シュメールの聖なる数 7と60についてこれまでされている説明は理解できないものでそこにはモヤモヤするものが残ってきた。
これについてやっと理解できてきた。
7 について明快な説明がなされていない。聖なる数で無い
60 についても基本的に納得出来る説明で無い。
何故なのか、これまで分らなかった。
縄文人の知識が伝えられていたとすれば、月の周期から説明可能となることが分った。
二至から半年は183日か182日
いずれにしても月の満ち欠けは半年で 6 回 これが聖なる数となれば
7 を出すのは簡単なことである、シュメールは海辺に近く潮の満ち干の影響は極めて大きかった。それで太陰暦が出来たと説明されてきている。
そのためには、潮の動きを細かく見て、海の生業を進めることが必要だった。
そのため潮の満ち干を新月から大きくなること、途中から満月に向かって更に大きくなる、満月を過ぎると少し減少し、新月に向かっては更に減少する。この動きを捉え海辺の活動を効果的に行った。それが7曜制の元だろうと考える。30日/4 7日 または
30日/2 15日 15日/2 7日
6が聖なる数で、潮の動きを見るための 7 は聖なる数では無い。
そうであれば後も簡単で、60進法はこの 6 と手指の数10本から月の支配する聖なる数 60 は問題なく出てくる。実際に60進法への進化は10進法からと言われていて、月の周期 6 があれば天体の月支配の 60 は聖なる数として納得出来る。
このように半年一年暦、縄文の暦であるものから進化したものと見て問題無さそう。
写真はお借りしました
引用ーーーーーー
シュメール人の成せる画期的偉業
カテゴリー: 宗教公開日:2018年5月3日
後に「メソポタミア」と呼ばれるユーフラテス河の沿岸地帯に、紀元前3800年頃、どこからか シュメール人と呼ばれる民族がやって来て、信じられない大変化が起こった。文明の一大ブレークとも言うべき現象が起きたのである。メソポタミアの地はわずかの間に前例のない大繁栄を記録した。そして、空前とも言える政治権力が打ち立てられた。それは、美術、建築、宗教は言うに及ばず、社会機構、日常の細かな慣習から楔形文字の発明に至るまで、それらはすべて シュメール人の成せる画期的偉業であった。世界最初と言われる船や車輪つき戦車なども、この頃、シュメール人によってつくられた。その後も彼らは エリドゥ、ウル、ウルク、ラガシュと言った高度な都市国家を次々とつくり上げていった。それらは、都市としては世界最古のもので、今日我々はこの文明を『メソポタミア文明』と呼んでいる。
くさび形文字のほか、太陰暦、七曜制、60進法も生み、暦とともに占星術も発達、金属の鍛錬も知っていたといわれている。エジプト文明、インダス文明の誕生にも影響を与え、両文明との交易もしていたと考えられている。
++++そうなのか 七曜制というのは海の潮の満ち干の影響が大きいから、潮の動きを詳細に見るため工夫したことによるのだろうと考える。
1年6回の月の満ち欠け、30日/2 15日 15にち/2 7日 というだけの話である。
聖なる数は 6 天空にある月の満ち欠けを支配する数であるから
参考
文字
文字は象形文字を発展させた楔形文字を創始し、後世の西アジア諸国のさまざまな言語を表すのに利用され、記録媒体は粘土板が用いられた。楔形文字によって書かれたものとしてはハンムラビ法典がよく知られている。話していた言語は外交用語として用いられていたようで、エジプト文明の外交文書にその言葉で書き記されたものが残っている。
ウルナンム法典
シュメール文明には世界最古の法典とされる「ウル・ナンム法典」がある。バビロニアのハンムラビ法典は『目には目を、歯には歯を』で知られる同害復讐法だが、ウル・ナンム法典は損害賠償の考え方になっている。
++++そうなのか
60進法
古代メソポタミアに発達したスメル文明は 60進法に基づく整然たる度量衡制度を持っていました。その精緻な体系はエジプトにわたり、また、バビロニアやアッシリアを経由して古代ギリシャ文明にも継承されました。
++++そうなのか これは10進法から変化したもの
月の周期 6 と手の指10本から作られる
現代では1分は60秒であり、1時間は60分であるのが常識です。この60進法の紀元を辿ると、シュメール文明に行きつく。シュメール文明では農耕が盛んで、天文学や暦学が発達していた。そのような中、1年を12ヵ月として扱う方法を発明し、12の約数や倍数が都合よかった。そこで 60進法が使われるようになった。
++++そうなのか それはおかしい 半年をベースにして 6 からだろう
60進記数法とは60 を底とする記数法である。真の 60進記数法は60種類の数字を必要とするが、それは多過ぎるため、実際には各桁を十進法で表す方法が普通である。シュメールおよびその後を継いだバビロニアでは60進法が用いられたのは、60 が 2、3、4、5の最小公倍数であるために約数が多く除算に便利だからだとされる。
天文学・太陰暦
天文学が発達したのは、作物を栽培するにあたって季節や時間を知る必要があったこと、また、チグリス・ユーフラテス川の氾濫の時期を知る為に必要なことでした。
1日は太陽が昇り、沈み、また昇るというのが基本の単位です。夜空で最も大きな星は月であり、満月になったり三日月になったりと変化が大きい。新月・上弦の月・満月・下弦の月が一つのサイクルとなり、その変化の間が約7日、これが4回あるので、1ヵ月は28日です。28日をかけて変化する月の満ち欠けを基準に、『日』を管理する方法を考えました。月の状態を4つに分けると、新月、満月、上弦、下弦となる。それぞれの期間を7日と想定するとちょうどよくなるため、これを1週間とした。そして、それぞれの日に守護星をつけたのが、日(太陽)、月(月)、火(火星)、水(水星)、木(木星)、金(金星)であり、この7日を一つの単位とするのが1週間で、曜日というものが考え出されました。シュメール人が確立した太陰暦的な考え方は近代でも生活に根付いています。
++++そうなのか 7は潮の満ち干の影響を知らせるものです
順番が違う
『メ』という宝物
シュメール神話には、『メ』という宝物が登場する。神々は『メ』を求め、争奪戦を展開させる。この「メ」とはなんなのか、神話上には明確な記述がない。身につけたりかむったりするもののように描かれることもあれば、形のない、歌のような描かれ方がされることもある。この至宝『メ』の実体についてだが、実は、形のない知識そのものであったようです。つまり、『メ』とは、一連の知識や知恵の体系であり、口承される形で伝えられるものであった。
政治・経済
貿易の交易範囲は広大で、エジプト文明やインダス文明と交易があったことも推測される。シュメールやバビロニアでは、食物をはじめとする必需品を貯蔵して宮殿や都市の門において分配し、バザールで手工業品の販売を行なった。タムカルムと呼ばれる身分型の交易者が存在し、仲買人、代理人、競売人、保管人、銀行家、仲裁人、旅商人、奴隷取締官、徴税吏などを担当した。
都市文明
シュメールは都市文明であつた。ウルやウルクやラガシュなどの都市があり、それぞれの都市に守護神が祀られていた。都市の王は神々の名において都市を支配していた。巫女たちは祭事を通して神々と交信し、都市の繁栄を祈ったとされている。都市には強固な城塞がそびえ、戦争になれば弓や槍で武装した兵が戦った。原始的な段階だとしても、政治や軍事や人々の生活環境は一定レベル以上に整備されていたと言える。
都市国家では、王を中心とした神権政治が行われ、人民や奴隷を支配する階級社会ができた。王のもとには莫大な富が集まり、大規模な治水や灌漑、あるいは壮大な神殿や宮殿が作られた。(ギルガメシュ叙事詩に登場する ギルガメシュ(Gilgamesh)は、紀元前2600年頃のシュメール人の王である。)