"Let the Kinsei Iseki archaeological site be a World Heritage site" association!
Discovery of solar calendar observation facility at the Kinsei Site Corded Ware Culture J...
金生遺跡のカレンダーを推定する
2022.02.27 追加しました。 暦存在の根拠 縄文時代の列島の文化磨製石器 およそ3万5千年前の磨製石器が発掘されてから、日本国内では各地で磨製石器が出土しています。いず...
二至二分とは何かを考える
二至二分とは何かを考えてみた列島で見られるストーンサークルは二至を知っていたかも知れな...
カレンダーの起源は、遥か昔の紀元前18世紀頃
カレンダーの起源は、遥か昔の紀元前18世紀頃。古代バビロニア帝国の時代まで遡ります・・...
金生遺跡と八節の暦
金生遺跡と「八節」の暦金生遺跡は「立春」を観測して、甲斐駒に連なる山稜で日没のカレンダ...
金生遺跡の暦とカレンダーを考える
金生遺跡の暦とカレンダーを考える1.縄文時代・金生遺跡天文台では太陽観測により、冬至から45日目を観測して八節の暦を作っていたものと考える。カレンダーは夕日の沈む甲斐駒ヶ岳から鋸岳...
金生遺跡の縄文人は八節の暦の発明者
金生遺跡の年代は縄文後期から晩期とされている。年代は余り正確に確定することは出来ないが、4000年前以降として八節の暦がこの時期に作られていたとすれば世界最先端に当たるものとして良...
金生遺跡 冬至確定のための天文台設置プロジェクト
この記事は、金生遺跡の日の出観測を始めた初期で、まだ縄文時代の暦知識がどの程度なのか分っていなかったので、立地が太陽観測に適切なことは分ってきたが、配石が暦観測をするような施設であ...
金生遺跡の立地は
金生遺跡の立地は太陽観測とカレンダー作りには絶好の立地だった暦作りのための冬至と立春の確認のためには 東の山茅が岳を配置カレンダーには 西の甲斐駒ヶ岳と鋸岳、それに続く山脈を採用こ...
金生遺跡の現状
金生遺跡は40年前に発見され発掘されて、国指定遺跡公園として整備されてしまった。東側にある茅が岳通称 遺跡から見ての最高ピークは金が岳で立春に日の出 が日の出を見るための天文台の観...