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じょ~い小川の自由の鏡

「ステーキ漂流記」のじょ~い小川の別ブログ

『フローズン・リバー』(2008年)その4 「凍った川」につきまとう不安

2016-09-05 18:33:45 | 映画:アメリカ映画




この作品の胆になるのは「凍った川を渡る」ことである。確かに凍ったセントローレンス川は何トンもあるトレーラーが通っても割れないぐらいだから結構頑丈である。まさしく、「100人乗っても大丈夫!」のイナバ物置みたいな物だ。けど、そうは言われても不安だよね。


目の前に凍った川とアスファルトの道があったら、ほとんどの人はアスファルトの方を選ぶんじゃないかな? アスファルトは安全という点では絶対であるのに対し、凍った川はトレーラーでも大丈夫と言われても絶対ではない。多分、ゴジラがそこを歩いたらダメでしょ? そう考えると、普段からそこを通ってる人に「大丈夫」とは言われても、やっぱり不安なんだよ。そう、この不安な感覚が凍った川を渡る以外にもいくつもあり、これが映画のポイントでもある。


それこそレイ親子の生活なんて常に凍った川を渡る様な危うい物である。いつ壊れるかわからないボロいトレーラーハウスに支払い期限が迫っている新しいトレーラーハウスの件。息子TJからすればレンタルの期限が迫って(レンタル業者に)取られるかもしれないテレビなど。

分かりやすい所ではこうした経済的なことかもしれないが、レイとTJの親子の仲、というか15歳のTJの動きも常に危うい。怪しい高校の仲間と怪しいやり取りをしたり、何やら怪しい電話勧誘をしたり。常に不安な動きをする。そんな彼に5歳の息子(彼にとっては弟)を任せるのはやっぱり不安だよね。そういう意味ではレイ親子の家庭の様子を見るだけでも凍った川を渡る様なハラハラ感が常につきまとう。


それこそ凍ったセントローレンス川を渡ることや密入国の仕事なんかも、慣れているライラが言ってもやっぱり不安である。アメリカ側の川の近くでネズミ取りをしている警察の前を通ることもライラから「あなたは白人だから大丈夫」って言われてもやっぱり不安になる。なぜなら、密入国をしているから「調べられたらどうしよう」と思う。大丈夫、この方法なら捕まらない、と言われてもやっていることは違法なことだから不安さはどうやっても拭えない。成功しても違法なことで金を稼ぐわけだから、息子たちに気持ちよくどうやって稼いだかは言えない。密入国の客もいまいちわからない奴を乗せているし、密入国をする側も結構不安だったりする。中には女が運転することに不安に思い難癖つけている奴がいるぐらいだ。


そもそもレイとライラの仲もいつ壊れてもおかしくない状態である。ファーストコンタクトが車を盗む・盗まれたの関係だからそもそもよろしくない。ましてやレイにとっては逃げた旦那が通っていたビンゴの会場での出会い。決していいわけがない。

その上ライラは白人から蔑視されがちなネイティブ・アメリカンのモホーク族。そのコミュニティの中でもライラは疎まれている存在。中古車を売っている店でちょっと高い車種(シエラ)はライラには売るなと上司からお達しがあるくらいだ。レイからすればあらゆる角度からライラは信用出来ない女性である。つまり、この二人の関係の危うさも凍った川を渡る様なものである。

『フローズン・リバー』(2008年)その3 凄まじい貧困描写

2016-09-05 18:32:53 | 映画:アメリカ映画


この映画、とにかく主人公レイ親子の貧困・貧乏描写が凄い。まず、欧米の映画の下流・下級層の象徴とも言えるトレーラーハウス暮らし。そのトレーラーハウスもそんなにしっかりしてなく、パッと見た感じは平屋の塗炭屋根のバラックの様な感じ。


室内は昼間でも常に暗く、テレビと電気スタンド、あと窓からの日光しか部屋を明るくする灯りがない。部屋全体の灯りらしき物ははじめからないかもしれないが、基本的に電気を目茶苦茶省エネしている。その割りにはこの家庭ではテレビもクリスマスツリーのイルミネーションも常につけっぱなしだったりする。節約出来ることを節約せずに無駄な出費を出す辺りが貧困・貧乏から脱せない所以である。


いずれにせよ、部屋が薄暗いというのは貧乏描写において重要である。是枝監督の『誰も知らない』(2004年)しかり、タル・ベーラの『ニーチェの馬』(2011年)しかりだ。それは室内だけでなく、外の天候も同様。映画全体で晴れのシーンが少なく、曇り空や夜のシーンが多いのも貧困・貧乏を煽っている。

実際にコートニー・ハントにインタビューした際そのことを訊いたがそこはあんまり考えてなかったようだ。たまたまとは言え、無意識にやったんだろうけど才能を感じる。晴れのシーンも昼下がりか夕方前だから全編暗く感じる。暗い=貧困ではないが、やっぱり部屋が暗かったり曇天模様というのは基本的に気分がブルーだったり沈みがちなはずだ。


この家庭の収入源はレイの1ドルショップでのパートの稼ぎのみ。レイの旦那トロイは2週間前に新しいトレーラーハウスを買うための金を持ち逃げする。もっとも、それ以前からトロイは働いた金を入れず、モホーク族の居留地にあるビンゴに金を遣いこむ。働いていても金を入れずにギャンブルに入れ込む辺りは典型的なダメ亭主で、『海よりもまだ深く』(2016年)の阿部寛が演じた主人公がまさしくそれだった。が、トロイはその上に家の金を持ち逃げして逃走、というさらに上をいくクズっぷりである。


考えてみれば、レイの職場が1ドルショップというのもアメリカの貧困の象徴ではなかろうか。日本で言えば、100円ショップみたいなものだ。しかも正社員ではなくパート扱い。2年働いても正規雇用にならず、その見込みもない。その1ドルショップという職場も遅刻をしようが、正規社員風の男性が仕事中に飲酒しようがお構い無しなルーズな職場。その辺りも下流・下層・底辺の世界観が見られる。

レイの職場だけでなく、ライラの職場もビンゴホールというのもアメリカらしい。アメリカ人のギャンブルで競馬よりもビンゴというのがまた下流・下層描写を一層煽っている。モホーク族の居留地にビンゴホールがあるのはネイティブ・アメリカンとビンゴの結び付きからで、その辺りに興味がある方はWikipediaで調べていただければ幸い。日本で言えばパチンコにあたるようだが、うらぶれた具合はパチンコというよりかは地方の競輪や競艇といった雰囲気である。


貧困描写の極めつけは子ども達の食事シーン。朝も夜もポップコーン。まるでギャグのような設定も、シリアスで全体的な暗さから貧困ぶりを決定づけるシーンになってる。他にもガソリンスタンドでのガソリンを入れるシーンや高校生の息子TJがなくなったら嫌がるレンタルしているテレビなど、隙あらば貧困描写を散りばめている。


映画における古今東西、『どん底』や『誰も知らない』、『一命』(2011年)、『苦役列車』(2012年)などの日本映画やケン・ローチ監督やアキ・カウリスマキ監督の映画など貧困や下流・下層を描いた映画はいくらでもあるが、ホームレス一歩手前でギリギリの生活ぶりはなかなかない。『そこのみにて光輝く』(2014年)を観た時に『フローズン・リバー』を思い出したぐらいだ。

前回書いた『ドッグヴィル』(2003年)も比較的貧しい地域を描いた映画だが、スタジオでのセット撮影と壁・屋根を除いた白いチョークで描かれた建物とあって必要以上に貧困ぶりをクローズアップしてない。『フローズン・リバー』はロケ撮影とあり、雪が残る寒々とした外の風景と暗い室内の風景でぐぐっと貧しく見える。

よく見ると、レイや子ども達が着ている服はボロボロではないが、だいたい2パターンぐらいしかない。しかも、レイがよく着ている黄緑の上着が驚くほどダサい。どうしてそれをチョイスしたのって思うが、とにかく何か上着を羽織ってないと寒いので選ぶ余裕がないのか。もう1着は薄紫のカーディガン。これまたババ臭い。そのダサさやババ臭さに哀愁が漂う。

で、このレイ親子の希望が一軒家でなく、断熱材入りのトレーラーハウスというのも貧困の髄を感じる。最上でも新しいトレーラーハウスなのだ。つまり、下流・下層の象徴であるトレーラーハウス生活からは抜け出せない。しかも、値段も5750ドルと日本円にしても60万円程度。トレーラーハウスがピンと来ないだろうから日本で言うなら、風呂なしトイレ共同のボロアパートからトイレ&ユニットバスつきのアパートに引っ越すようなものか。密入国よりもこの貧困無限地獄の方がメインっぽくも見えなくない。


衣・食・住の全てがよろしくない貧困・貧乏描写ってそうそうない。

『フローズン・リバー』(2008年)その2 虐げられた者の善き行動

2016-09-05 18:30:53 | 映画:アメリカ映画


この映画のテーマは密入国でも貧困でも親子でもない。コートニー・ハントが一番伝えたかったことは、地位も名誉も富もあるような人やコミュニティやグループでリーダーシップを発揮するような人が活躍するような映画ではなく、地位的にも経済的にも恵まれない、社会的にも若干虐げられている人が活躍する、窮地を脱する、善き事を行う。

そういった人の方が普段辛い経験をしている分、窮地を脱する力がそうでない人よりも実はあるのではないか、というもの。これはコートニー・ハントがプロモ来日した時にボクがインタビューした時に本人が言っていた。


確かに、主人公レイはたくましいし、時に大胆で、ラストの決断など神対応だと思う。まさしく、背に腹を変えられない、切羽詰まった時の「火事場のクソ力」的な発想で大胆な行動に出ている。


レイの親子のうらぶれ具合は半端なく、そこにどことなくポール・シュレイダー脚本の『タクシー・ドライバー』のトラヴィスの生活に通ずるものを感じるが、トラヴィスみたいな怨念や執念はない。その代わり、親子の貧困による追い詰められ方は凄まじく、そこを丁寧に描いた。

『フローズン・リバー』(2008年)その5 キャスト

2016-09-05 12:00:47 | 映画:アメリカ映画



ずばりメリッサ・レオに尽きる。メリッサ・レオもネット上の写真で見ると綺麗な女優だが、『フローズン・リバー』のメリッサ・レオは色気ゼロのくたびれたおばさんである。これが重要で、ちょっとでも綺麗だったり、色気が出ちゃったら成立しない。

キム・ベイシンガーやジュリアン・ムーアじゃダメ。日本で言えば桃井かおりや秋吉久美子、余貴美子や渡辺真起子でも違う。ほとんど素っぴんに近い『21g』(2003年)等の名バイブレイヤーであるメリッサ・レオじゃなきゃ成立しない。


冒頭のメリッサ・レオの虚無感な表情がいい。このシーンは新しいトレーラーハウスの残りの金を支払わなきゃいけない期限が迫っているにもかかわらず払うあてがないのと旦那トロイが戻って来るあてがないことによる途方に暮れた様子を写したもの。

体のあちこちに小さいタトゥーが入っていて、ベッドにいる時もマルボロメンソール12mmのボックスが手放せない程のヘビースモーカーぶり、老け込んだ中年女性の暗い表情など、どこから見てもやさぐれ、哀愁がバリバリである。アキ・カウリスマキ監督の映画のミューズであるカティ・オティネンばりの幸のなさビンビンである。

煙草を吸うシーンもいくつかあり、カッコ悪くはないが妙に目につく。この煙草はウディ・アレン監督の『教授のおかしな妄想殺人』(2015年)のホアキン・フェニックスの酒と同じような存在で、彼女のやさぐれ・うらぶれ具合が増して見える。

『フローズン・リバー』の直後に出た『ザ・ファイター』(2010年)でアカデミー賞の助演女優賞を獲得し、こっちの方が有名だが、彼女の代表作は『フローズン・リバー』と言いたい。

『フローズン・リバー』(2008年)その1 序

2016-09-05 11:46:23 | 映画:アメリカ映画


『フローズン・リバー』はカナダの女性監督コートニー・ハントの長編映画デビュー作。2008年のサンダンス映画祭においていきなりグランプリを獲る。『SAW』(2004年)や『オープン・ウォーター』(2004年)、『ハード・キャンディ』(2005年)など話題作が産み出された新進気鋭の映画監督の登竜門的な映画祭でグランプリを獲った作品ということで、監督デビュー作でも箔が付いていた感じだ。長編第1作目にしてこのクオリティーはとてつもない。コロンビア大卒で、監督の師匠が『タクシー・ドライバー』(1976年)の脚本を手掛けたポール・シュレイダーと聞くと納得である。


舞台はアメリカとカナダの国境近くでニューヨーク州最北端の町マシーナ。シングルマザーのレイがモホーク族の女性ライラと知り合ったことが切っ掛けでカナダからアメリカへの密入国の仕事に手を染める。この密入国のヤバい仕事のカギになるのが車やトレーラーが通っても大丈夫である凍ったセントローレンス川。要はそこを車で通ることで密入国をする。


確かにメインはそれではあるが、その「密入国」というヤバい仕事に至るにあたる過程が綿密である。ご都合のよい映画みたいに興味本位や物凄く単純に金を稼ぎたいからというわけでなく、やむを得なく手を染める。その「やむを得なく」、「背に腹を変えられない」具合を シングルマザーになった経緯、普段の生活、親子のやり取り、モホーク族のライラとのやり取りなどで見せて、「密入国」の仕事に足を踏み入れる。