像は表情豊か、いろいろな像がある。 本堂や地蔵堂、観音堂脇などに分散しておいてある


三宝の鐘
金色の3つの鐘がつるしてある 仏法僧の三鐘





多宝塔への参道も両側に羅漢像


ふれ愛観音堂  手で触れて拝む観音様。触れることによって人々の心身の痛みを癒してくれる




小学生の頃、卒業記念に長方形のコンクリート石材に顔を彫って、トーテムポール状にして校庭に設置したのを
思い出した。まだ残っているかなあ


本堂参道への羅漢像群。 雨でぬれてレンズが曇ってしまった


12:15分ごろ寺を出る。近くにあるバス停の時刻をあらかじめ調べておき、本数が少ないバスの待ち時間のロスを少なくするとよい。
バスで阪急嵐山へ





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