
なんと言っても、この作品は主演がニコール・キッドマンであったことが、あらゆる意味で大きい。監督との確執がクランクイン前、クランクイン後、クランクアップ後もあり、2016年現在ニコール・キッドマンはラース・フォン・トリアーの作品に出ていない。
後に『ニンフォマニアック』での出演の噂はあったが実現していない。勿論、単純にスケジュールが合わないという表の口実はあるが、やはり『ドッグヴィル』以前と『ドッグヴィル』撮影によって起こったラースとニコールの確執が未だにあるのであろう。同様の理由で『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のビョークともラースは仕事をしていない。ビョークとはあり得ないだろうが、ニコール・キッドマンにはまだ作られていない「アメリカ三部作」最終章『ワシントン』での出演の可能性はなくはない。
ともかく、ニコール・キッドマンとしてはこの時35、6歳なので女性として観るのもピークだったハズだが、その11年後に『ペーパー・ボーイ/真夏の引力』(2014年)で女性として観れるヒロインに復活し、『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』(2014年)でも見事にグレース・ケリーになりきっている。いずれにせよ、トム・クルーズと離婚してキース・アーバンと結婚するまでのニコール・キッドマンの真の全盛期のど真ん中の作品の1つが『ドッグヴィル』になる。
ギャングに追われている謎の美女としてはこれ以上ないぐらいぴったりで、「ドッグヴィル」といううらぶれた町の一輪の花になっている。そりゃ、クロエ・セヴィニーみたいな微妙な女性とパトリシア・クラークソンみたいなおばちゃんしかいない町に『ムーラン・ルージュ』(2001年)そのものの様な輝きの女性が来ちゃったら、男はみんなそっちに行くよ。
これん読んでいるみんなの学校のクラスや職場にミスユニバース2016や『マジック・マイク』(2014年)のチャニング・テイタムみたいなのが来たら、そいつが毎日注目の的になるでしょ?
これ、この作品の最大のポイントである。
さらに言うと、そのニコール・キッドマン一人の格に子どもを除いたドッグヴィルの住人役の俳優・女優15人を足しても到底敵わない。
その中に“元祖ハリウッドビューティー”ローレン・バコールもいるが、ベテラン過ぎて若干別枠気味。本来、ローレン・バコールの経歴からしたら格自体はあるから、今の日本映画界の樹木希林みたいな扱いをしてもおかしくないがそれとはやらず、完全に町の偏屈婆さんとして配置している。彼女を長老として使えばニコール対ローレンというあらゆる角度から見られる図式が出来たが、それはやらず、作品として集中させた落ち着いた配置になった。
ポール・ベタニーとクロエ・セヴィニーがネームバリューはあるがキャリア的には浅い俳優・女優、ステラン・スカルスガルドとパトリシア・クラークソンは中堅。大相撲で言えば、ニコール・キッドマンの一人横綱に小結のポール・ベタニーと前頭筆頭東パトリシア・クラークソン、西ステラン・スカルスガルド、前頭5枚目のクロエ・セヴィニーみたいな感じである。
これにギャング役に『ゴッドファーザー』(1972年)のソニー役だったジェームズ・カーンにウド・キアが加わる。キャスティング的に再集結不可能で、「アメリカ三部作」の2作目に出てるのはクロエ・セヴィニーとローレン・バコールのみである。
パトリシア・クラークソンは家族の急病で降板したカトリン・カートリッジの代打だが、同じ時期に『エイプリルの七面鳥』(2003年)にも出演している。この二つは何のつながりもないが、『ドッグヴィル』の主演のニコール・キッドマンと『エイプリルの七面鳥』の主演ケイティ・ホームズは共にトム・クルーズの元妻で、パトリシア・クラークソンは偶然にもトム・クルーズの過去の女と未来の女と近い時期に共演したことになる。それだけと言われればそれまでだが、その奇遇性にロマンを抱けば少しはまた違って見えるかもしれない、ということ。
ステラン・スカルスガルドは『奇跡の海』や『ニンフォマニアック』でも重要な役を演じているが、彼が主役として最も光った『キス★キス★バン★バン』(2002年)での敵役がポール・ベタニーで、この二人の共演も味わい深い。また、当初予定されていたヴェラ役がカトリン・カートリッジだったら、チャックとヴェラの夫婦が『奇跡の海』繋がりになっただけに残念である。