金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

魚釣り漁から網による漁の開始まで

魚釣り漁から網による漁の開始まで

 


弓に張る弦から、細く強くと云う弦の開発は、
早期初めにはテグスの領域に入ったものと考える。
その紐は魚釣り漁をするのに使えるものになった。

 


それが撚り糸であり、糸巻きに巻いていたものだろう、それを示すものが撚糸文土器だと考える。
その後、網を用いた漁が始まったものと思うものの、それが始まるまでには
かなりの時間が掛かっているものと考える。

 


前期になり羽状縄文土器が現れ、網漁の始まりを示すものと考える。
魚釣りの糸はそれほど大量に使うものでは無かったでしょう。
しかし網を作るためには大量の紐が必要である。
それは直ぐには出来なかったでしょう。
糸は何から作っていたのか分らないが、大量に作るには、
当該植物を畑で栽培することが必要ではなかっただろうか。
太陽暦はすでに造られていたものと考えるので、栽培の基本はマスターしていたものと考える。
原料植物の増産と、栽培技術の向上が必要だったのではないか。
その時期は縄文前期であり、この時期はマメ類の栽培種が成立する直前である。
マメ類と同様に栽培して、原料となる植物を育てて、大量に原料を生産して、
網に用いる紐、糸を生産したのではないだろうか。


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