2017 6/28 栃木市日限富士浅間神社
先日サイクリングでも行ったが、以前も住んでいた家を見に行った時に立ち寄った。
昔の写真でお宮参り? 母と。
昭和30年代。幼少時代も遊びに行ったりした記憶がある。今より鳥居の数が多くて、周りは民家は少なく、田んぼが広がっていた。
いも串やところてんを売っていたお店が確かあったなあ。(写真の左のか) 堀も魚がいて綺麗だった
道路に面してに石の鳥居がまず有り、奥が神社。古い鳥居と新しい鳥居があり、途中抜けたりしている。途中に民家があり鳥居は途切れる
神社入口側から眺めたところ。京都の伏見稲荷を連想するが、かの鳥居は稲荷だから赤、ここは富士浅間神社だから塗らないのだそう
日限冨士浅間神社は栃木県栃木市の神社。
御祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやのひめ)。悪事以外の事は日を限って祈ると願い事が叶うことから、地元では「日限(ひぎり)の浅間(せんげん)さん」と呼ばれている。願い事が叶うとお礼参りに鳥居を寄進する風習があり、沢山の鳥居が立ち並んでいる。
現在の場所(柳橋町)には明治38年に移設され、さらに昭和9年8月に現在の社殿が建立された。
先日サイクリングでも行ったが、以前も住んでいた家を見に行った時に立ち寄った。
昔の写真でお宮参り? 母と。
昭和30年代。幼少時代も遊びに行ったりした記憶がある。今より鳥居の数が多くて、周りは民家は少なく、田んぼが広がっていた。
いも串やところてんを売っていたお店が確かあったなあ。(写真の左のか) 堀も魚がいて綺麗だった
道路に面してに石の鳥居がまず有り、奥が神社。古い鳥居と新しい鳥居があり、途中抜けたりしている。途中に民家があり鳥居は途切れる
神社入口側から眺めたところ。京都の伏見稲荷を連想するが、かの鳥居は稲荷だから赤、ここは富士浅間神社だから塗らないのだそう
日限冨士浅間神社は栃木県栃木市の神社。
御祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやのひめ)。悪事以外の事は日を限って祈ると願い事が叶うことから、地元では「日限(ひぎり)の浅間(せんげん)さん」と呼ばれている。願い事が叶うとお礼参りに鳥居を寄進する風習があり、沢山の鳥居が立ち並んでいる。
現在の場所(柳橋町)には明治38年に移設され、さらに昭和9年8月に現在の社殿が建立された。
私は、栃木市の歌枕である「室の八島の歴史」というホームページを開設している者です。
「百日参り」でなく、「お百度参り」でした。
なお、記紀神話の神である木花咲耶姫命が浅間神社の祭神になるのは、江戸時代が始まる頃です。
それより前の浅間神社は、本地垂迹思想の神社だったんで、本地仏と垂迹神とがともに存在しました。
「浅間大菩薩」なんてのは、まさに本地垂迹思想の垂迹神の名前ですね。
当時の浅間神社の本地仏は、大日如来だったかなあ。
柳橋の日限浅間神社は、1964年~1965年初めにかけて、
私が大学受験に受かるように、おふくろが百日参りしてくれた神社です。
栃木市には、「ところてん」を酢醤油で味付けして、割り箸の一本箸で食べるという変な風習が有りますが、
四国では、味付けが違うんです。
たっぷりの「麺つゆ」にネギの微塵切りを浮かせたもので食べるんです。
これ、酒の酒菜に合うんで、居酒屋でよく注文してました。
里芋の甘いみそ味の芋串、巾着山の登り口の店は数年前に行った時はまだありましたね。昔は上の方にも茶店がありましたが何時頃からか無くなってしまい・・幼少時の思い出です
私は60年前、錦着山の登り口の店で食べたことが有りますが、美味かったですね。
私は「いも串」を栃木市の名物にしたいと思いましたが、以前栃木市が実施した「栃木市の観光資源調査」に「いも串」が挙がってきてないんです。
代わりに「栃木市の名物・じゃがいも入り焼きそば」だって、御冗談を。
「じゃがいも入り焼きそば」の本場は、佐野・足利です。これらの町では「じゃがいも入り焼きそば」が名物になった由来まで明言しています。
蛇足ですか、串に刺したポテトフライを「いも串」と呼んでる地方が有るようです。
日本人は、澱粉をおかずにして澱粉を食べるのが大好きですからね。