金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

縄文文明はマメの文明

縄文文明はマメを中心にした文明を形成したと想定
1.土器は編み籠からのマメの目漏れを防ぐための改善から生まれた。
 大型動物がいなくなり、小型動物を捕らえるための弓矢猟が開発される以前、旧石器時代後期の食糧確保のため、先ず周囲の様々な植物を採集して、食料とする探索を行っていたところ、マメ類の種が選択された。
マメ類は道路脇の目に付くところで力強く繁茂していた。

しかしマメ類の種は極小さく、

採集が難しかったが、食味は良く、他に代わる適切な穀類が見当たらなかったことから、編み籠での採集は目漏れすることから難航したが、籠の目を粘土で潰すことで採集可能な容器となり、その後それが土器の開発に繋がった。

2.マメ類の栽培開始は豆粒文土器の頃からと考える。
マメの栽培種の成立までには4000年近くの時間を要した。
栽培種の成立は縄文前期半ば頃で、中部・関東で諸磯式土器が作られる頃である。

 

土器模様の変化から見ると、縄文が消えて行く時期である。

 

 

3.マメを粘土に混ぜ込んで焼いた供献土器の存在から、マメを中心にした農耕文明を開発していたものと考える

 

 

ダイズとアズキを練り込んだ土器

 

縄文時代のマメ類の栽培は殷よりずっと早くからだろう。2023.08.25 追加しました。

 

引用します----ーーーーーーーーーーーー

臨汾盆地で 夏王朝後期の遺跡 を発見 中国山西省
c 新華社
東渠遺跡から出土した陶?(とうか)。(資料写真、運城=新華社配信)

 発掘プロジェクトの責任者を務めた山西省考古研究院華夏文明研究所の崔俊俊(さい・しゅんしゅん)副所長によると、遺跡の出土遺物には土器や石器、骨器、玉器、蚌器(大型の貝殻から作られた道具)、玉鉞(ぎょくえつ)1点、欠損した銅刀1点などが含まれる。

人工物のほか、動植物遺物も多く見つかり、浮選法による調査では炭化した植物種子25万粒が確認できた。
アワやキビ、コメ、大豆なども含まれていたが、大半はアワだった。

作物以外ではエノコログサやオニメヒシバ、ヤマハギ、セイヨウエビラハギなどの種子も含まれていた。動物の骨も多く出土し、暫定的な鑑定でウシやブタ、ヒツジなどが特定された。これらの新発見は、東渠の先住民たちが比較的高度な農業生産技術をすでに習得し、アワ栽培を中心に牧畜も営む混合農業生産体系を形成していたことを示している。
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3. Domestication(栽培化)を表す植物の具体的な変化
植物の形態学的および遺伝子的な変化とは、1. 種子の大型化と 2. 自動散布機能の喪失 の2つ(↓図;Asouti & Fuller 2013)。
この2つの変化を栽培化症候群といい、これらを備えた作物を栽培する行為が『農耕』。

3-1 種子の大型化(栽培化症候群 その1)

種子大型化の背景として考えられるのは、① 脱穀・籾殻分け作業後のふるい分け、② 大きな穀粒を保存しようと考えるバイアス。
初期栽培において、土を掘り起こす耕作作業は、ライバル植物を取り除くのに効果的な行為でもある。 例;雑草や低木に覆われやすい地下水位の高い斜面を掘り崩すことによりライバル植物を除去。 耕して地下水位が下がった耕作土に種を蒔いた場合、発芽できる種子は、地下水位により近い土中深くに蒔かれたもの。土中深くから地表に到達し発芽するには体力のある種子が有利、すなわち、養分をより多く有している大粒の種子が生き残る確率が高くなる。
 
3-1-① ユーフラテス川(肥沃な三日月地帯)にみるオオムギ(barley)とヒトツブコムギ(einkorn wheat )

11,500 ~ 10,800年前(≒ 縄文早期)の遺跡『Jerf el Ahmer』と約5,000年前(≒ 縄文中期)の遺跡『Kosak Shamali』から出土の穀物遺物を検討。

↓は、Jerf el AhmarおよびKosak Shamaliの2遺跡から出土したオオムギとヒトツブコムギの種子の粒径をプロットしたグラフ。新しいKosak Shamali遺跡出土の種子径の方が両種子とも大きくなっていることが看取される。 これは、「6,000年弱あまりの時間があれば栽培化症候群の一つである種子粒径の増大化は起こり得る」ことを意味している。
++++そうなのか

↓は、さらに時間のスパンを短くしたJerf el Ahmar早期と後期(おそらく500年間ほどの時間差)で粒径比較を検討したグラフ。 ここからも両種子とも粒径の増大化が見て取れる。 ⇒ 栽培化症候群(種子粒径の増大化)は、数百年単位で起こり得る。

3-1-② 中山誠二 2015; 縄文ダイスに見る粒径の増大化
 縄文時代を通じてダイズの粒径サイズは大型化しており、人の手によるDomestication syndrome(栽培化症候群)の具体的証拠。⇒ 縄文人は、Tillage(土を耕す)していた。

しかし、これのみで縄文人のダイズ(豆類)に対する行為が『農耕である』とは言えない。 もう一つの栽培化の具体的変化である『2.自動散布機能の喪失』については具体例がない。 

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3-1 自動散布機能の喪失(栽培化症候群 その1)

野生穀物は、熟した実を穂から切り離し地表に落下させる器官脱離機能(abscission)を備えている(自動散布 / Shattering)。その実は脆いラッチ(Brittle Rachis)で稈(茎)と連結しており、風などの僅かな力で容易に脱離し種子を散布できるようになっている。 
これに対し、栽培化された穀物は、その機能を放棄、代わりに容易に分離しないよう固いラッチ(Tough Rachis)に変わっている。 これにより、穂のひとまとまりとして一度に収穫・運搬され易い穀物になっている。

↓図A/B;オオムギ(barley)とヒトツブコムギ(einkorn wheat)の野生種と栽培化種を遺跡毎にコンパイルし、その変遷を検討した結果、Brittle Rachis から栽培化を示すTough Rachisに変化するには、種子粒径の増大化よりも長いスパンの時間が必要となることが看取された。

↑2つのデータを時間に対するDomestication Rate(栽培化割合)に変換したグラフが↓。 ムギ類の野生先祖種が栽培化種へ変わるには 2,000年スケールの時間を要すると推定される。

4. まとめ

Asouti & Fuller 2013の野生種から栽培化種への変化をまとめた図を再掲する。

オオムギとヒトツブコムギの種子粒径の増大化(semi-domestication)は、500~1,000年のスパンで起こるのに対し、自動散布機能の喪失(brittle Rachisからtough Rachisへの変化 = full-domestication)は、粒の増大化が始まった後に最低2000年の時間をかけて変化してゆく。

したがい、ムギ類のDomestication syndrome(栽培化症候群)の完了には、最低2000年の時が必要であると提案したい。

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