2014年(平成26年)第85回 広島県中央メーデー
「労働(者)の日」(Labour Day)
労働者が統一して権利要求と国際連帯の活動を行う日
メーデーの起源は、今から約120年前のアメリカにさかのぼります。
1886年5月1日、アメリカの労働者たちが「8時間労働」を求めてゼネストを行ないました。当時の労働者は1日12~14時間も働かされており、アメリカの労働者たちは30年間にわたって請願行動を続けていました。しかし、資本家たちはそれを無視し続けたため、労働者たちは更なる行動に出たのです。
シカゴを中心に、ニューヨーク、ボストンなど各地で1万1500の工場の労働者約35万人がいっせいにストライキを行ない、「8時間靴」や「8時間タバコ」、「8時間帽子」などのグッズを身につけ、「8時間労働の歌」を歌ってアピールしました。「仕事に8時間、休息に8時間、そして、俺達がやりたいことに8時間を」という歌です。
ストライキの効果は絶大で、18万人の労働者が8時間労働の協約を勝ち取り、その他20万人の労働者が労働時間短縮を獲得しました。
しかし、資本家はこの協約を破棄し、労働組合の弾圧を行ないました。
アメリカの労働組合は屈せず、1890年5月1日に再びゼネストを行なうことを決め、今度は世界各国の労働組合に、同じ日に同じ要求で行動をしようと呼びかけました。
その呼びかけに応え、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ドイツ、イタリア、スイス、オーストリア、オーストラリア、ペルーで、1890年5月1日にストライキや集会、デモが行なわれました。これが第1回国際メーデーであり、数十万人が参加したといわれています。
こうした運動により、19世紀末までに各国で10時間労働制が実現していきます。そして、1917年のロシア革命で、世界で初めて国の法律として8時間労働制が確立します。さらに、1919年のILO(国際労働機関)総会は「1日8時間・週48時間」労働制を第1号条約に定め、国際的労働基準として確立します。
こうして、8時間労働制は「世界の常識」となったのでした。
日本におけるメーデーは1920年に始まりました。
第1回メーデーは1920年5月2日、東京・上の公園に5000人が集まって行なわれました。失業の防止・8時間労働制・最低賃金制の確立などといった労働者の要求、教育費の負担を軽減する公費教育の確立という国民的な要求、治安警察法の撤廃という民主主義を守る要求、シベリア即時撤兵という平和を守る要求が決議されました。
日本の軍国主義化により、1936年から敗戦までの間、メーデーは開催できなくなりましたが、敗戦後は極度の食糧難・インフレの進行の中で急速に労働組合が結成されていきます。そして、1946年5月1日、第17回メーデーが開催され、10年ぶりにメーデーが復活しました。東京・皇居前広場の中央メーデーには50万人が集まり、「戦争犯罪人の追放」「働けるだけ食わせろ」などの宣言や決議が採択されました。全国各地でもメーデーが開催され、2百数十万人が参加しました。
以後、メーデーは労働者の連帯の日として定着し、その時々の課題の実現を訴えながら日本中で開催されてきました。
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コールセンターの重大な問題点(ゆゆしき事態である)
・クレーム対応などにより精神的障害を起こす労働者も多い。
・離職率の高い業務である。このため、アルバイト・派遣社員などといった雇用形態(非正規)のオペレータ(労働者)がほとんどである。