金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

ヒエとはどんな作物なのか 再認識

5000年前までに日本で発見された栽培植物の数の多さ、主なものでも
アサ、ウルシ、エゴマ、アブラナ、ゴボウ、アカザ、ヒエ、ダイズ、アズキ・・・。
ニホンヒエは、野生のヒエを日本で栽培化したもので、
縄文中期の三内丸山遺跡(青森県)からは、当時すでに大量のイヌビエを栽培していたことが推測されているという。
アイヌ民族は、ヒエを「ピヤパ」と呼び、お粥などにして食べていて、ヒエは祖先神が直接もたらした聖なる穀物という説話が語り伝えられています。という
このようなことから見て、縄文時代にはヒエは主要な穀物とされていた可能性があるのでは無いか。
土偶

ヒエの土偶なのだろうか

               在来種ヒエという


ヒエは日本人の重要な主食として食べ継がれてきていて、昭和30年代までは多くの山間地でヒエが食べられてきました。その理由は、寒冷地ではイネを栽培しても冷害の危険が高かったことと、山間地は、田んぼの圃場(ほじょう)整備が進まず、水田面積が少なかったためだという。
米が主食と認識していたのが、それは違っていたと言うことが分った。

日本ではかつて重要な主食穀物であったが、昭和期に米の増産に成功したことで消費と栽培が廃れた。
現代の日本では小鳥の餌など飼料用としての利用が多い。という

しかし最近では、優れた栄養価を持つことが知られ、また食物繊維も豊富なことから健康食品として見直されつつある。米や小麦に対する食物アレルギーの患者のための主食穀物としての需要も期待されている。
イネ科の穀類ですが、栄養バランスの良さは白米よりもずっと上という。
動物実験で血中のHDLコレステロール値を高める作用が報告されているほか、タンパク質、腸の働きを整える食物繊維、骨や歯を作る助けとなるマグネシウムなどの栄養素が白米と比べて豊富に含まれています。という

しかし、食用としては加工の困難さ等から高価な食材となっており、大麦やアワに比べて使用頻度は少ない。
このようなことから、ヒエの品種改良が意味あるのかも知れない。

図はお借りしました

引用しますーーーーーーーーーーーーーー

5000年前までに日本で発見された栽培植物の数の多さに驚く。主なものでも
アサ、ウルシ、エゴマ、アブラナ、ゴボウ、アカザ、ヒエ、ダイズ、アズキ・・・。この時代すでに、立派な農耕文化があったと言ってよく、そう認定しないのを外国の考古学者は不思議がる。

その理由として、日本では縄文時代は狩猟採集段階にあり、農耕が始まるのは弥生時代からとされていたからである。そのため、栽培植物はすべて弥生時代以降に大陸から伝わったものと断じられていた。とくに野菜類については辞書などにはそう書いてある。

それはやはり学問の主流が文化一元論であったからである。つまり、中東(メソポタミア文明)に「肥沃な三日月地帯」があり、そこで栽培化された小麦(他の栽培物も)が世界に伝播したというヨーロッパで構築された理論がそれである。考古学でも.チャイルドの文明論が大きな影響を与えていたのである。
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ひえって、どんな雑穀?
ヒエには、インドが起源のインドヒエと、日本を起源とするニホンヒエの2系統があります。

ニホンヒエは、野生のヒエを日本で栽培化したもので、
縄文中期の三内丸山遺跡(青森県)から、当時すでに大量のイヌビエを栽培していたことが推測されています。また、
先住アイヌ民族は、ヒエを「ピヤパ」と呼び、お粥などにして食べていました。彼らの間では、ヒエは祖先神が直接もたらした聖なる穀物という説話が語り伝えられています。

その後、日本人の重要な主食として食べ継がれ、昭和30年代までは多くの山間地でヒエが食べられてきました。その理由は、寒冷地ではイネを栽培しても冷害の危険が高かったことと、山間地は、田んぼの圃場(ほじょう)整備が進まず、水田面積が少なかったためです。
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③ ヒエについてウィキペディアは「イヌビエより栽培化され、穎果を穀物として食用にする農作物である。栽培化が行われたのは日本列島を含む東アジア領域と推測されている」「サハラ砂漠以南のアフリカでは、ブルグ(バンバラ語)など数種が利用されている」とし、「日本ではかつて重要な主食穀物であったが、昭和期に米の増産に成功したことで消費と栽培が廃れた」とされています。
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 (2)ヒイレ(火入れ)
 椎葉での焼畑第一作はソバである。地力のもっとも充実している 焼畑初年は、できれば主食のヒエを作付けたいが、ヒエの播種適期 は五月の初旬であり、スズタケなどの処理との関係でヒエ作は無理 ということになる。そうすると、八月以降に播種して初霜の降りる 一〇月中旬までに収穫できる作物はソバしかない。ソバも八月初旬 には播かなければならないので、結局、ヒイレの時期は八月の初め に限定されてしまう。
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「栄養的価値と利用法」
benri_2022hie_0.jpg●

ヒエの精白粒には、マグネシウム、リン、鉄などのミネラルが白米の2倍以上含まれています。また、
胚芽が大きいこともあり、ビタミンB1は白米の約3倍含まれ、
タンパク質含量も高いなど、非常に優れた栄養的価値があります。(日本食品標準成分表2020年版(八訂)より)
●ヒエの精白粒の食物繊維は白米の約8倍と豊富です。
利用可能炭水化物(質量)に対する食物繊維の割合(F/C)は、白米が0.6%なのに比べ、精白ヒエでは6.0%と10倍の差があります。(日本食品標準成分表2020年版(八訂)より)
●このため、炭水化物による血糖値の上昇しやすさを表す指標、グライセミックインデックスは、白米が77前後であるのに対して精白ヒエは50前後(Roopashree Ugareら 2014)と極めて低い値です。
ヒエは血糖値を上昇させにくい穀物であると言えます。
●一方で、必須アミノ酸のリジンは白米よりは多いものの、一般の穀物と同様に少ないことから、調理や副食で補っていく必要があります。
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ヒエとは
ヒエはイネ科の作物で、アワと並んで古くから食べられてきました。
ヒエという名前は「冷え」に由来するともいわれるほど寒さに強く、土質を選ばないため、稲や麦が不作のときに代用される救荒作物(きゅうこうさくもつ)としても利用される重要な穀物でした。

最近になって見直された理由の一つは、栄養価の高さです。イネ科の穀類ですが、栄養バランスの良さは白米よりもずっと上。動物実験で血中のHDLコレステロール値を高める作用が報告されているほか、タンパク質、腸の働きを整える食物繊維、骨や歯を作る助けとなるマグネシウムなどの栄養素が白米と比べて豊富に含まれています。
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コメ以外の作物で、単位面積当たり労働時間がコメ並みの作物を開発するというイノベーションです。
 農水省が政策的に推したいのは麦やトウモロコシ、大豆など、自給率が低い国際商品となりますが、筆者が注目しているのはアワ、ヒエ、キビなどの雑穀です。なぜなら、この分野は国際商品と比べ、単価がべらぼうに高いのです。

 生産者が業者に売り渡す価格でも、だいたいコメの2倍。小売りされる末端価格では1キロ2500円程度。魚沼産コシヒカリの中でも最も高価とおぼしき「天空米」とほぼ同価格ですから、いかに高価に取引されているのか分かるでしょう。

 余計なことを書けば、これほど高価だからこそスティック状にパッケージングし、ご飯と混ぜることを勧める売り方をされるのです。5キロ袋などで売れば、あまりの高価さに顧客は驚き、購入意欲をなくしかねません。
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網掛けをしたヒエの栽培(写真提供:農研機構)

ヒエはスズメなどによる食害が多いため、出穂後は特に注意が必要です。収穫するヒエが全くなくなってしまうということがないように、防鳥網などでしっかりと対策を行いましょう。

また、ヒエは麦、大豆、ジャガイモなどとの輪作(同一の農地でさまざまな作物を一定の順序で作付けする農法)に適しているため、昭和30年代までは、これら作物を組み合わせた2年3作体系の輪作が行われていました。

ヒエは水田でも畑でも栽培可能であり、栄養価は白米よりもずっと高いので主食としてもおすすめ。皆さんも、この記事をきっかけに、ヒエを食べてみてはいかがでしょうか?
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 アワ、キビ、ヒエなどとひとつひとつに名前はついているものの、名前で呼ばれることはむしろ少ない。農学部の先生でも、特別の専門家でもない限りアワとヒエを区別することはできないし、ましてやイヌビエとタイヌビエを区別することなど絶望的である。

 この、雑穀といわれる植物たちが、いつ、地球のどこで栽培化されたものか、わかっていることはわずかしかない。アワについては、考古学的な論証から、北部中国、いわゆる黄河文明の発祥地とその周辺が疑われてはいるが、生物学的な検証は行われていない。キビになると事態はさらに深刻で、何もわかっていないという表現のほうがぴったりする。
 この手に負えない代物に果敢に挑戦したのが、『雑穀のきた道』の著者である竜谷大学の坂本寧男さんである。坂本さんは・・・こういう先輩に対してたいそう失礼な言い方になるが・・・、研究者としてもちょっと変わった方でおられる。だから雑穀などという、人が見捨てたものに光明を当てることができたのだと思うが、その坂本さんが十年余り前に人を驚かせる発言をしたことがある。

 ヒエが日本列島原産だというのである。坂本さんは、ヒエといわれる植物を、日本を含む東アジアに分布するタイプとインド亜大陸を中心に分布するタイプとに分けた。そうしてその上で、遺伝学的な見地からヒエの起源を次のように考えた。

 坂本さんのことばを引用しながら考えてみよう。
 「従来から(ヒエが)中国東部で起源したという考えがあったが、現在までに考古学的にそれを証明するような遺物は中国では出土していない。また、詩経、本草綱目などにも栽培ビエの記述がないので、中国においてはその栽培の歴史が新しいと考えられる。(中略)

(ヒエは)おそらく日本で栽培化され、その後朝鮮、中国に栽培雑穀の一つとして導入されたと考える説があり、私はその可能性はきわめて高いと考えるようになった」(『雑穀のきた道』128ページ)

 この坂本発言がきっかけとなって、ヒエが日本列島原産ではないかという「ヒエ日本原産説」はしだいに定着しつつある。ヒエだけではなく、アワ、キビなどといった雑穀全般への関心がようやく高まりつつあるのである。
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これまでの植物遺体の調査によると、縄文時代早期からエゴマ・アサ・ ヒョウタンなどが栽培され、また、早期から漆工芸技術も持っていた可能性が高まった。
最近では山梨県や長野県などの地域で、縄文中期にダイズが栽培されていたことが分かった。
さらに青森県の縄文中期末から後期にかけての時期にイヌビエが栽培されていたことも分かった。

この事例についても炭素14年代測定によって確実となった。
また、京都市の長岡京跡の遺跡では縄文晩期の遺物包含層からアズキが複数出土しており、年代測定によって紀元前12世紀ころの縄文晩期に栽培されていたことが明らかとなった。即ち縄文文化は縄文早期以降、エゴマやヒョウタン・アサなどを栽培する菜園農耕を伴っており、 縄文中期からはヒエの栽培を始め、縄文晩期にはアズキ類も栽培していたのである。縄文文化は単純な狩猟採集文化ではないことは明らかであり、時期的変遷や地域的特徴をすでに持っていたと推測される。このような菜園農耕文化は、世界の各地で知られていることであり、縄文文化も世界的に見て例外的な新石器文化と規定する必要はない。縄文文化の実態を再検討すべきであろう。このような縄文文化観を変更する根拠となったのは、植物遺体の年代測定であり、栽培時期を特定したことである。
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縄文焼畑農耕(雑穀・根栽型)
照葉樹林文化のクライマックスを支えた最も重要な生業は焼畑農耕である。そしてそれは山と森を生活の舞台とした文化であった。

日本各地の山村では、かつてアワ、ヒエ、ソバなどの雑穀や豆類、サトイモなどのイモ類を主作物とする「雑穀・根栽型」の焼畑がひろく営まれていた。その時期は昭和35年(1960年)ころまでで、範囲は九州、四国あるいは中部の山地に及んでいた。
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日本ではかつて重要な主食穀物であったが、昭和期に米の増産に成功したことで消費と栽培が廃れた。
現代の日本では小鳥の餌など飼料用としての利用が多い。

最近では、優れた栄養価を持ち、また食物繊維も豊富なことから健康食品として見直されつつある。米や小麦に対する食物アレルギーの患者のための主食穀物としての需要も期待されている。
しかし、食用としては加工の困難さ等から高価な食材となっており、大麦やアワに比べて使用頻度は少ない。
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●ヒエは、縄文時代から神話の時代、江戸、明治を経て、昭和の戦後まもなくまで、全国で栽培されてきました。
●特に、イネが作れない低湿地や険しい山間の田畑でも栽培でき、イネが凶作の年でも良く実ることから、庶民の貴重な食料源として重宝されてきました。
●戦後、寒さに強いイネ品種の開発や、栽培技術の進歩、換金作物への転換などから、昭和20年代に3万ha以上あったヒエの栽培は、昭和47年には5千ha以下にまで減少し、その後も減少の一途をたどりました。
●2019年の栽培面積はわずか43.6haであり、その91%が岩手県で栽培されています。(公益財団法人日本特産農作物種苗協会、2021年)
●近年は、健康志向の高まりとともに雑穀の栄養的価値が見直され、主に水田転換作物として栽培されています。水稲用の田植機、収穫機、乾燥機などを汎用的に使えることから、作業の機械化、省力化が可能になっています。
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網掛けをしたヒエの栽培(写真提供:農研機構)

ヒエはスズメなどによる食害が多いため、出穂後は特に注意が必要です。収穫するヒエが全くなくなってしまうということがないように、防鳥網などでしっかりと対策を行いましょう。

また、ヒエは麦、大豆、ジャガイモなどとの輪作(同一の農地でさまざまな作物を一定の順序で作付けする農法)に適しているため、昭和30年代までは、これら作物を組み合わせた2年3作体系の輪作が行われていました。

ヒエは水田でも畑でも栽培可能であり、栄養価は白米よりもずっと高いので主食としてもおすすめ。皆さんも、この記事をきっかけに、ヒエを食べてみてはいかがでしょうか?
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■弥生時代の集落の食生活

ここでは、日本各地の弥生遺跡から検出された遺物を情報源として、弥生人の食卓を想像してみましょう。

弥生時代は、稲作が本格的に開始された時代であるため、米をはじめ麦、アワ・ヒエ・キビなどの雑穀が主食となっていたことがわかっています。調理方法は、煮炊きに使われた甕型土器(かめがたどき)に残る炭化物の状態から、水を加えて炊いて食べたと考えられています。

「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、手づかみ云々と記されていますが、鳥取県の青谷上寺地遺跡から大量の木製スプーンが検出されているため、食べ方は地方によってさまざまあったことが推察されます。

動物食も盛んであり、シカやイノシシなどの獣類、カモやキジなどの野島類、マダイやマグロなどの魚介類を口にしていたようです。ちなみに、狩猟用の弓の装備は、弥生時代に最高潮に達したと言われているようです。また、縄文時代の主食であった堅果類も、弥生時代の遺跡から大量に検出されています。これは、稲作が普及した弥生時代にあって、縄文の「食」が継承されていたことがうかがえる貴重な資料と言えます。
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